Nicotto Town


なるべく気楽に気楽に~!


深淵の中の蝶

第九章

「はい」…「こんばんは、由佳里です」…「あ、由佳里さん今出ます」…「はい」数分待った頃に隣人の彼は出て来てくれた。彼は泣いた後のような顔をしていた。「…悠さん、食欲あるのか分からなかったので、簡単な物ですが…卵焼きを焼いてきました」私はほんの少し、泣いていたであろう彼へと笑い掛けた。
「わーすげー嬉しいっす、あんまり食欲もなかったんで、丁度良い飯っすね」…「良かったです、あの悠さんの好みの味付けが分からなかったので、少し甘めにしてみたんですけど…」…「一番好きな味付けっすね、良く分かりましたね…はは」…「何となく甘いのがお好きなのかもと思って…」…「取り敢えず、中入ってくださいよ」…「あ、はい…お邪魔します」…ドアを閉めるほんの一瞬私の香水の香りが漂った、その時彼は私を抱き締めていた。「…?ど、どうしたのですか…?」…「すんません…由佳里さんの付けてる香水…恋人が良く付けてた香りなんすよね…暫くこうさせて貰えませんか…?」…「あ、はい…分かりました…」どの位だろうか…彼は優しく私を包み込んでくれていた。「あの…悠さんが良ければですが…私も抱き締めましょうか…?」…「あー無理させてません…?」…「いえ…そんな事はないですよ…何だか、私でも役に立てるなら…と思いまして…」…「あー…じゃあお願いしても良いっすか?」…「はい…少し卵焼きを置かせてください」…「そうっすよね…」そう言った彼は私から少し離れ、私は卵焼きを玄関先へとそっと置いた。私は両手を広げ、「どうぞ…」と彼を迎え入れる仕草を取った。彼は「ありがとうございます…」そう言って私をとても優しく柔らかく抱き締めてくれた。私もそれに応えるべく、そっと大事なものを包むかのように抱き締め返した。…きっと彼は恋人さんの香りで私を見ているのだろう…そういう思考に辿り着いた私だ。…本当に大好きなんだろうな…恋人さんの事が…。暫くお互いに抱き合った儘の時間が過ぎる頃、彼は「なにもしないんで、もし良かったら時々こんな風に抱き締めさせてくれませんか…?」そう伝えてくれた彼に対して私は嫌悪感を抱くこともなく、「良いですよ」と受け入れる事にした。30分程は抱き締めあっていただろうか、彼は我に返ったように私からそっと離れ、「折角作ってきてくれた卵焼き、一緒に食いましょうか」…「そうですね、ちょっとしたものですが食べましょう」…「旨そうでしたし…楽しみっす」…「お口に合うと良いのですが…」そんな事を話しながら、「上がってください」そう彼に言われるが儘、部屋の中へ2人で入って行く。これからどんな時間が始まるのかは分からないが、…少しでも笑ってくれたら良いな、なんて私は思いながら、「お邪魔します」と彼へと伝えた。




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