トラウマ=?
- カテゴリ:ココロとカラダ
- 2024/12/07 19:15:30
体感覚に紐付いた記憶…かな?
メモってひとつの記憶媒体なので…
メモ取るだけで「あれ習ってた」「忘れていたけれどこんな話だった」
の知識の紐付けで思い出せます。
yabata_spiritual
やばた
Instagramよりおすすめ
トラウマって筋肉が記憶している感情…
ってやばたさんがzoom で語られておりまして…筋肉でたしかに記憶しているんですよね…ノートを見なくても、日本語だいたい書けたり、ローマ字綴りを書けたり…ノートにペンをなぞらせる感覚を筋肉が覚えているから、手心加えないと紙破いちゃうとかくしゃくしゃなんですが…とかにもならず、メモとしてギリギリ読めそうな文字が並ぶ訳です。キレイに方向性もなぞらえたうえで。
まぁ、「あ」を書くときの感情はこう!とかって伝わらないレベルじゃないですか…でも「再現」出来ちゃうシアタールーム=筋肉って説明には納得。やっぱりアバターありき、自分ありきで人というものは形成されている…他人がどうこう以前に、ですね。
老人にガタが多いのは再現が「いいこと」「わるいこと」いろいろ「再現」がありすぎて「苦手意識」も増えていったりいろいろで、「わしゃいいんじゃ、どうせのところこうなんじゃ」という抱えすぎた「あたりまえ」が結局「老人って頑固」みたいな正体なのかもしれませんね。苦労して筋肉疲労…を繰り返している人は「苦労してあたりまえ」「だからあなたもこうしなさい」という筋肉の記憶どおりを「再現」しようとしちゃうんでしょうね。そこで称賛をいただいたり、美徳ですよねという方々に囲まれていると、そこから抜け出せもしなくなる訳です。恐ろしくも環境の影響というものです。
子ども心の純粋さには浄化作用ありそうですよね。知らないことだらけだからこそある「のびしろ」「可能性」を大人や自分たちの人生を「再現」するだけ、にならないかどうだか…自由であっていいような、最低限筋肉に体感覚の記憶をと思うような…
とにかく、筋肉って疲労したら使い物にならなくなるので…「マイナス」を注ぎ続けると苦しくなるばかり…
「この人には会いたくない」
「学校って行きたくない」
抱え込んでいる記憶でもあり、筋肉と感情の連動でもある…
だからこそ
「学校?すっごく楽しいよ!」
っていう体感覚の人と巡り会えた時、
すっと軽くなります笑
その人はウキウキしていて、
体調もきっとよくて、
声も表情も楽しげで、
優しかったり、暖かかったり、
勇気を分け与えられるくらい心づよい心身の整い方をしているから…
クラスにそういう人が居た時期はとっても学校が楽しくて
なんであんなに楽しかったんだっけ?を今さらながら語彙力に注げた気分です笑