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もらったステキコーデ♪:25

「折られた白杖は7本」 暴行被害に声を上げた視覚障害者の願い(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

https://news.yahoo.co.jp/articles/0996c07f0622cc890884acc58f774df05cc1c308
11/13(水) 18:15配信

昨日、上記の記事等につけられているコメントのあまりのひどさに愕然とした。

コメント上位に ずらっと 「視角障害者がじゃま・杖で人や物を叩くのだから報復されるのが当然」と言った投稿が並んでいたのだ。

今朝は ちょっと順位がかわっていたが、昨日は、はっきりっいって AIピックアップ分も含めて コメント欄のほぼ5ページにわたって その手の趣旨の投稿がが上位に挙がっていた。

(AIピックアップというのは 反社会的・非常識・無知蒙昧な書き込みを、「多様性」の名目で上位に掲載するから始末に悪い はっきりって LINEと統合されてからのヤフコメ欄でピックアップされているコメントは 「韓国人の常識=弱者・老人蔑視の思想」に貫かれていると言わざるを得ない 
 これははっきりって 通産省と文科省・厚生労働省が介入すべき事態になっていると 私は最近考えるようになった次第)

そこで改めて思うのは、「視覚障害=見えない」意味と、「白杖の用途」が、わかっていない人が多いなということ。

①白杖の役割
視覚障碍者が、杖を持って リズミカルにコツコツを杖を鳴らしてい歩いている目的、
 一言で言えば 地面を手探り足探りで歩くことができないから 杖で 足元を確かめているのである。

 「いや 足で探りながら歩け」という人もいそうだが
(ヤフコメ投稿者 及び私が知っている多くの韓国人は実際平気でそういうことを言うんだ>< 
中国からの院生は来日前にそういうことを言ってはいけないとレクチャーされてくるから言わないけど、たまに本音で杖でなければなければならない理由がわからんという人が居たけど・・)

足元に石やとがったもの 穴やくぼみ 段差があれば、
足探りで歩いていると、それらに足をとらえて傷ついたり転倒の危険が高い

しかも 幼いころから目が悪いと、体のバランスを上手にとることもむつかしいケースが多いのだ。
(うまれついての全盲の子供には まっすぐ立つことを教えることすら難しく 盲学校幼稚部の指導課題(難問)としてかつて研究が進められていたくらい)

見える人間にとっては、目で見て自分の姿勢・体のバランスをとることが当たり前のようにできる。そういう育ち方をしている (何かを飛び越える時に目測するだけでなく、歩くときも
なにかの拍子で傾いた体を立て直す時も 無意識の時に視覚情報を利用している)

しかし 生まれた時から見えない・明暗がわかるだけ・ぼんやりと何かがありそうだとわかるだけ(距離や輪郭はわからない)の人にとっては・・

杖を使って、自分が半歩踏み出す先に「なにかがない」ことを確かめなければ 足を出せない

だから、前に人が居ることもわからない
 杖が前方のなにかにあたった=止まる・よける・歩行速度を緩める

のだ。

その杖が当たった対象が、他人のかかとなのか、車なのか、キャリーケース類なのか 単なる凹凸なのかは不明

だから 「杖の先になにかがある」とわかるたびにいちいち謝っていたら ”それこそ「何もないところ」(と『目あき=晴目者』が思う場所」にペコペコ謝りながらブツブツ謝罪しながら歩く変な人”になってしまう。
 というか 歩きながら 足元の石や段差に謝りながら歩くなんて無理でしょ、現実問題

特に白杖を使う人は 杖で 足元の障害物を確かめて回避しながら歩くことに精一杯なのだから。

たまに、視覚障碍者の杖が自分の足や持ち物にに当たったからと言って晴眼者が文句を言うな! である。

 そりゃ 不意に何かが当たれがびっくりする気持ちはわかるけどさ。

 視角障害者の側だって、杖の先にあたった「何か」を回避するのに必死なんだから・・

・もしかしたら 無知な人にとっては、白杖使いが、コツコツとあちこち叩きながら歩いているようにしか思えないのかもしれない。

だが コツコツ鳴らしながら道を歩く視覚障碍者というのは
あのコツコツという音そのものが こうもりにとっての音波のように レーダーの役割を果たすのだ。

(中途障碍者の場合は 手探り足探りのように「杖がなにかにあたった。よけよう」的感じだが、幼いころから 白杖を使った歩行訓練を受けている人=重度視覚障害 の人に取ったら
白杖が出す音こそが 道しるべなのだ!!)

