Nicotto Town


ジュンチャン


世界を巡る旅 第104回は エジプトのカイロ


カイロ(Cairo)は、エジプトの首都であり、ナイル川河畔の交通の要衝の地として、イスラム世界における学術、文化、経済の中心都市となっている。
 現在、カイロ首都圏の人口は1500万程、中近東やアフリカ大陸の中で最大の人口を誇っている。
 ナイル川が形成した河口部の肥沃なデルタ地帯のほぼ中央に位置し、イスラム帝国が7世紀にエジプトを征服したとき、征服者アラブ人の住む軍営都市(ミスル)が置かれて以来のエジプトの首都であるが、エジプト人は自国を呼ぶ時にはエジプトとは言わず、マスル(ミスルのエジプト方言)という。 

 カイロは、英語名の Cairo (勝利の都)に由来しており、現地語であるアラビア語ではアル=カーヒラという。

 カイロの中心市街はナイル川の右岸、東側に位置する。ナイルをはさんで対岸の西郊には、ピラミッドで有名なギザの町がある。町の南は古代エジプトの中心都市のひとつ、メンフィスである。

 カイロで最も有名で、最も重要で、カイロへの旅行者必見の館、それがエジプト考古学博物館(カイロ博物館)である。

 僕はインディジョーンズに憧れ、考古学者を目指した過去があるので、ここは僕にとっては聖地のようなものである。

 ここの収蔵点数は20万点にものぼると言われ、展示物1個に1秒の割合で見ても、全部見るのに2日半くらいかかる計算になる。(気が遠くなります。)
 やはり、ここの目玉は、イギリス生まれのエジプト考古学者ハワード・カーター(187459
 - 193932)1922年に発見したツタンカーメン王の墓から発掘された黄金の玉座や黄金のマスクなど、ツタンカーメン王の副葬品類である。


 博物館にはもうひとつの目玉がある。それは、古代ファラオのミイラ達である。その特別展示室には征服王ラムセスII世、トトメスIII世、セティI世他、数体のミイラが展示されている。(ここは写真撮影禁止だった。)
 中でもラムセス2世のミイラは、保存状態が格段に良く、まるで寝ているようで、今にも起きだして動きそうな感じだった。(夜は、ここは怖いヨ。)
 エジプトのファラオ中で最も権力があり、最も有名なラムセス2世は、92歳で亡くなったミイラとは思えない背の高さがあった。(精力が強そうな感じがした。)

 午前中に膨大な資料館(博物館)を斜め読みと駆け足で通り抜けた後、午後からはカイロの南部のナイル河流域に細長く現存している、ピラミッド群を訪ねた。


 ピラミッドというと、ギザの三大ピラミッドだけが特に有名だが、実際は約60ほどのピラミッドが既に見付かっており、最終的には100程度のピラミッドがエジプトには存在するようである。

 ダハシュール にて
 赤のピラミッド、その先には屈折ピラミッド、さらに奥にはアメンハト3世の崩れピラミッドが見えた。

 ダハシュール、サッカラ、アブ・シールと10個程のピラミッド群を午後いっぱい見て回った。
 やはり、エジプトと言えばピラミッド、そしてミイラということになる。

 ピラミッドは王様の墓であると一般的には言われているが、ピラミッドが王様の墓だという証拠や文献はない。
 この王の墓説は、紀元前5世紀のギリシャの歴史家であるヘロドトスの著書である「歴史」の中で、「ピラミッドは王の墓である」と述べているのが根拠で、その根拠であるヘロドトスの調査も、ピラミッドの近くに住んでいた長老に尋ね、長老の「これは先祖伝来王様の墓と言われている」という答えを聞き書きしただけのものである。
 ピラミッドは王の墓の他にも、倉庫とか運命を予言するものだとか日時計とか言われてきたが、20世紀初めになると、経済学者がピラミッド公共事業説を言い出した。
 ナイル河は1年のうち7月から10月の4ケ月間氾濫する。そのため、国民の99%を占める農民は農作業が出来ずに失業する。
 その農民に仕事を与えたのがこのピラミッド建設で、公共事業としてピラミッドの建設を行い、労働の対価として王の取り分(全農民の収穫量の半分)の半分を農民に支払った。
 ピラミッド建設は、エジプト農民の生活を支え、文化や物資の交流を促進し、エジプトの民に自信と誇りを持たせる偉大な事業だった。

  ところで、ミイラの作り方を知っているだろうか?

 やはり出典はヘロドトスの著書である「歴史」で、ここに「曲がった刃物を鼻から入れて、脳を掻き出して、それから内臓を抜いて洗浄し、遺体を70日間ソーダ漬けにする。」と記載されている。(実際にやってみたくなるよ、犬や猫くらいにしとこうかな。)

 僕は一旦砂漠から街へ帰り、陽が落ちてから、カイロタワー近くでエジプト名物の鳩料理を食べ、タワーに上がり、ナイルの来し方、行く末をしっかりと確認し、上流への危険な旅のための心の準備を再度行った。(食事はイスラム教徒のラマダン(断食)の儀式に従い、エジプトの旅の間は、日没後に頂くことにした。)

 

 そして、今回のスター、スフィンクス(SPHINX)の見物となる。

 夜の三大ピラミッドとスフィンクス見物に便利なように、あらかじめ宿をギザに確保していた。

 三大ピラミッドの配置はオリオンの三ツ星の配置を真似たという説があり、その説によれば、ピラミッドはオシリスの星であるオリオン座、そしてオシリスの妻イシスの星であるシリウス、それらにまつわる神話の世界を地上に描いたもの。


 三大ピラミッドは自国に自信と誇りを持たせる偉大な事業の成果と前に書いたが、そのピラミッドの守護神であるスフィンクスの物語は、何度見聞きしても興味深い。
 ギリシャ神話によれば、スフィンクスは、女性の頭、犬の胴、ライオンの足、蛇の尾、鳥の翼、女性の胸を持ち人語を話す怪物である。

 スフィンクスとは元来、ギリシャ語で"絞め殺す者"という意味であるが、ギリシャの都市テーバイの街の西方にある岩山に陣取り、通行人に謎を掛けて、解けない者を食べていた。

 その謎はこのようなものである。
 「一つの声を持ち、二つ足にして、また四つ足にして、三つ足なるものが地上にいる。地を這い、空を飛び、海を泳ぐ者どものうち、これ程姿、背丈を変える者は無く、これが最も多くの足に支えられて歩く時にその肢体の力は最も弱く、その速さは最も遅い」

 その謎を解いたのが、あのオイディプス王だった。(予言どおりに、実父を殺し、実母と交わり、四人の子女をもうけた悲劇の王で、数あるギリシャ悲劇の中でも、最大のヒーローである。)

 オイディプスは「赤ん坊の時は四つん這いで歩き、やがて、二本足で歩く、そして、晩年には第三の足として杖を用いる、答えは人間也と。」と答え、スフィンクスを退治した。

 次回も偉大な古代文明を築いたエジプトを紹介します。

 引き続き気楽に遊びに来てください。( ^)o(^ )




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