Nicotto Town



神様なしのくらし。

神様なしの暮らしって昔から無理だった。でも、神様に騙されるのもとても苦手だった。


私は十年くらい信望し続けた神様が幾人かいる。
でもそれは、歴史ある宗教でもなければ新しく誰かが作ったものでもない。そして私はそれを信じるタイプでもない。
てだ神様を信じる「みたいに」生きなきゃならないタイプ、っていうだけ。
その神様は例えば私の左手の痛みのことだったりする。その神様は例えば、一度弁論文を読み上げたのを聞いただけの、隣の隣のクラスの生徒会長だったりする。長い長い交響曲の数小節であることもある。あ、わかってるわかってる。気持ち悪いってことぐらい、全然わかってる。でもね、わたしはそれが気持ち悪くて、かみさまにされた誰かさんと全然関係無い話であって巻き込んじゃダメってこともわかってる。ただわたしはようするに、愛するとか仲良くなるとか楽しむとかそういうので人生を持たせるのが苦手っていうだけ。ほんとそれかできない。それに時間つぶしできない。あれが絶対カンペキで、神々しくて、答えで、それみたいになることが希望だって何かが、絶対なきゃだめなわけ。しかもね、ついでにいうとわたし、それがウソなのも勿論知ってるわけ。不幸にして私に神様扱いされる口も聞いたこともない生徒会長はきっと弁論文の一節で胸を打ってくれたけれども、それでもその人は普通なみに、あるいはもっとせこいいじわるさも持っていて、しかもそれが魅力なんてこともまったくないような、そういうものだって知ってる。
ややこしいね。要約すると、「信じるのがいちばん苦手なのに、信じた体でいなきゃ生きてけない」。これってあるあるなのかなぁ。ないないな気がする。
あ、もちろんだけど、これは恋に恋するなんて話でもない。そもそも、信仰って絶対距離が必要でしょ?遠く遠くにいて絶対に私と相手の距離縮まらないって思ってなきゃ信仰って成り立たないじゃない?だからわたしはその美しい何か、誰かさんにはどうしたって近づきたくないわけ。

私昨日までの神様無くしちゃってとても困ってる。また、探さなきゃ。信じたくなるような嘘であり、私と永遠に近づくことなく、でもそのものになりたいって、そう思うことが希望だって思う何かを探さなきゃ。そう思って寝転んでたら、庭を猫が横切った。どこかから逃げてきた家猫だろう。逃げたばかりの。洗いたてのように毛並みがきれいな白と薄茶色のまだらで、赤い首輪をつけていた。
あの毛並みを私の神様にできるだろうか。その毛並みに潜り込むくらいにじーっとながめて、ながめて、私そのものが毛並みの中にうもれるようなつもりをして、その美しさを焼き付けて。
…だめだ、場当たり的な神様は十年持たない。困ったな。




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