困ったちゃん化の伊藤しおり
- カテゴリ:コーデ広場
- 2025/02/24 04:08:46
今、伊藤詩織が作った映画で使われた映像について抗議がなされている。その問題についての記事は後で紹介する。
(全体像をつかむために ほんとは先に読んで読んでほしいのだが長文コピペを理由としてこの頁全体が削除されると困るので)
◇
行きずりのレイプとて許せないが、それはまだ「野良犬にかまれたと思って」という 慰められ方がある
しかし 仕事がらみだと、だれもが目をそらすか、「職業人として未熟」と非難されるから
「自分の仕事を失う・職業人生を否定される=やっとの思いで得た職をレイプにより奪われることは 子供のころから学生時代からの努力が崩壊することと同じ」という恐怖感と悔しさ・無念な思いを生涯にわたって抱き続けることになると思う。 (実際 そういう女性たちを 幾人も見てきた)
だからこそ 彼女としては 刑事事件として有罪判決が下されなかったことが 許せないのだろう
たとえ 民事事件で勝訴しても 充分なリベンジ感が得られず、映画を作って 国際世論をあおって、外圧を使って、にっくきレイプマンを社会的に抹殺したかったのかもしれない
再審請求で 何が何でも実刑に処したい!という思いがかなわないが故に。
あるいは 世間が「民事で勝訴したのだから この話はもうこれで終りね」といった雰囲気になったことが許せないのかもしれない。
「私の中では まだ終わってない!」という叫びが、映画化につながったのではないだろうか?
逆に言えば それだけ 身近な人から「無条件の保護やいたわり」を得られにくい状況で生きてきたのかもしれない
(女を売りにせず 人間として評価されたいと考えて行動する「美人で優秀な女性」ほど
嫉妬・妬みを男女双方からぶつけられ、ことさら貶められ続けてしまうのが
現在に至るまでの日本の状況だから。
「美人で得をする」のは 巧みに「男にこびる女」だけです。
まっとうな女性にとっては、「美人であることは 災厄をよびよせるだけ」であり、少しでも弱みをみせたら、「妬みと♂の劣等感の裏返しでドアマット扱いされてしまう」
しかも『不美人』とみなされても損をするのが日本の現実。
なので、多くの女性は「自分を平均的」に見せようと その時々のはやり?にあわせた「好まれ顔・流行に沿ったファッション(先端でも遅れでもなく)」に擬態しているのだと思う。
でも美人は 普通に装うだけで美人さが際立ってしまうから大変)
だから 伊藤さんの行動原理は理解できるし 気の毒にも思う。 いまだ癒えぬ心の痛みを行動化しているのだろうと思う
だから 伊藤さんの行動原理は理解できるし 気の毒にも思う。 いまだ癒えぬ心の痛みを行動化しているのだろうと思う
しかしなぁ・・ あなたは 「最良の弁護団の助けを得て勝訴した」という 社会的支援をすでに受けているのだから、
「その弁護士たちの今後の活動=ほかのレイプ被害女性の公的立場を守るための弁護活動」を妨げる映画作りをしたのは間違っていると思う
- せめて 「再現ドラマ」として その時のシーンを そっくりそのまま 事件とは無関係な役者に演じさせればよかったのにと思う。
- そんなことをしたら「嘘つき呼ばわりされる・私の主張を信じて! 認めて」という気持ちから、実際の映像を使ったのかもしれないけど
でも それは 「他人の生存権(生活)を脅かす行為」でもあるのだということを 正しく認識して自重すべきであった。
- あなたは、「弁護団に借りはない! むしろ私の思いをないがしろにされた」というかもしれない。
- しかし、どれほど悔しくても、今の日本の裁判の実態は、「弁護士による戦略」なしでは勝てない。「真実を訴えるだけでは負かされる」その現実に適応したからこそ勝訴できたわけでしょう!
