【川柳】2024年の思い出を5・7・5で一句
- カテゴリ:今週のお題
- 2024/12/30 16:13:03
病得て 果てる時期(とき)をば思わざる
病気であることが分かっしまった
でもその時を思いながら生きるのは辛すぎるから
毎日を今まで通り生きよう
今年5月に夫の病気が発覚し、医師から余命宣告された
今も先のことを考えると眠れないことがある
どうしてうちの家族に?
そう思いながら半年を暮らし
余命は確実に少なくなっていく…
「私だって明日死ぬかもしれないのよ」
そんな言葉は本人にとっては何の慰めにもならない
でも、日々たくさんの方が亡くなっている…
老いも若きもいずれ来る「死」を避けることはできない
まいにち毎日かんがえて考えて、辿り着く結論は何もない
残る私もまた寂しさに打ちひしがれるだろう…
95歳になる母が「いずれは慣れるよ」と言った(父も健在)
なんて残酷な言い方だろうと思ったが、それが現実なのかもしれない
一番つらいのは本人、でも家族はつらいとは言えない
では今何をすべきか…
特別なことはしなくてよいのかもしれない
毎日なるべく笑顔で、なるべく今までどおりに暮らそう
最近になってやっとそう思えるようになった
そしてここが私のよすがになっている
四季さん ありがとうございます
お母さまの訃報を聞かれたときは驚かれたでしょうね…
心残りにならないよう、四季さんのお言葉を心に留め
後悔のないよう今できることを積み上げていく…
そういう暮らし方を心がげようと思います
つらいのは本人で、私はつらいとは言えません
ここでみなさんと語らうことで少しガス抜きをさせていただき
明日からも明るい顔でいられるようにしていこうと思います
来年もどうぞよろしくお付き合いお願いいたします
どうぞよい年をお迎えください
ヒー!さま ありがとうございます
ちょっぴり明るくなれたのは、時間の経過とみなさんとの語らいがあったからです
コロナ以降はリアル友人とも会う機会がほぼなくなり
ここでのやりとりが私の社会交流です(笑)
そそ、そうなんです…
余命なんか知らない方がよかったと主人は言うのですが
知らなかったら大好きな煙草はやmっることなく、短期間で逝ってしまったかもしれません
病気を知ったことは、神さま(信仰はありませんが)の思し召しかな
短いかもしれないけれど、残りの日々を有意義に生きなさいということではないかと
ヒーさんがお母さまと過ごした一日一日と同じように、私も過ごして行けたらと思います
まだお会いしてから日数も少ないですが
かけがえのない普通の、そして楽しい時間を共有してくださってありがとうございます
来年もまたどうぞよろしくお願いいたしますm(__)m
ばんびさん ありがとうございます
年末のTVを観ると「今年逝った方」を紹介するコーナーを目にします
人さまの人生を見せていただくと、わが家なんて苦労は少ない方なのかな…
「俺よりもっと大変な思いをしている…」そう涙ながらに主人が呟きます
最近涙もろくなり、現状はこれでいいのか…そればかりを考えているようです
ワンちゃんたちはみんな大切なご家族…ばんびさんの愛が伝わってきます
言葉が通じにくい関係ですが、想いは伝わっているのではないでしょうか
私は事情があったとはいえ、愛する小鳥たちを手放したことを後悔しています
ときどき動画を観て涙が零れます。今幸せにしているかなって
そんなことを考えると、主人のために飼ってあげたい犬も
私たちの癒しのため優先で、これから故郷の両親に何かあったとき
主人の病気が発症したとき、私に何かあったとき、その子は間違いなく寂しい思いをする
それが分かってしまっている中で迎え入れるなんて、していいはずがないと思うのです
いないときは誰かに預ければいいって考えの主人なので話が平行線です
そんなことでまだ決まっていませんが、また悩むときはぜひとも相談に乗ってくださいね
もし迎え入れた時に、その子の命が尽きるとき、澄んだ眼差しで見つめあえるために
今年もいろいろありましたが、来年もまたいろいろありそうですよね
どうかこれに懲りずにお付き合いお願いいたしますm(__)m
