Nicotto Town



鬼を名乗りて⑬


今年もあの日がやって来た!


約束のあの日がやって来た!!

全国7人の鬼なのファンの皆様お待たせしました。

節分と共に現れましたよ~

昨今のキッズは、節分を恵方巻食べる日だと思ってる子も多いのだとか!

嘆かわしい……。 節分は豆を投げてナンボだろ!

という鬼の声も聞こえてきますね。

さて、これまで強い鬼を紹介してきたわけですが

鬼にはもう一つの側面があります。

世の中には鬼とか狂とか言われる、ひとつの事に

人生の全てを注ぎ込んでしまう程の情熱を以って当たる人が居ます。

そんな人のことを周囲は、〇〇の鬼とか○○狂なんて

呼んでいるのを聞いたことがあるでしょう

今回の鬼は幕末を駆け抜け、絵に全てを捧げ

画鬼と呼ばれた男 河鍋暁斎だー!




1,鬼、片鱗を覗かせる

幼少の頃から抜群に絵の上手かった鬼でありましたため

父は7歳にして浮世絵師に師事させることにしました

その師は、絵を上手く描くにはじっくりと観察しなければならない

人と人が対峙し組み合う様子を注意深く観察せよ

と鬼さんへアドバイスしたのでした

その結果鬼さんは、一日中スケッチブックを片手に喧嘩を探し回り

一度喧嘩が起これば、その様子を事細かに書き写していたのでした

しかしそうそう喧嘩が起こってばかりでもありません

道中見かけた珍しいものにも興味を示し詳細まで書き写していったのでした

神田川が溢れた時は、幾人かの死人も出たのですが

鬼さんは、そこから生首を拾ってきて熱心に写生したのです

これには周りもドン引きです

なにせこの時鬼さんは十歳 

そんな十歳怖すぎます!

一般人からは倫理観や興味を惹くものが大きく逸脱してるところが

いかにも鬼っぽいっといえば、それまでなんですけどね



2、鬼、クビになる

10歳にして生首を写生なんかしたものだから

そりゃ親としては心配しようというものです

これは師事した先生を間違ったのでは?

と、今度は狩野派の絵師の元へと入門させます

狩野派の技法を学ぶこと6年、事件が起きます

狩野派の屋敷の近所で火事が発生

其の火は風に煽られ勢いを増し、

彼らの屋敷にも飛び火して屋敷が炎上してしまう事態に陥ったのでした。

火消しや門下の生徒、多くの人が火を消そうと躍起になっている中

この鬼は、なんと悠然とこの火事の様子を写生していたのです

結局屋敷は全焼し、皆が意気消沈している中で

ただ一人この鬼は、珍しいものが写生できたと満足気だったというのだから

この辺りの性根は、子供の頃から変わっていなかったのでしょう

こうしてハプニングを挟みながらも波乱の修業時代を過ごした

鬼さんは僅か9年で修行を終えることとなりました

一般的な狩野派の修業年数は12年とされていることからも

9年はかなり早いです

ここにも鬼の際立った才能が垣間見えると言っていいでしょう

狩野派卒業後は館林藩のお抱え絵師の養子に迎えられ、

そこで仕事をするようになります。

しかしまだ幼少期の癖は抜けきれていなかったのです

ある日、街で見かけた女性に興味を持ってしまった鬼さん

最も興味を持ったのは女性本人ではなく

その腰に巻かれた帯、その紋様のほうであったのです。

なんと美しく不可思議な紋様だ…。

鬼さんは周囲の人に尋ねました。

「ああいった女性にはどこに行ったら会えるのかね?」

「そりゃ遊郭だよ! お兄さんも好きだね~」

なるほどそれではと、夜な夜な遊郭へと向かい、帯をスケッチしていく鬼さん

悪事千里を走るといいますが、現在でいうと4000km

日本を飛び越え、ミャンマーあたりまで走って行ってることになります

そう悪い噂とは伝わりやすいものなのです

鬼さんのこの行動は、すぐに館林藩ひいては養父の元へ伝わります

館林藩お抱え絵師の息子が、夜な夜な遊郭に出入りしていると…。

遊郭で遊び歩いているということに当然養父は激怒!