- 己の感情に従って敗訴するリスクを冒すのではなく、弁護士の説得に負けてでも(不承不承従ってでも)あなたは勝訴への道を選んだのだから
あなたを勝訴に導いた弁護士の 今後の活動の妨げるになることをしたのは 不義理・裏切り、仲間(=弁護団)を使い捨てにしたと言わざるを得ません!
- しかも「公開・公表は裁判の時だけ」の約束で得た証言・証拠としての映像を、映画という形で不特定多数にさらしたのは、証言者・証拠集めに協力した人に対する裏切りであり、あなたの裁判に協力した人の生活・身の安全・社会的信用と職業生活(=収入確保の道)を奪う危険が極めて高い許されざる行為であると 私は強く訴えたい!!
- あなたのやったことは、過去のある女記者(名前を思いだすのも不快)の行為と同じ悪質さだ。
- 彼女は オフレコの約束で得た医師からの情報を出版本で晒した結果、その医師は情報漏洩で有罪判決を受け失職した。しかし彼女は己の行為を正当化して未だ謝罪をしてない。
- 伊藤詩織、あんたのやってることは、あの女の行為と同類とみなされ
- 「これだから女記者は信用ならん。まともに相手したらいつ裏切られるかもしれない うっかり付き合ったら使い捨てにされるだけ」
という印象を、社会に強く印象付けるだろう。
しかも おりしも今話題のアナウンサーのように、
有名タレントの宴会が終わった後も居座って 相手を誘惑して結婚にもちこむか仕事上の利益を得ようとして 思い通りにならなかったら、被害者顔で相手を脅して1000万分捕ったあげく 友達を使って週刊誌から嘘の情報を流しまくって 相手のタレントを社会的に抹殺した糞ビッチみたいなのもいるから、- その手の女達どうよう、伊藤さん あなたの存在も、まっとうに生きようとしている女性が報道界で生きることを妨げることになりつつあると言えましょう。
- 伊藤さん この投稿をあなたが直接目にしたなら、問題の映像を再現映像等に差し替えることにより、証言者のプライバシーと今後のを守り、その方たちの今後の社会生活や弁護士たちの活動=レイプ被害をなくすための闘いを妨げぬように、願います。
- 伊藤氏の民事訴訟に係った弁護士たちとしたら、レイプ被害の女性 特に職場がらみのレイプ被害者は 後を絶たず、その女性たちが 「犯罪被害者である」と立証し続けることによって
たとえそれがライフワークになっても! と考えて 弁護士活動をしているのだろうから
伊藤さんの今回の映画は 迷惑そのもの、むしろ 自分たちが利用された・裏切られた感すら抱かせるものであったのではないかと思う。
しかし、弁護士たちは、伊藤さんの行為に対してのみ抗議して、決して伊藤さんの人格そのものを攻撃していない、弁護士個人の感情も出さない、=抗議すら レイプ被害者である伊藤さんの心と立場への配慮を徹底させているところに、伊藤さんの事件に関して 伊藤さんの側に立って戦った弁護士さんたちの理念・信念の高さ・強さを感じます。
- (投稿のきっかけとなった記事⇓)
ホテル映像は「決定的証拠」なのか 『Black Box Diaries』議論に足りないもの(小川たまか) - エキスパート - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d313621a447b86518bcfdc88f939235cbf7bb529
2/19(水) 8:02 小川たまか
「修正してから公開して」vs「見てから判断して」
アレコレ検索した結果見つけた記事に強く心を動かされて 私が21日午前中に書き上げた投稿分を
校正して 今投稿したものです
(強く感情が動いた状態で書いた文は、 文章として かなり読みづらくなってしまうので 少し日にちを置いてから校正しました)
・最後に一言
たとえドキュメンタリー映画であったとしても 構成する段階で すでに 演出が含まれるのですよ、伊藤さん。
つまり どの映像の取捨選択・並べる順番によって 観客の心は 真逆の方向に動くのですから
だからこそ 映像の差し替え・再現映像などを入れても あなたの作った映画への意味・意義は変わらないと思う。
そして あなたが レイプが起きたり、レイプ犯が野放しにされている今の現状を変えたいと思うなら
つまり 今のあなたの行為が 私闘ではなく 公益を求めての行動だというならば
レイプ撲滅に向けて戦っている人の道を、今もレイプ被害を訴えている人が身の証を建てようと頑張る道をふさぐ行為をするのは間違っています!!