このあたりのことについての情宣・啓発がもっと必要だと思った。

「見える」「見えない」と
「視力があてになる・見えるけどわからない」「視覚が使える・使えない」のちがい

はっきり言って 見え方は千差万別だ

・話がややこしくなるので「視知覚認知」の問題は割愛する
これは 視力に問題が無くても「見えてるはずのものの弁別力が弱い」話なので。

一般的に、「視覚障害=目が悪い」⇒「見える・見えない」の2極分化でとらえる人が多い。

だが 近視や老眼の度が進んできた人なら感じることもあるかと思うが、
「なんかあるのはわかるけど よくわからん」
「字が見えるけど読めない」
「見えてるのに(距離感がつかめなくて)ぶつかった」
といった具合に 見えてるからって視力が使えているわけではないのだ。

私など、加齢による斜視で、一つのものが複数個に見えてしまい、日常生活で困ることがよくあった。
 しかも それについて適切な診断を下し眼鏡の処方を書いてくれる医師に出会うまでに数年を要した。(眼科の開業医が少なく 奴らは紹介状を出さないから 自分で 初診料ン万円を支払い 受付・看護師どもに嫌味を言い倒されながら 大学病院の眼科(それも2大学も!)受診して やっと まともな処方を得た、しかも斜視専門の外来予約が詰まっているので 次の検査のための予約・予約で初診から眼鏡の処方が出るまでに(まともな診断を下した二つ目の大学病院だけで)ほぼ1年かかった。そして 斜視用の眼鏡による新たな「視覚世界」に慣れるまでに約半年かかった。
でもその甲斐あって 『外を 何にぶつかることもなく 段差に足をとらえることもなく歩けるようになった。』

それくらい 「視覚」というのは多様で「視力=日常生活で安全に移動するに足る見え方」の確保というのは、大変なことなのである。

(足の筋力が衰えて わずかな突起・段差で躓くのとは異なり、
自覚しないまま視力が衰えていくと 遠近感がずれてしまい目測をあやまって あちこちぶつかったり 角に引っかかったり 階段・段差を踏み外して派手に転ぶのだ。

階段の手すりをつかもうとして目測を誤って 手すりをつかみ損ねて転んだこともある。 だからその後は 階段の近くでは速度を落として そろそろと手を伸ばしてしっかりと手すりを握ってから1歩を踏み出すことにした くらい)

・産まれた時の視力に問題なく 車にはねられて後頭部を打って気絶して半年の間に 両岸とも視力が1.2から0.01まで急降下した時も とまどったが、
眼鏡補正の 両眼合わせて0.1~0.3の生活になじみ
成人後なぜか 視力が若干回復して、かつて眼底検査であった視神経の傷も回復し 一時期は普通に車を運転できるまで回復した時期もあり、その後 ゆっくりと斜視などがすすみ(たぶん長時間PC作業の影響もあると思う><)

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2024/11/15 11:35
ちなみに 弱視の友人たちにとって、外出先の待ち合わせに「スマホ・携帯電話」は必須なのだそうです

弱視だるがゆえに 近づいてくる人がたとえ友人で会っても判別できない
でも 周囲の大まかな状況から 待ち合わせ場所はわかる
 (これが 視力障害の特徴なんです。場所は 五感を駆使して大まかな特徴と合わせて判別できるが
  隣に立っている人の顔の見分けがつくほどの「見る力」はない!
  しかも 待ち合わせに使う場所が 視覚障害の人にとってわかりやすい場所を選んでいる
  (どんな場所でも見分け・区別がつくわけではない))

そこで 目的地に着いたら まずスマホや携帯を取り出して使う
 (スマホのあの小さい字が見えるの?と尋ねたら 自分達用に文字配列をカスタマイズしてたら、
  私が表示板のシミを読解するのと同じで、シミの並びを見てその配置を覚えていることもあり、
  なんとか入力できるらしい!!)