新しきよい年をお迎えください
usamimiさん ありがとうございます
みなさん さまざまな苦境を味わって今を生きておられるんですね
私の場合は、むしろ今までが平穏過ぎたのかもしれません
日々のことに流されて「悔いなく一日を過ごす」はなかなか難しいのですが
気持ちで崩れて行かないよう、楽しいことを探して生きていこうと思います
どうか来年も楽しいひとときを過ごすお付き合いをお願いいたします
本年もありがとうございましたm(__)m
たまたま、その2日前に会いに行っていたので、「まさか」という思いで信じられませんでした。
あまり旅行に行ったりしない家庭でしたので、私も母を旅行に誘った事もなく、一緒に遊びに行ったような思い出が、たぶん皆さんより少ないと思います。
もっと会いに行けば良かった、どこへでも連れて行けば良かった、などと思います。
旦那様と過ごす毎日が、悔いのない日々でありますように。
あめぶるさんと旦那様が、心安らかに過ごせますようにお祈りしています。
ご主人の余命を知ってしまったら とても苦しくて不安で悲しくて辛いですよね
私も14年前 母の余命を告げられ 突然のことだったので 動揺通り越してパニックになりました
いつかはって漠然とは思っていても いざ宣告されるとショックでした
でも突然別れが来たら 会いに普段行かないし…後悔してたかもって思うと
宣告された方が 一日一日を母との時間を大切に出来たので良かったと今は思えます
かけがえのない時間を 普通にお過ごしくださいね 普段通りが最高に幸せの時間です!
親を送った後は順番ならあの人かなと思っていると、同級生が他界したと情報が入る。
コロナで叔父が亡くなる。周囲がそんな様子だと明日は我が身に思えて、もうやりたいことをやって好きなだけわがままを言って…野放図に生きて人に迷惑をかけ続け、やっといなくなったねと言われるくらいにのさばってやろうか?いい人である必要はないのだ。
そんな葛藤が生まれてます。人間だもの。考えてしまう。私が看取った3頭の犬たちは満足な生涯を送れたのだろうか?あの子たちは自分の命について何か考えていたのだろうか?長生きしたねと周りからは言われたけど、長生きして介助なしでは歩くことも食べることもできなくなって苦しんだのではなかったのか?
でも…最期の時、息絶えて、それまで充血していた眼が澄み切ったのを見た時、この子と一緒に過ごせてよかったと思ったのです。親たちを送った時とは全く別の愛おしさがありました。その澄み切った眼が私を浄化してくれたと思うのです。
5月にホスピスに移られるギリギリまでニコタを楽しまれていました。
今は双子のお姉様が後を引き継いで続けていらっしゃいます。
私は不整脈があって薬を処方してもらっており
夜布団に入るときに明日は目覚めるかしらと思うことがあります。
でもいたずらに不安になるのはやめようと思います。
とりとめのないコメントでごめんなさい。(_ _)
ひよっちさん ありがとうございます
余命なんてあてにならない(くそくらえと言ってますが)…
今のところ症状もほとんどなくて、治療法がないので投薬と運動療法のみで凌いでいます
症状が出始めたらもっと落ち込むんだろうな~と思いながら…
でも、日々を大切に生きているかというとそうでもないし
以前と同じように、同じ生き方を続けるようにしています
ただ、行きたいと思っていたところへ行く予定を決めたり
欲しいと思っていて買っていなかったもの(レコードプレーヤー)を買ったり
そんなことで悔いのないようにと…
もしここでみなさんと再会していなかったら
自分の方向を見失っていたかもしれません
いつも話を聞いてくださってありがとうございます
来年もよろしくお願いいたします^^
明さん ありがとうございます
心細さというドンピシャな表現!まさにそのとおりなんです
たしかに人はみな死ぬし、一緒にということはないでしょう
だからだれしも通る道を私たちも静かに進むだけなんだと思います
四の五の言っても始まらない…
ただ、突然ではなく時間があるのが怖いだけなんですよね