(以上コピペ終わり)
◇ この投稿が記事の引用を必要とすることへの補足 ◇
一般論として言えば 被害者にとって耐えがたい記憶・深く心を傷つけられた記憶というのは、事件直後でも 時間がたってからでも 混乱した証言になりやすい。 むしろ ある程度の混乱していることこそが 被害者が受けた心の傷の深さを示しているともいえる
だからこそ 裁判では 客観性、そして裁判官の直感を補強をする「誰が見ても納得のできる証拠」が重視されるのではないかと思う
そして 小川氏が投稿の中で述べた疑問に対する答えを 私なりに考えて 本文で記したつもりだ。
私が、ジャーナリストとしての伊藤詩織の行動を批判するのは 今回で2度目だが、
レイプ被害者としての行動としては 彼女のやっていることは 非常に理解できると私はかんじている
でも 問題行動を理解すること(=情において認めること)と、社会人として許容することは別だから
伊藤氏が 今後もジャーナリスト・告発者として生きていこうするならば
人として 報道に係る者として (告発もまた報道・広義のジャー名リズムである)は、
守るべき筋を通せ 人として守るべき道を外れるなと 私は 彼女に対して 強く要請しているのである
ちなみに 女性を守る立場・女闘志としての立場からは 今の伊藤氏の行動は断じて許せん!
と思ってます。
今の伊藤さんは、 己の感情のままに 他者を傷つけ 傷つきながらもなんとか立ち上がろうとしている他者の道をふさぐ糞ったれ行動をしているくせに、己の正義を振り回すという、最低なふるまいをしている、
としかいいようのない状態だから。
実際の裁判で起こったこと
飲食店で意識を失ってから被害までの記憶がない伊藤さんからメールで説明を求められた山口氏は、伊藤さんが室内でも嘔吐してそれを自分が片付けたとか、嘔吐物がついた伊藤さんの衣服を脱がせて洗ったと説明していた。裁判では、嘔吐したことを泣いて謝る伊藤さんに黙ってほしいと思い「なだめるような気持ちで(性行為に)応じた」とも話した。
室内での記憶が伊藤さんにはないので、山口氏がどう話すかが原告・被告双方にとって重要だった。伊藤さんの弁護団は、室内で何があったのかについて、本人尋問で山口氏に質問を重ねた。そして、行為に及ぶまでの山口氏の説明に矛盾があることを尋問で明らかにした。
この詳細については、当時の記事(記事リンク)の中で書いた。使われたベッドに関しての説明を促すくだりである。傍聴席が軽くざわつくほど、印象に残る尋問だった。弁護団はおそらく、伊藤さんの話や山口氏から送られてきたメッセージの内容を精査し、ここに核心があると踏んでいたのだろう。裁判を決定づけたのはこの瞬間だったと今も感じている
しかし、以上の内容は映画の中では語られていない
裁判の詳細を知らずに映画を見た人は、ホテル映像やドアマン証言が勝訴の理由だったと感じるのではないか。それは間違いとまでは言えないが、厳密に言えばちょっと違う。私にとってはそういった点が気になる映画である
なお、問題となっているタクシー運転手は法廷で証言していない。これは裁判前にこの方と連絡がつかなくなったからだそうだ。捜査官Aも当然、法廷には出ていない
伊藤さんは、裁判では出せなかった証拠も含め、たとえ未許諾であっても映像で見せたかったということなのだろうか。しかしそれは何のためなのだろう。民事裁判では勝訴していて、彼女の被害は認められている。これだけの証拠があっても刑事で不起訴となる現実を伝えたかったのであれば、カルテについても同時に見せなければフェアとは言いづらい
プライベートに見える捜査官Aとの会話含め、これらの映像について公益性を主張するのが私にとっては疑問で、公益性というよりも映像作品におけるインパクトを狙ったためと感じる。しかし許諾が取れていないのであれば、それ以外の見せ方を検討するべきだったのではないか。この点の議論がほとんど行われていないのが残念だ。