そして 呼び出し音で相手の位置を確かめるのだそうです
(各自 自分の携帯の呼び出しを音を工夫しているし 友人の携帯の呼び出し音も互いに覚えているそうな)

すると 呼び出し音とそれにこたえる通話の声の位置から、待ち合わせ相手が 隣に立っていたとか 後ろに居たと気づくこともよくあるそうです。

ホントに みんな 独自の工夫を凝らして 「弱視・盲学校出身」というひとくくりに納まらない
各自の障害の程度に合わせてサバイバルしています!

だから「目あき」の思い込みで スマホや携帯を操作している視覚障碍者を嘘つき呼ばわりしないように!! 
そして 「スマホを使えるならxxもできるよね」なんて決めつけてはいけません
 スマホを使っていても その使い方は、その人独自の使い方で、
 私たち 「一般」枠の人からすると予想外の用途 予想外の使い方をしていることもよくあるのですから。

 これは ハンディキャッパ―が使う ほとんどの道具類にも言えることですが・・。
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2024/11/15 07:52
最後に一つ

視覚障害の人は 自分の周りの人のことが 文字通り「見えない」のです

だから 手を貸す前に 自分の意図・相手に何をしようとしているかを 「まず 言葉で具体的に説明する」ことが必要です。

視覚障害の人が落とし物をすることはまずないですが 仮に 何かを落としたとして
「xx色のサイフが落ちましたよ。あなたのですか」と声をかけてから その人が手をの場せば受け取れる場所に差し出し、あいてが 受け取りそうなら「ココにあります」と相手の手にサイフが降れる位置に差し出すとか
 (色が見えなくても 自分の持ちモノの特徴として色や形を記憶している人は多いから 言葉で外観説明は重要)

視覚障碍者の体にいきなり触れてはNG
 過去に乱暴された経験のあるひとは 触れられることそのものに恐怖を覚える

かといって 視角障害者やの前に黙って突っ立ってもダメ (不気味に思われる)
 「こんにちわ」な度当たり障りのない声かけをしながら接近して 少し離れたところに立つ

など いろいろと。

あと 杖を使う人の真ん前に立つと 進路妨害になる

ガイドの時も 地域により 障害者がヘルパーの「肘をつかむ 肩に手を置く」 など 
エスコトートのやり方がいろいろ違ったので、初対面の時には どのように手を貸せば良いのか
相手に具体的に尋ねたほうが良い
 ヘルパーが 視覚障碍者をつかんではいけない
(誘拐される恐怖心を与える 事実ヘルプのふりして障害者を襲う悪い奴が多いから><)

仮に 怒りっぽい人に出会っても 穏やかに 自分の意図と状況を説明するか
 おだやかにきっぱりと「悪意はありません」と言ってその場を去れば良い
 もっとも 昔の青い芝の元気な障害者と違って
 私が出会った 視覚障碍者は 警戒心は強いが大声を出さない人ばかりだったけど・・。
  それに 友達付き合いに関しては 「会話」がメインだから みんな気持ちの良い話し方をする人ばかりだったけどなぁ。表情が読み取れ無い分 会話のトーンに非常に気を配る人達ばかりだった。

だから ヤフコメに多い「怒り散らす視覚障碍者」なんて 私はみたことがない
 あれは 嘘コメだと思う。

ちなみに 軽い麻痺のある肢体不自由の方は 麻痺ゆえに 「ろれつが回ってない・大声」と一般人から誤解される話し方になる方がいるのは 仕方のないことなんだけど。
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2024/11/15 07:35
(本文の続き2)

というよりも もともと「見えない」ことの方が多いから
自分の周囲の環境・状況で把握できないことも多いのです!!

