Nicotto Town



父とカラオケに行く夢を見ました。

夢の中では父母と姉と姉の娘と私が、カラオケにいて、ほとんど現実と見分けがつかないような情景が延々、続いていました。

いつも通り姉の娘のののちゃん(5歳の女の子)は駄々っ子で、歌いだしては飽きたり踊ったり勝手に外に出て姉が追いかけて、それを微笑ましく父が眺めて。
時々浅く目が冷めて、浅く眠ってを繰り返していたので、浅く目覚めるタイミングで「あぁ、いい夢見ているな」と思いました。
夢の中の父は陽気で元気で健康でした。今と違って具合が悪そうなところもないし、少々シニカルでふざけて、昔良く着ていたセーターを着ていました。グレーの母が編んだやつ。今みたいに杖はないし、抗がん剤で毛が抜けた頭を覆う帽子もないし。何より、父は好きなことを喋っていました。好きな歌とか本とか、そういうことを。食事や体以外のことを。その夢は、最近の悲しい気分ややるせなさを凝縮するとようはそういうことなんだと、知らしめるみたいな夢で、でもぼんやり幸福な空気の夢でした。

私は一生、自分の感情なんてわからないかもしれません。私が憎んでたつもりのものは憎しみでもなんでもないかもしれない。そうして、憎しみだと思っていたものが実は全然違うものであったということを、憎しみの対象が去ったずっとあとに気づいて自分の人生の方を呪ったり悔やんだりするかもしれない。あるいは、そんなふうに受け止められずにそれを一生気づかないふりをするかもしれない。あるいはやっぱり憎しみのほうが本当かもしれない。

つくづく思うんですけど、そういうのはどうしようもないことじゃないかな。後悔のないように、なすべきことをなす暮らしを何十年もしたのに、全部大間違いと感じるのはつらいけれど、多分そういうタイプに生まれついてしまったのだ。仕方ない。




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