ホテル映像以外にもあった「証拠」
まず、映画内で使われている、ホテル入り口の防犯カメラに映った映像は大変インパクトがある。ホテル前に止まったタクシーから先に山口氏が降りるが、伊藤さんはなかなか降りてこない。しばらくして山口氏は伊藤さんを引きずり出すようにしてから、抱えて歩き出す。ふらつく伊藤さんを肩で支えてリードするようにして山口氏がロビーを歩く姿も映っている。
また、タクシー運転手やドアマンの証言は、タクシー内やホテルの入り口で伊藤さんが酩酊状態だったことや「駅で降ろしてほしい」と言っていたことを示すものだ。
これらの証拠は、伊藤さんがホテルへ入ることに積極的であったわけではないと強く示すものである。伊藤さんは過去のインタビューなどで、このホテル映像を見てから警察は被害届を受け取ってくれたと語っている。
ただし残念ながら、これだけでは性被害を証明することは難しかった。
ホテルに入った時刻は、防犯カメラの映像から23時22分頃だとわかる。そして被害がこの直後であれば、映像や証言はかなり強い証拠となり得たかもしれない。しかし被害に遭った時刻について、伊藤さんは翌朝の5時頃だったと話した。その直後の5時50分頃に、彼女がホテルから出ていく様子がこれも防犯カメラで確認されている。
この時刻については民事訴訟の一つの争点だった。山口氏は深夜2時頃だったと主張したからだ。さらに伊藤さんが翌日アフターピルをもらうために受診したクリニックのカルテにも「4/4 AM2時-3時 コンドーム破れた」という記載があった。
このカルテは、伊藤さんの証言を揺るがしかねない存在だった。
「修正してから公開して」vs「見てから判断して」
アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされている伊藤詩織監督の『Black Box Diaries』に関する、映像の無断撮影・録音や未許諾問題は、2月20日に外国人記者クラブ(FCCJ)で、問題を明らかにした元代理人らと伊藤さん、両者が会見を開く予定となっている。
これまでの経緯を簡単にまとめると、伊藤さんの性被害や名誉毀損についての訴訟で代理人を務めていた弁護団が記者会見を開いたのが2024年10月21日。これに対して伊藤さん側は会見内容は事実に相違していると反論した。
作品は海外ではすでに公開されているが、「許諾を取るか、取れていない部分については修正してから公開してほしい」と求めているのが元弁護団で、「映画を見てから判断してほしい」と日本の観客に求めているのが伊藤さん側だ。
また伊藤さんが東京新聞の望月衣塑子記者を、記事による名誉毀損があったとして提訴したことが2月14日に報じられた。これは東京新聞が1月14日に掲載した記事を訴えるもの。1月14日記事は元弁護団の記者会見で話した内容とは別の点に対する指摘だった。(参考記事:伊藤詩織さん、監督映画巡る記事で東京新聞の望月記者を提訴「利己的な人との印象与えた」2月14日/産経新聞)
元弁護団と伊藤さんには海外公開までの経緯などについて主張の食い違いがあると見られ、これは20日の会見を待つことにしたい。
この記事で書きたいのは、問題となっている映像が、被害の「決定的証拠」だったかのように一部で語られている状況についての個人的見解だ。伊藤さんが元TBS記者・山口敬之氏を訴えた民事訴訟を傍聴してきた者として、これらの映像が裁判でどのような役割を果たしたのかを書いておきたい。
今回の問題に関する本筋の指摘ではないので、ご興味のある方だけ、裁判傍聴オタクの細かい早口のツッコミと思って読んでほしい。また、作品の内容にも多少触れるため、作品を見る前に読みたくない方はご注意をお願いしたい。