自作小説倶楽部5月投稿
- カテゴリ:自作小説
- 2024/05/31 22:20:43
『記憶の大樹』
事が起きたのは6月の文化祭だった。
僕の絵が盗まれたのだ。
放課後に片付けのために集まった部員たちは渦巻き状の金具に残された切れ端を見つめ呆然としていた。
美術部の部室に作品が展示される中、僕の絵だけがスケッチ帳から破り取られていた。教室内にいた生徒や父兄の誰も気づかぬ犯行だった。
美術部と言ってもど素人の一年生のもので半ば部員の義務、半ばやけくそで展示したもので、以前描いた湖の側にそびえる大樹を描いたスケッチに水彩絵の具で着色しただけの作品ともいえないような代物だった。
「田中の絵を盗むやつがいるなんてなあ」
と顧問の佐々木が首を捻った。やや熱心すぎる顧問は空想の風景を描きたいという僕の希望を全否定し、これでもかと僕の絵にケチをつけ、上手な部員には絶賛をする。簡単に言うとえこひいきがひどい男だ。が、実際、自分でも絵の才能はないとわかって居たので割り切って必要な技術を学んでいた。自分の思うような絵が描けさえすればよかった。
しかし「思うような」というのが難しかった。僕が描きたかったのは空想の森や町だ。
入学式を控えた夜に何気なくテレビで旅番組を見ていると不意に既視感に襲われた。画面に映った異国の風景がどこかに似ているような気がしたのだ。以来そのことは頭の隅にこびりついて離れない。イメージを何とか掴むべく、僕は美術部の扉を開けた。
幸い顧問以外は気のよい部員が多く、対人スキルの低い僕でもなんとか続けられている。
部長の高崎さん含めその場にいたメンバーは口々に慰めの言葉を言って、それから事件が校長の鶴の一声でもみ消されることになると、僕が驚くくらい憤ってくれた。抗議すべきという意見をなだめねばならなかった。
事件はあっさり解決した。翌週の土曜日に高崎さんが従妹とお祖母さんを連れて僕の家を訪ねて来たのだ。
「ごめんなさい。これ」
頭を低く下げて差し出されたのは盗まれたはずの僕の絵だった。くしゃくしゃになった跡があり緑に塗られた木々には滲みがあった。
「この子、わたしの従妹なの。家庭の事情でお祖母ちゃんと暮らしていて。文化祭にも来てくれたんだけど、何故か田中君の絵を気に入って盗んだらしいの。少し変わっているけど、普段はこんなことをする子じゃないのよ。いえ、やったことは悪いことだとわからせるわ」
「大丈夫です。子供のやったことだし」
「もう5年生よ。やっていいことと悪いことはわかるはずよ」
必死で謝罪と従妹批判をする高崎さんには普段の凛とした様子はみじんもない。高崎さんの後ろではお祖母さんが小さな孫の頭を押さえつけながら頭を下げている。僕は高崎さんが心配になり再びなだめ役に回った。
「それにしても何故僕の絵を盗んだんです?」
3人がやっと落ち着くと僕は高崎さんの従妹、キリコちゃんに聞いた。
「楽しくなる絵だから。ここに行かなくてはならないの」
まだ濡れているまつげをぱちぱちさせて答える。
「ここがどこだか知っているの?」
「わからない。でもいつか見つけるの。ねえ、お兄ちゃんの絵をもっと見せて、きっとどこかわかるから」
高崎さんによればキリコちゃんは昔から、何かを探していて、周囲の空気を読めないため学校でもいじめられているらしかった。キリコちゃんの「いつか見つける」という言葉が妙に胸に染みこみ。僕は下手糞な絵を何枚もキリコちゃんに与えて仲良くなった。幸いキリコちゃんの精神が安定したのか、その後キリコちゃんが問題を起こすことはなかった。それからずっとキリコちゃんは僕の絵を気に入ってくれている。
高校生だった僕も大学生、それから社会人になった。
最近、高崎さんはキリコちゃんと僕の仲がどうなっているんだと聞いてくる。
相変わらず趣味の範囲で絵を描き、しょっちゅう僕のアパートを訪ねて来るキリコちゃんに見せている。相変わらず彼女は喜んでくれる。
最近、箸を持つ彼女の指を見つめているうちにどうしても僕が描いた大樹のある森に行かなければならないという気がした。あの大樹の洞に金の指輪が入っている。そんな考えは気のせいだと自分に言い聞かせているが、金の指輪は彼女にとても似合うだろう。
歳の差カップル爆誕!
キリコちゃんが盗んだのは絵ではな〈僕〉の心だった、みたいな。
金の指輪――主人公君は、キリコさんをお嫁にするのだろうかという暗示を感じます。
貴重な出会いですね。