Nicotto Town


もふもふ0304


ファイヤーエムプレスローズ 9


中の国の王子は、緊張していました。女帝が間もなくこの塔を訪問するとの知らせがあったのです。

 王子は数日前、この城に連れて来られた時のことを思い出しました。

 謁見の間には各国の大使や商人など大勢居ましたが、中の国の王子の到着が告げられると、人々は彼に道を開けました。王子が女帝の前まで進むと、一段高い玉座の上から、女帝の声がしました。直視するのもはばかられる威厳が漂ってきます。
「長旅ご苦労であった。望んで参ったわけではなかろうが、講和が成るまでゆるりと滞在なされよ。こちらでも出来るだけ便宜を図るゆえ、何か必要なものがあれば見張りのものに伝えるように。何か聞きたいことはあるか」
王子は答えました。
「お言葉に甘えましてお聞きします。捕虜となった者たちはいかがなりましょうか」
「それはそちらの態度次第じゃ。おとなしく囚われておれば悪いようにはせぬ。脱走を企てたり、周囲に危害を加えるようなことがあれば、それなりの報いを受けさせる。自信を傷つけるようなことも同じじゃ。そなたは貴国に対しての人質、捕虜どもはそなたに対しての人質じゃ」
「逃げたり逆らったりする気は毛頭ございません。彼らに人道的な扱いをいただきますよう、伏してお願い申し上げます」
「そうできるよう、こちらも望んでおる。話は以上じゃ」

 そうして王子は東の塔に入れられました。
 この塔から出る自由がないことを除けば、何一つ不自由のない暮らしです。部下のことは気がかりでしたが、二の姫は約束を守ってくれて、受け取った手紙には部下の字で、何も不自由ないことと、怪我人もいないことなどが書かれていました。
 
 女帝が塔に着いた気配がします。近衛の騎士と、女帝が部屋に入って来ました。促され頭を上げると、目の前に女帝が立っていました。女性にしては長身ですが、今まで抱いていた印象よりはずっと小さく感じられます。間近で見るその美しさに、王子は殴られたような衝撃を受けました。二の姫とよく似た顔立ちなのですが、何かが決定的に違います。けれどその何かが何なのか、わからないままにまじまじと顔を見続け、近衛の騎士の咳払いで我に返りました。
「これは失礼いたしました。妹君とよく似ておられますね」
「あれと意気投合した様じゃな。面白い男だから会いに行け、とあれに言われたのじゃ。謁見の間では固い物言いをして済まなかった。諸外国の大使などが聞いておったゆえ、偉そうに見せる必要があったのじゃ」
「妹君は面白いお方ですね。私、人質の立場も忘れて話し込んでしまい、何だか長年の男友達と一緒にいるような気になって…いや失礼」
「よい。あれは好きでああしているのじゃ。好きなことを存分にするのがあの子らしい」
「陛下のお好きなことは何でございますか」
王子が問うと、女帝は戸惑った顔をしました。
「好きなこと、とは」
「ご趣味は何でございますか」
「趣味…趣味?」
「お暇なときには、どのようなことをなさっておいでです」
「暇な時…公務がない時か。陳情書に目を通したり、宰相おすすめの文献を読んだりしておるが」
「ええと…嬉しいとか楽しいとか感じられること、集めるのが好きな物など、何かございますか」
「妹たちや臣下や民などが、幸せそうな顔をしているのを見るのが一番嬉しいな」
「陛下ご自身が、なさって楽しいことは…」
王子の問いに困惑顔の女帝に助け舟を出そうと、近衛の騎士が口を開きます。
「陛下、私なども、任務が趣味のようなものでございます。暇さえあれば剣の稽古や心身の鍛錬などに取り組んでおります。数年前から、滝行も始めました」
「滝行とな」
「はい、滝に打たれて邪念を吹き飛ばし、どんなことがあっても動じない強い精神を養うという修行です」
「なにやら冷たそうじゃな」
「冬場ですと滝に入るのに、かなりの決意が要りますね。でもそれを乗り越えると、一回り自分が大きくなっているような気が致します」
「そう感じられるのが嬉しいのじゃな」
「はい。何事にも動じず陛下をお守りできる騎士でありたいと常々思っております」
「職務熱心じゃのう。……さて、趣味か…」
尚も考え込む女帝に
「剣の稽古も楽しいですが、私は馬の遠乗りも好きですよ。ただ馬を駆けさせることだけに集中し、人馬一体となった時のあの感覚、他には替え難いものがあります」
と王子が言います。
「二の姫と同じじゃな。あの子は体を動かすことが好きなのじゃ。三の姫は本が好きで、末の姫は美しいものが好きなのじゃ。妹たちに、それぞれが喜ぶ贈り物なぞ考えるのは楽しくてのう…」
近衛の騎士と、石の国の王子と、その見張りの衛兵が、じっと女帝を見つめます。
「ううむ…趣味など聞かれたのは初めてじゃ。とんでもない難問じゃ」
「恐れながら陛下、趣味をお聞きするというのは、もっとも一般的な社交辞令かと思われますが」
見張りの衛兵が言いました。この兵士、近衛の騎士と、同じ剣の師匠についている後輩です。
「今まで、これをやったら楽しかったという思い出などはおありでしょうか」
「楽しかったこと…子供の頃、母上の生国に遊びに行ったことがあったな」
「蓮の国でございますね」

 蓮の国は、薔薇の国より南側にある国で、沼や湖が多く、国中で蓮や睡蓮が作られています。淡水魚や、淡水真珠なども産出します。
 この国に、睡蓮の姫と蓮の姫と呼ばれる、美しい双子の王女がいました。
 まだ国々が平和的に交流していた頃、薔薇の国の王子と蓮の国の姫は恋に落ちました。「水蓮の姫」と呼ばれ、その名の通り、花のように美しくたおやかであった姫は、薔薇の国の王子の、この上もなく優しい人柄に魅かれました。王子の方も、姫の美しさだけでなく、その賢さや、時々見せる茶目っ気など、すべてを愛しました。
 二人は結婚し、四人の可愛い王女に恵まれ、幸せに暮らしました…王妃が病気で亡くなるまでは。伴侶を失った国王も、王妃の数か月後、失意の内に亡くなってしまいます。中の国の嫌がらせの始まり、女帝の苦難の始まりです。





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