有無を言わさず養子関係を切り、

どこへでも行けと家とも離縁とされて追い出されてしまうのでした。



3,鬼、逮捕される

藩のお抱え絵師という強力な後ろ盾をなくしてしまった鬼さん

広告のような絵を描いて、糊口を凌しでいましたが

画の方は、泣かず、飛ばず、売れず

様々な流派を渡り歩いて、下絵を描く

今でいう漫画家のアシスタントみたいなことを続けていたのでした。

そんな生活の中、琳派の絵師の次女と結婚

この辺りから、ついに鬼さんの人生は上向いていくことになるのです

ようやくアシスタント業から足を洗い独立!

様々な流派を渡り歩くことで身についた確かな技術と

古典美術の知識に支えられた鬼さんの才能がついに覚醒!

神仏、美人、風俗、鳥獣、果ては物の怪に至るまでありとあらゆる画題を

風刺、ユーモア、妖艶さを伴う画風で描きまくったのです

形式も肉筆だけに留まらず、版画、版本、錦絵

ありとあらゆるメディアで作品を発表しました

巷では、なんでも描ける、全てを描く と喝采を受け

萬絵師などと呼ばれることになります。

しかしながら好事、魔多し

人気の絶頂の中、鬼さんは逮捕されてしまいます

彼のかいた絵が少し風刺が効きすぎていたため

政府の役人を批判した絵だと判断されからです

まだ出来て間もなかった政府には反感を持つものも多く

政府はそういった反乱分子の芽を摘むことに躍起になっていたのです

明治政府は彼を捕らえ牢屋にぶち込みますが、翌年無事放免されます



4、その鴉、500万円也

放免後も数々の作品を世に送り出していく鬼さん

絵師としては一番脂の乗った時期になっていきます

そのころ博覧会が開催されました

鬼さんは、そこに鴉の絵を出品して見事ニ等を受賞します

そして自ら、この鴉の絵に100円の値段を付けて

買うものはいないか? と言い出します

100円と言われてピンとこない人も多いでしょう

五年後の明治19年での物価で大体1円が現在価値で5万円

なのでもうちょっと上かもしれないけどこれで計算すると

大体500万円ということになります

当然周囲には呆れた声が溢れたのです

たかが鴉一匹に500万円は高すぎるだろ! と

しかし鬼さんそういった非難に対して一蹴したのです

「これは鴉の値段ではなく長年の画技修行の値である」

と言い、批判を黙らせたのでした

この言葉に感銘しこれを買ったのが、

あのみつ豆で有名な栄太郎本舗の社長さんです

今でも栄太郎本舗にはこの鴉の絵があるというのですから

決して高い買い物ではなかったのでしょうね!

そういえば現代でも、原価はこんなもんだろ?高いよ!

などと言う人たまにいますよね

大量生産品ならまだしも

職人が介在したものは絶対に値下げしてはいけませんよw



5,死の淵でも筆を放さず

数々のヒット作を世に送り出していった鬼さんですが

病魔は人知れず彼に忍び寄っていたのでした。

病の名は胃癌、もちろん当時の医療レベルでは太刀打ちできません。

鬼さんは床に伏していても、絵筆を取りたい欲求には抗えず

死の三日前まで、枕のすぐ後ろの襖に

やせ衰えた自分の姿と、もうすぐ入るであろう棺桶を描いていたといいます

そうして親友の手を取り、鬼は天さんへと還って行ったのでした。




今年の鬼はいかがだったでしょうか?

いや~今回の鬼も壮絶でしたね!

暁斎先生の作品は、あちこちに残っているので

興味を持たれた方は出かけてみてはいかがでしょうか?

ではまた来年、節分にお会いしましょう!

鬼は~~外 福は~~内

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2025/02/03 00:48
> みゆさん
今年もやってきてしまいましたねw 貴重な7人になっていただき感激です!
頭のネジが2~3本飛んでないと、なかなかこの領域には踏み込めない気がしますね
また来年新たな鬼を連れて来るかどうかは~皆様の反応次第ですかねw
アバター
2025/02/02 17:53
今年もこの時がやってきたなって思いましたよ。
全国の7人のファンの中の1人かもw( *´艸`)

才能のある方は一見変わった感性の持ち主の方が多いですよね。
違ったところに興味を抱くというのか、凡人との違いなんだろうなって思いました。

もしかしてまだまだ続くのかな?!



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