Nicotto Town


まったり時間。


母のこと。梅干しのお茶。つらつらと。



「梅干しのお茶をちょうだい。あれが飲みたいの」

母はわがままで、癇癪もちだった。何かあれば声を張り上げて怒り、誰であろうと怒鳴りつけた。

毎年のように友人たちと旅行に出かけ、父は置いてけぼり。

それでも父は、母の好きにさせていた。忍耐強い人だと思った。

足と膝がおかしい、と言うようになってから、何度か手術をした。

数年は元気だった。けれどやがて、歩けなくなっていった。

ほぼ一日を、ベッドで過ごすようになり。トイレの時には、わたしが支えて移動するようになった。

お風呂は、福祉介護センターで入れてもらえるようになった。週に二度。

食事の時には、背もたれのある椅子に座ってもらい、エプロンを付け。膝の上に小さなモバイル用のテーブルを置く。

柔らかく、飲み込みやすいものを料理して、食べてもらった。

母のお気に入りは、梅干しのお茶だった。毎朝、作って飲ませていた。

カップに梅干を入れて、スプーンでつぶして、種を取り出す。

ほうじ茶を注ぐ。

熱いままだとむせるので、さましながら。急ぐときには冷たい水を少し入れて、温度を下げた。

そうしてできた温かいお茶のカップを手渡すと、ゆっくりゆっくり、満足そうに飲んでいた。

わたしが家にいなかった時は、父に作れと言っていたらしいが、

父は作り方がわからなかったらしい。帰宅すると、むっつりした顔の母が、

「お父さんね、何にもできないのよ」

と、ぶつくさ文句を言っていた。カップの中にごま塩が浮いている惨状を見て、なぜそうしようとしたんだ。とは思った。

そうやって、一年。二年。

抱えても、足がだらんとして。ほとんど動かなくなった。

ものが飲み込めなくなり、やせた。

それでも「梅干しのお茶をちょうだい」と、朝になると言った。

飲むとうれしそうな顔をした。

母にとってあのお茶は、何だったのだろうと思うことがある。

誰かが自分のために作ってくれたと、実感できるものだったのだろうか。

何かを思い出すような、思い返せるようなものだったのだろうか。

やがて誤嚥性肺炎を起こし、手術。施設に入ることになった。

梅干しのお茶は飲めなくなった。

面会に行くと、何か話そうとするのだけれど、声帯がうまく動かないのか、

ひとこと言うにも時間がかかった。

母の友人たちの声を録音して聞かせ、母が好きだった讃美歌を歌うと、

にこにこして、ぱちぱちまばたきをしていた。

いろんな薬を投与されていたらしく、

パジャマや下着、タオルなどの汚れ物を受け取って、家で洗濯するが、

匂いが取れない。

何度洗っても、ものすごく変な匂いがする。

これを身に着けるのは、嫌だろうと、

何とかならないかと調べて、シャンプーを洗剤に混ぜると匂いが取れる、というのを見つけて、

何とか洗い上げた。

クリスマスのころには、乳香の入ったルームミストを差し入れて、

枕元に吹き付けて薫らせてくださいと、施設の人に頼んだ。

母が好きそうな、アニメの名作劇場のDVDを取り寄せた。延々と見るのは良くないので、1日にⅠ枚の約束で見せてください、と頼んだ。

ハイジやペリーヌ、赤毛のアンにトム・ソーヤー。母は楽しんで見ていたそうだ。

音楽や効果音が激しいものや、恐怖を感じるようなものは、避けた。優しい印象のものをできるだけ、選んだ。

薬の影響か、面会に行ってもぼんやりしていることが多くなって、

話しかけても返事がないことが増えた。

でもある時、

「お母さん。お祈りはしてる?」

と尋ねると、

ふっ、と。目に、光が戻った。

口を動かし、かすれた声で、

「いのって、るよ。ずっと。いのって、る、よ」

と、言った。

必死な光が目にあった。何かを伝えようとしていた。

自分のことではない。

残される家族のことを、母は。祈っていたのだと思う。

あなたが幸せであるように。

無事に生きていけるように。

どうか、守られるように。

日々、弱り。薬でもうろうとなりながら。意識の戻った時には、祈ってくれていたのだと思う。

それからほどなくして、母は亡くなった。

遠方に住む妹が、最後の時に間に合い、意識がまだあるうちに声をかけることができたのは、幸いだった。


「梅干しのお茶をちょうだい」

今も毎朝、梅干しのお茶を作る。元気だったころの母の写真を見ながら。父に差し出し、わたしも飲む。

「梅干しのお茶をちょうだい。あれが飲みたいの」

幸せそうに飲んでいたな、と思う。

「ずっと祈っているよ」

わがままで、癇癪もちで、好きなように生きた人ではあったが、

あの言葉をもらえたことは、感謝だと思っている。








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