ジュンチャンと世界を巡る 第111回はエリトリア
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2024/08/29 05:50:48
エリトリアはアフリカの角と呼ばれるアフリカ大陸北東部にある共産主義を標榜する国家で、首都はアスマラです。(k)
1960年から1991年までの30年間エチオピアからの独立戦争を経て、エリトリア人民解放戦線を率いたイサイアス・アフェウェルキが大統領に就任し、マルクス主義・共産主義的政策に基づく政治を行っています。
2022年時点でアフリカの中では2番目に若い独立国であり、東アフリカと北アフリカ諸国の一つに位置づけられます。
西にスーダン、南にエチオピア、南東部にジブチと国境を接し、北は紅海に面し、1350km以上にも及ぶ長い海岸線を持ち、領海内にはダフラク諸島など約350の小島が点在し、対岸側にはサウジアラビアとイエメンがあります。
エリトリアという国名はイタリアが19世紀に植民地として支配するにあたり、ラテン語で「紅海」を意味する Mare Erythraeum にちなんでつけられたといわれています。
国の歴史ですが、ダナキル砂漠(アフリカ大陸東部、エチオピア北東部とエリトリア南部に広がる砂漠) は、現生人類(ホモ・サピエンス)が進化した場所であり、エリトリアは氷期終わりには既に現生人類が暮らしていました。
北部のカローラから南東のベイルルに至るまで51箇所の先史時代の遺跡が見つかっているのです。
エリトリアの紅海沿岸部のマッサワでは旧石器時代のアサリやカキを捕獲する漁の道具が見つかっていますが、エリトリアはアフリカの角地域で最も多くの岩絵が見つかっています。
主なモチーフは家畜化された牛であり、家畜への描写が豊かであるのと同時に、野生動物をほとんど描いていないことから、牧畜民的な性質のものと言えます。
エリトリアを含む地域には、紀元前10世紀-紀元5世紀にダモト王国、1世紀-940年頃にアクスム王国、中世にはこの地域に「ミドゥリ・バリ」と呼ばれる国が勃興しました。
主な住民は、エチオピアのアムハラ人とは文化を異にするティグレ人(エリトリアに居住するアフリカの民族)でした。
その後、オスマン帝国領やエジプト領やエチオピア領となり、1869年にエジプトでヨーロッパとオリエントを結ぶスエズ運河が開通すると、イタリアがエチオピアに介入を始め、1882年にイタリアが植民宣言をし、1885年に占領して支配下とし、1890年にイタリアはこの地を「エリトリア」と名づけたのです。
それからイギリス軍政下の時代や、エチオピア軍政下の時代を経て、独立して現在に至っています。
この国の地理ですが、気候特性の違いにより、紅海海岸平野地域、中央高原地域、西部高原平野地域の3つのエリアに分割することができます。
海岸平野部はアファール盆地にあり、ダナキル砂漠と高温の影響のため降水量が300ミリ以下と少なく乾燥していて、乾燥地のため河川は雨季の降水で現れる季節性のもワジが多く、主なものは北部を流れるアンセバ川とバルカ川、エチオピア国境に沿って西に流れスーダンに至るガシュ川(上流はメレブ川)、テケゼ川などがあり、海岸平野部は最も暑い地域です。
中央高原地域にはアフリカ大地溝帯の一部で海抜マイナス75mの低地ダナキル砂漠がエチオピアから広がり、その東は火山地帯となっています。
最高峰はアスマラ南方の国境に近いソイラ山(標高3018m)で、人口密度が高い地域でもある。
西部の高原平野部のアンセバ地域とガシュ・バルカ地域は牧畜と農耕が盛んな肥沃な大地が広がっていて、最も住民の健康度が高い地域でもあります。
エリトリアの教育ですが、小学から大学までの学費は無料で、国民の識字率は65.3%(男性77%、女性54.5%)、若年層の識字率は90%です。
また、エリトリアの伝統的な習慣に、コーヒーセレモニーがありますが、コーヒーを飲むことを儀式化した作法の一つで、日本の茶道と同様、コーヒーを飲むという行為に精神的な要素や教養などが含まれる文化的な習慣であり、他者に対する感謝ともてなしの精神を表すものです。
これは女性が執り行うものであリ、エリトリアでは結婚前の女性が身につけるべき作法の一つとされています。
ここから、エリトリア観光に入ります。
カトリック大聖堂とは首都のアスマラにある聖堂のことで、1920年代に建てられ、エリトリアに住む人々の中では広く知られています。
カトリック大聖堂のシンボルとなっているのが高くそびえる鐘楼で、市内にいれば必ずと言っていいほど目につき、待ち合わせ場所としても最適です。
また、道に迷った時にも鐘楼がいい目印になるので、観光者にとっても非常に助かるスポットです。
次に、メイン・マーケットです。
ケレンホテルの付近にあるのが、メイン・マーケットで、ケレンの中では最大と言っていいほどの規模で、果物や調味料など、たくさんの食物が売られています。
また食物だけではなく、食器類なども売られているので、お土産を買うための観光スポットにも最適です。
エリトリアを代表するメイン・マーケットというだけあって、多くの人でにぎわっています。
最後に、マッサワ国立博物館です。
エリトリアのマッサワにあるのが、マッサワ国立博物館で、同博物館は、当時の戦争におけるできごとを記念し、2000年に公開となりました。
戦争時代に関連した展示物が多くあることが特徴で、マッサワの歴史を知りたいという人にとっては、とても価値のある観光スポットと言えるでしょう。
マッサワ博物館を訪れて分かるのは、当時の戦争の歴史だけではありません。
自然科学に関連した展示物などもあることから、その辺りの文化についても知ることができるのです。
次回も東アフリカの国々を紹介します。
引き続き気楽に遊びに来てください。( ^)o(^ )