Nicotto Town



噓日記:バケツに砂を入れる以上に幸せなことはない

 本当に困ってる。公園の砂場でスコップをもって、砂を触ることが、私の人生の中で、本当に一番大事なの。

 こんなことで困っていると言ったら、想像力のない人が「そんなんどうでもいいじゃん」っていうの目に見えるし、まあ私だって、窃盗をすること以上に開館はないとか、不倫でしか恋愛を感じられないとかそういう世の中の行動規範と真逆のことにひかれてひかれて仕方ないという状況よりは恵まれているのかもしれない。そりゃそう。わかる。
だけど、私だって、まあまあこまっている。多分、想像されるよりはだいぶ困っている。
 実際ね、砂に触る以上に重要なことってないんじゃないかと思う。砂に触ったことある?思い出せる?まず手形をつけるみたいに砂場に手をぺたんとつけると、結構砂は湿っている場合が多い。でも、日によってその湿り気は違う。その感触を感じるとすさまじい安心感が胸にこみあげる。そして少し怖く、悲しい気持ちになる。地球ができた時のことを想像してしまう。未来にある砂のことを想像してしまう。海岸にある砂のことを思い出す。世界中にある砂という砂のことをやがて、考え始める。
考えながら、私は砂場の砂に手当たり次第に手形をつけまくる。質問をすることに似ているなといつも思う。砂に触れて感じる気持ちの種類を、私は世界中の誰よりも知っているんじゃないかとすら思う。悲しい、恐怖(続くことと死ぬことの)、不安、愛着、疚しさ、そういうものについてよく知っている。
 人の体の中に流れる水のことに思い至る。砂に触るということはそれくらい、世界の全部に思いをはせることなんだよね。
 …だから、私はそれ以外のなに一つを得ることができなかった。私は砂場に一番近いアパートを借りて、夜勤の工場勤務をしている。昼間に公園に行くには夜勤の仕事のほうが良いのだ。
結婚もしない、子供もいない、友達もいない。砂場があればいいから。そういう社会的なしがらみは多分私に砂場よりも家事や愛情や娯楽に時間を使えというだろうし、それは私にとっては恐怖だ。
 世の中の人はどうして、家族を作ろうとするんだろう。砂場があるのに。こんなことを言うとやばい人ねと言われることくらいわかっている。だから困るのだ。いくら砂場の砂に触れることが違法ではないといっても、世の中の人は、家庭を作ることや仕事や芸術や愛に身を費やすことに価値を感じず、例えば砂場みたいなものを愛する人を放っておいてはくれない(なんでだろう?砂場があるのに、とやっぱり思ってしまう)。回避しているとか、自分の願望を抑圧しているとか、義務を果たしていないとか、騒がしい。あまりそんな風に騒がれると、私は人間じゃないような気がしてくる。
 砂場にはすべてがあるのにな。全部の感情も、感触も、感覚も、記憶も、歴史も、未来も。……まあいいや。砂場に触れた時に感じたたくさんの言葉は、外には出ないけれど私の中に刻まれているし、それはどうにも、消えてしまうものには思えないんだよね。私の中に生まれた言葉は地球のどこかに人知れず、刻まれているんじゃないのかな。




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