その典型が、満員電車の中でも、乗車口の前方且つ車両の中間点で 一方向を向いたまま 必死になって立っている視覚障碍者。
 最近は その姿を見ることが減ったけど
 あの人たちは、電車に乗って そのまままっすぐ立ち続けないと 途中で体の向きが変わると 今度は 降りるときに出入口がわからなくなるから 一方向を向いて立ち続けるしかないのです!!

それを じゃま! とか言って ついたり押したり 怒鳴りつけてはいけません!!

込み合った状態というのは 音も臭いもまじりあって
周囲の状況把握が一層難しくなるから
通院・通学の為に満員電車に乗らざる絵を得ない視覚障碍者に取ったら ホントに大変なのです!

重度の視覚障害の人を診断・処方できるのは 実質大学病院クラスのみ そこはたいてい 受付が8時半~10時まで見たいな感じなので、満員電車を利用せざるを得ないのです!
(障碍者が満員電車に乗るなという暴論を吐くなよ!おい!)

・とまあ 字数制限があるので ここまでにしておくが
ほんとに 障碍者の生活に無知な人が多すぎる!!

車いす利用者だけが障害者じゃない!

むしろ 視覚障碍者用座席が 電車のドアの横に設置されても良いくらいだと思う
 そのほうが 視覚障碍者の安全も守れるし、
 満員電車の中で イラつく人もいなくなって一挙両得だと思う

あるいは 一般の長い座席の中でも 両端の棒が建っている場所を 視覚障碍者優先席にしても良いと思う
 白杖を持っている人がいたら その場所を譲る
 目あきは ほかの空席に移ればいい

 混んでいて 席を譲りたくないときは、ドア横のスペースに
視覚障碍者が立てるように マナーを徹底するとか。
(あのスペースは たいてい 背の高い 若い男が壁にもたれてスマホいじりの場として占有していることが目立つけどね
 本来なら 視覚障害の人にこそ譲るべきだわ)

それとか 快速や急行によくある 入口側の座席の背中から引き出して座る椅子とかも 白杖を持つ人に譲るとか 
アバター
2024/11/15 07:35
(本文の続き)

社会的には一般人の枠に収まっている私ですら、
急に両眼あわせて0.01になったときには、落ちているボールを拾おうとして突き指したり、バレーボール授業で レシーブやパスをしようとしたらすべて顔に当たったり(小6の担任は交通事故後の私の視力低下を知っていたのに授業参観等を使って ほかの教師や保護者の前でさんざん 「勉強ばっかりでバレーボールを顔でしか受けれない子がいて」とバカにした)
道を歩いているときに 路上駐車の車や 歩道にはみ出している看板などにぶつかりまくった。

結局 「見えている けど 目が使えない状態」になったわけだ。
その一方で 盲学校出身の弱視の人達の間でよく言う「生活視力」=「目そのものが悪くても 自分の目の使い方を覚えると日常生活はなんとなる」ことも多いのだ。
 
「シミ」のようにしか見えない文字でも 見慣れた感じやよくある単語のかな表記だと 何となく何が書いてあるかわかるのです。ぼんやりとしたシミの形を状況判断から読めてしまうのです (だから 大阪府下の駅名等は頭に入っているから 遠くからでも読めるけど なじみのない土地に行くと 案内表示の真下にたっても 私の視力では字形の判断ができないから読めないw まじですコレ)

それくらい「使える視力」にはバラつきがあります
 それこそ 人は 「視力」のみで見ているわけではない!
 語感と頭の中の知識と経験を駆使して「見てる」のです

なので、生まれついて視覚障碍者というのは、
もともと「視覚的知識」に乏しいので
「やっとのことで見えても 何を見ているのかわからない」
ことが多い



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