ジュンチャンと世界を巡る 第101回はリビア
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2024/08/16 05:19:38
リビアと言えば、良いにせよ悪いにせよ、40年以上独裁政権を続けたカダフィが強烈な印象として残っています。(地球の歩き方)
リビアは北アフリカに位置する共和制国家で、東にエジプト、南東にスーダン、南にチャドとニジェール、西にアルジェリア、北西にチュニジアと国境を接し、北は地中海に面し、海を隔てて旧宗主国のイタリアが存在し、首都はトリポリです。
リビアはアフリカ世界と地中海世界とアラブ世界の一員であり、アフリカ連合とアラブ連盟に加盟していて、アラブ・マグレブ連合にも加盟しており、広義のマグリブ諸国に含まれます。
リビアの歴史ですが、古代リビュアはフェニキア人、カルタゴ、古代ローマ、東ローマ帝国の支配を受け、7世紀にアラブ人のウマイヤ朝に征服され、イスラム教が広がりました。
その後、16世紀にオスマン帝国に併合され、1711年に土着化したトリポリ総督のトルコ系軍人が自立してカラマンリー朝が成立し、19世紀初頭にカラマンリー朝はアメリカ合衆国と第一次バーバリ戦争を繰り広げたのです。
その後、イギリスとフランスがこの地に干渉し始めたため、オスマン帝国はリビアを再征服し、1835年にカラマンリー朝は滅亡しました。
20世紀初頭の伊土戦争により、1911年にはイタリア王国がリビアを植民地にし、植民地化後はイタリア人が入植しましたが、リビア居住のベルベル人などは激しい抵抗を繰り広げ、リビアの完全平定は1932年にまでもつれこんだのです。
第二次世界大戦中には連合国(イギリス)と枢軸国(イタリア、ナチス・ドイツ)の間で激戦が繰り広げられ、イタリアの敗戦により、戦後は英仏の共同統治領とされました。
1949年の国連決議により、1951年にキレナイカ首長国(キレナイカ)、トリポリタニア、フェッザーンの3州の連邦制によるリビア連合王国として独立し、キレナイカの首長であり、サヌーシー教団の指導者だったイドリース1世が国王に即位し、1963年に連邦制は廃止され、リビア王国が成立しました。
1969年9月1日、ナーセル主義者だった27歳のムアンマル・アル=カッザーフィー(カダフィ)らによるクーデターにより、イドリース1世は亡命、カダフィを事実上の元首とするリビア・アラブ共和国が成立し、1977年に、大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国へと移行したのです。
その後、リビアはソ連に接近して援助を受け、1970年代から1990年代まで数々のテロを支援、アメリカやイギリスなどの欧米諸国と敵対しました。
一連のテロ事件により経済制裁を受け、アメリカからはテロ支援国家に指定されました。
2001年の9.11以降はアメリカと協調路線をとり、2006年にアメリカと国交正常化し、リビアはテロ支援国家指定から解除されました。
2011年、反カダフィ勢力のリビア国民評議会とカダフィ政権側の間で内戦が勃発し、NATOなどから軍事的な支援を受けた評議会軍が同年8月23日に首都トリポリを制圧し、10月20日にスルトでカダフィが殺害され、42年間続いた政権は崩壊しました。
カダフィ政権時では、アフリカ有数の治安が安定している国として知られていたのですが、2011年リビア内戦以降は各地から流入した武器などが大量に出回って急速に悪化し、新リビア政府は武器の回収を図っているのですが、過激派組織などにも渡っており、回収作業は難航しています。
また、カダフィ政権時と比べて殺人事件発生率が約5倍になっており、治安対策が急務です。
現在も治安は急速に悪化中で、内戦状態が継続している国です。
リビアの地理ですが、この国はアフリカ大陸の北部に位置し、地中海に面していて、国土の大部分がサハラ砂漠の一部であり、面積の9割を砂漠が占め、サハラ砂漠のリビア部分を特にリビア砂漠と呼んでいます。
年間を通して乾燥していて、サハラ砂漠から北に向かってギブリと呼ばれる熱風(シロッコ)が吹き出します。
国民の大多数がアラブ人、もしくはアラブ人とベルベル人の混血で、少数民族として先住民のベルベル人や、南部のスーダン系黒人が存在します。
公用語はアラビア語で、宗教は国教のイスラームが約97%、大半がスンナ派です。
カダフィ政権時代は、6歳から15歳までの初等教育と前期中等教育が無償の義務教育期間となり、その後3年間の後期中等教育を経て高等教育への道が開けていました。
義務教育に限らず、国公立の学校の学費は無償であったなど豊富な石油資源による福祉国家体制を築いていて、2003年の15歳以上の人口の識字率は82.6% でした。
ここから、リビア観光に入ります。
リビアには5つの世界遺産がありますが、その中でも外せない観光地が首都トリポリの東にあるレプティス・マグナです。
地中海の見える古代遺跡はローマ時代の人々の生活を想像させてくれる壮大なものです。
かつてレプティス・マグナは、全盛期を過ぎて人が寄り付かなくなったことで約1,000年もの間、砂漠の砂に埋もれてしまいました。
しかし、そのおかげで保存状態はとてもよく、まだ全体の30%ほどしか表に出ておらず今でも発掘調査は続いています。
浴場、水洗トイレ、凱旋門、円形劇場、公共広場、闘技場、公会堂など、当時の人たちがいかに高度な生活をしていたかよく分かります。
次に、ガダミス旧市街です。
ガダミスの旧市街もリビアにある世界遺産の一つとして人気の観光スポットで、全長7kmの城壁で囲まれ「砂漠の真珠」とも呼ばれているガダミス旧市街は、町中ずっと白い外壁の建物が並んでいて砂漠の中のオアシス都市の爽やかさを感じさせてくれます。
建物の中は北アフリカ独特のアラベスク模様が描かれ、白地に華やかさを添えています。
外は40度を超えることもありますが、建物の中に入れば涼しく、地元の人たちが夏の暑さに耐えられるようになっています。
最後に、タドラルト・アカクスです。
リビアの西部、サハラにあるタドラルト・アカクスは、不思議がいっぱいの砂漠地帯の観光スポットで、ほとんど植物が無い真っ赤な大地に突如現れる奇岩は、長い年月砂嵐によって削られた岩で、最も有名なのが「アダト岩」、トゥアレグ語で親指の意味の通り、サムアップしているように見えます。
また、「タドラルト・アカクスの岩絵遺跡群」として世界遺産にも登録されている壁画もあり、これは古代の人が1万年以上も書き続けたものだそうで、昔の人々の生活の様子や、動物や植物が描かれていて、歴史のロマンを感じます。
次回もマグレブの国々を個別に紹介します。
引き続き気楽に遊びに来てください。( ^)o(^ )