知ってしまった余命のせいで寿命を縮めないようにしなきゃ
と思うこの頃です
あたたかいお言葉ありがとうございます
来年もまたよろしくお願いいたします^^
hiroroさん ありがとうございます
余命って心を打ち砕かれる言葉ですよね…
二人っきりで暮らしてきた30年を思うとき、
そして一人で生きてゆかなければならないこれからを思うとき、
心が折れてしまいそうになります
いつかお別れ…分かっていることなんですが、考えないようにしていたこと
それを目の前にはっきりと示されると人間って弱いのものですね
おっしゃるように、記録を作るぞ!くらいに勢いで生きていてほしいと願うばかりです
やさしいお言葉に感謝します
そして来年もよろしくお願いいたします^^
ぴろたん☆さん ありがとうございます
余命なんて知らない方がよかったって何度も話しています
でも、検診で知った病気の存在は、残る人生を大切に生きるための報せかな
そう思って暮らしています
やめた方がいいよな生活習慣はきっぱりやめることもできました
だからいいこともあるのかなって思います
こちらこそ、ありがとうございました
来年もよろしくお願いします^^
ナオさん ありがとうございます
亡くなる直前までお仕事を続けられたお父さま、またそれを見守ったお母さまは
どれほど辛く苦しく悲しく寂しかったでしょう
そしてそれを見守られたナオさんのお気持ちも察して余りあります
もし、自分がその状況に置かれたとき…のことを考えると想像を絶します
夫も私も往生際が悪いのかもしれませんね
私はごく身近な身内家族の死を体験したことがありません
夫の家族は4人見送って、最後は夫も?
でも、それも誰もが経験することです
おっしゃるように穏やかに、時間を大切に生きていこうと思います
やさしいお言葉をありがとうございます
でも、明さんの仰ってる通り、医者の言う余命って絶対じゃないですよね。
知人に、余命2年と言われその10倍以上生きられてる方もいます。
なので、余命宣告に振り回されることなく、、でも何ができるかというと、毎日を大事に過ごしていくのが一番かと。
辛くなった時にはいつでも吐き出してくださいね。聞くことしかできないけれど、、いつでもここにいますよ。
あめぶるさんの大変さ、心細さは私の想像の上をいくことだろうと思います。
先に行く方も残される方も、どっちも辛くて悲しい。
避けられないことだとしても…このことに関しては、慣れることも前向きになることも
とても難しい気がします。
一日でも多く、普通で大切な日々を重ねていけますように。
余命宣告なんて、絶対じゃないですからね。
お医者さんもビックリするくらい延ばしちゃいましょう!!
認知症だったので 本人には知らせず
最後の面会に行った日、私が帰る前、私の手を強く握りしめてなかなか離してくれませんでした
その夜母は亡くなりました
まるで最後のお別れされたようでした。
いつかはお別れしなければ いけない時が来る
その時まで 普通にたくさんお話ししてあげてください
1日でもそんな毎日が長く続きますように
大変さは、ご本人やご家族にしかわからないですよね。
でも、毎日普通にが1番だと、私も思います。
今年もありがとうございました。
よいお年を
父が亡くなった後、母に父がガンの宣告を受けた後どうだったのか聞いたことがあります。
私の父は医師だったので告知する側はな何度も経験していたでしょうが反対の立場になり最初は、かなり混乱し落ち込んだ様子だったけれど比較的に早く立ち直ってくれたと言っていました。
そして亡くなる2週間前まで車椅子で診察を続け入院後も半日だけ自宅に戻り診察を続けていました。
最後まで日常の暮らしを続けて亡くなりました。
傍で支えた母も精神的にも肉体的にも大変だったと思います。
一日一日を大切に、あめぶるさんも健康に気を付けて、お過ごしください。
友人の、お父様は自宅で過ごしたいと退院され周りは大変、心配したそうです。
寂しいから近くに居てと、お母様を何度も呼ぶ以外は穏やかな暮らしを続け亡くなられたそうです。
沢山、お話をする時間を持たれるのが良いかと思います。