ジュンチャンと世界を巡る 第82回はナウル
- カテゴリ:レジャー/旅行
- 2024/10/28 05:23:14
ナウル共和国(通称ナウル)は、太平洋南西部に位置するナウル島にある共和国です。
ソロモン諸島とギルバート諸島の間、バナバ島の西方300キロメートル、シドニーの北北東3930キロメートルに位置していて、国土面積は21km2、隆起サンゴ礁島で最高点でも標高が65メートルと平坦な島で、人口は1万程です。
ほぼ赤道直下に位置していて、海岸沿いを除くほとんどの部分は台地になっており、ほぼすべてがリン鉱石となっていました。
ナウルはかつてこのリン鉱石の輸出によって栄えていて、1980年代には太平洋地域で最も高い生活水準を享受し、公共料金や税金は無料という生活を謳歌していました。
しかし、リン鉱石の枯渇により1990年代後半から経済が破綻状態となり、再建に向け模索が続いている状態です。
ナウルの正式名称はナウル語でNaoero、 英語ではRepublic of Nauru、旧称はプレザント島 (Pleasant Island)、ナウルという名称は「私はビーチに行く」を意味するa-nuau-a-a-ororoという文章を縮めたものです。
国の歴史ですが、ナウル人がナウル島に渡来した時期は考古学・言語学の調査が十分に行われていないため詳細は不明ですが、紀元前2000年頃に西方からカヌーによって行われたと推測されていて、そのため近隣のマーシャル諸島やキリバスと同系統のミクロネシア系の文化を持つ社会が存在していたとされています。
またメラネシア系文化の影響も多分に受けており、古代にメラネシアとの交渉があったと推測されていて、地元の口承によれば数次にわたり異なる方角から別々の集団が渡来してきたということです。
1798年にイギリスの捕鯨船ハンター号の船長ジョン・ファーンが来島し、島をプレザント島と命名し、その後1830年代と1840年代には、食料と水を求める捕鯨船やビーチコマー(浮浪白人)と呼ばれる人々が島を訪れました。
1888年4月にドイツの保護領となり、1899年にニュージーランドの地質学者アルバート・エリスがリン鉱石の鉱床を発見すると、ドイツは採掘権をイギリス資本の「パシフィック・フォスフェート・カンパニー」に与え、1907年に採掘が開始されました。
第一次世界大戦でドイツがイギリスに宣戦布告したことで1914年11月にオーストラリア軍はナウル島を占領し、戦後の1920年にはイギリス・オーストラリア・ニュージーランドの3国を施政国として国際連盟委任統治領となったのです。
1942年8月に日本軍が占領、1,200人の島民がチューク諸島に強制連行され、多くの島民が死亡したこともあり、第二次世界大戦後の1947年には再びイギリス・オーストラリア・ニュージーランドの3国を施政国として国際連合信託統治領となったのです。
1966年に内政自治を獲得して、968年1月31日には独立してイギリス連邦に加入しました。
ここからナウル観光に入ります。
まず、Anibare Bayです。
ここはナウルきっての景勝地で、ここから見る海は素晴らしく、環礁に波がぶつかる光景は近くで見ると迫力があります。
ただ景色は良いですが、ここには砂浜は無くごつごつした岩場で、また泳ぐ事も出来ませんので磯遊びみたいな感じになります。
次にCentral Plateauです。
このエリアは基本的に殆ど全てグアノ(リン鉱石)の採掘場と採掘跡で、露天掘りなので、中央部には採掘された鉱石や、使われなくなった採掘機械が放置されています。
採掘跡は他では見る事が出来ない、ナウルやバナバ島等グアノ採掘が行われた場所だけで見れる独特の異景で、まるで月面の様な感じで、ピナクルと呼ばれる隆起したサンゴの化石が一面夥しく墓石の様に立ち並んでいます。
最後に、Buada Lagoonです。
ここはナウルのオアシスかつ唯一の水源で、湖は緑色で水は綺麗ではありませんが、ミルクフィッシュと言うマスに似た魚がいます。
湖の周りはヤシの木や教会があってとてもいい感じで雰囲気がある場所で、この湖は雨水が溜まったものではなく、天然の湧水が溜まった湖とのことです。
次回からはメラネシアの国々を個別に紹介しますので、引き続き気楽に遊びに来てください。( ^)o(^ )