滋賀まで旅して
- カテゴリ:日記
- 2025/03/04 15:28:45
少々旅に出ていました。
滋賀、岐阜、名古屋、飯田とドライブです。
年明けから日本刀巡りを言い訳に、
コロナ以降すっかり旅しなくなった自分の流れを変えようと、
一月には東京~三島を旅しました。
そのあとはすごく忙しい日々でしたが、金を稼ぎつつ旅行の計画を立て、
先週末に滋賀まで行きました。
今回の旅の目的は、光る君へで舞台となった石山寺、
古式鍛錬が月初めの日曜日に見学できる関鍛冶伝承館。
そこにオプションで名古屋、帰りがけに少し調べ物があって飯田に寄りました。
以前からですが私は滋賀が好きです。
寺社がたくさんあり、戦国武将も多くて、歴史的要所。
行けば必ず得るものがあります。個人的に滋賀県は熱い。
そして、滋賀は電車で行くところじゃねぇって思ってます。車一択。
滋賀は場所に寄りますが、大体片道300kmチョイ超え。
一宮あたりは少し車が多いですが、正直後は大したことない交通量。
私にとって滋賀はドライブ圏内です。京都まで行くのであれば電車ですが。
とは言っても久しぶりのドライブ。
2年ほど前に佐久から静岡までドライブしましたが、
個人的に今回の方が難易度高めです。旅翌日はお休みにしました。
それが本日で、まさかの雪予報で、ありがたく引きこもっています。
土曜の朝に松本を発ちまして途中一宮で鬼渋滞にはまりましたが、
想定内の疲労度で石山寺に到着しました。
はっはっは、岡谷JCTの非道な渋滞に苦しめられた人間、
一宮の渋滞一時間くらいどうってことありません。
途中で追突事故も発生していましたが、本当渋滞は危険以外の何物でもない。
しかし、一宮がこれほど渋滞しているとは知らなかったので、
予定時刻より1時間遅れでの到着となりました。
(一宮、路肩規制であの渋滞とは恐ろしや、車線規制じゃないですわ。)
過去に2回滋賀を旅しましたが、実は石山寺は行っていませんでした。
今思えば、当時無理してでも行くべきでしたが、
過去の自分はそれを優先順位低めに設定していたのです。
近くまでは行っていたのですが。
でも、光る君へで平安時代を再履修した後の石山寺は意味があると思いますので、
最初からこういう結果だったのだと思います。
寺自体は所謂古刹。特徴的な岩山を有しています。
淀君も普請したというだけに、力のある寺だと思います。
紫式部の間は本堂の中、いや本当に本堂入り口の隣くらいにあり、
全体としては中規模の寺かなと思います。
ですが、石山寺は瀬田の大橋のそばにあり、
瀬田の大橋は何かと天下の流れが変わる戦いの場所の一つなので、
この寺は単に信仰とか名所だけではなく、
政治的な力があったのではないかと推察しています。
さて、紫式部の間ですが、当時はここから琵琶湖に上る月を見たとかなんとか・・・。
大体同じ位置から見てみますが、木の枝と山しか見えない。
木はいくらでも成長したり切り倒したりしますし、
琵琶湖もその時代によって形を変えるので、当時は見えたのかな。
また後で確認する予定です。
平安時代に貴族がわざわざ足を延ばす場所なので、境内自体の景観はとても良いですし、
これで湖の一端でも見て、月が昇れば間違いなく最高でしょう。
門前には石餅が売られており、休憩にはとてもよろしかったです。
あ、ちなみにお昼抜きでした。
石山寺を見学後、一路、岐阜県関ケ原へ。
途中には何度見たかもわからない伊吹山。
長野県民なのに、この伊吹山を何度も見過ぎて、ここだけ地元の感覚があります。
関ヶ原は石田三成・・・はいつものルートですが、
今回は不破関、壬申の乱の追跡です。
壬申の乱関係者の話を昨今の小説で読みまして、これは近所にある以上、
一度は確認するべきかと。
お安い入場料でさくっと全体像を知れたので良かったです。
ついでにこの付近には過去に鉄鉱山があったとの記載もあり、
翌日行く関の下地があったのかなと思いました。
その後、南宮大社へ。こちらは過去に一宮関連で行ったのですが、再度参拝。
ここの主祭神は金山彦命を祀っています。
金山彦命は鉄鋼の神であり、刀鍛冶の崇める神。
南宮大社は古い神社でありそこの主祭神が金山彦命、
不破関付近からは鉄鉱山関連の出土品、
そして美濃伝と言われる刀鍛冶集団がいるとなると、
もともとの素地があったからこそ定着したのかなとも思います。
加えて岐阜は東西の交通の要所であり、戦国武将関連の地なので、
政治的有力者の庇護があり、庇護する代わりに武器の供給を求めたのかなと。
また後で調べる予定です。
日曜日は関鍛冶伝承館へ。
初めて古式鍛錬を見学。いやぁ、本で読むのと実際に観るのでは情報量がまるで違う。
勿論、曲がりなりにも本を読んでいたからというのもありますが、
百聞は一見にしかずです。
現代ではこのような作製はしていないですが、
昔の基本を見ることは現代の制作を知るベースになるかと。
関は近所なので、また時々観に行くことが決まりました。
その後は名古屋に移動し、百貨店でお買い物。
この旅で一番しんどかったのが名古屋の運転。交通量が全く違いますから。
4車線でも大体一番左は路駐してるし。
オプションの名古屋で、名古屋は別に電車で行く予定なのでそこまで頑張るつもりはありませんでしたが、
まぁ、車は今後ないかな。電車やバスの方が安い。
月曜日は名古屋城。
ただ、この日は雨に加えて、名古屋城は改修中。
再現した本丸御殿では新たな疑問が湧き、
私は今年、可能なら二条城に行かねばならなくなった。
いまいち理解しかねる構造がありまして、係の人も知らないそうなので、個人的に調べようかなと。
熱田神宮は参拝と刀の展示を見学。
末之青江、あれ本当に真柄氏が使ったのかしら。
大男なので振るうことはできたと思いますが、騎乗で振るう場合、
遠心力の反動が馬体にかかるので、馬がもつのか?という疑問が。
そして、あれほどの大物、よくムラが無く作成できたなと。
隣に千代鶴国安があり、江戸時代の奉納刀もあるので作れたとは思うが、
長いので持つ時にすごく力がいるのですよ。
鍛錬中に持っておけるのかと。かなり大掛かりな鍛冶だとは思いますが。
しかし、刀を見ると本当にボロボロで、一部地金が膨らんでひび割れてるし、
刃文も見えないくらい傷だらけ。
最後に戦場で死んだ武将が使っていたと言われればなるほどなと思える状態です。
これが戦場で使われたのは伝説だというなら、こんなボロボロになる理由が不明。
若しくは戦時中に雑に扱われたとか、そういう理由でもない限り理解に苦しむ。
さらに、千代鶴国安は比較的きれいなんですよね。刀匠が違うので刃文も違いますが、
こちらの方がまだ使えるかなと思いますが、比較的きれいな千代鶴国安がある以上、
末之青江は実戦で使われたのかなぁと。
しかも面白いのが、末之青江は約6kgで2m超え、千代鶴国安は約5kgで1.6mくらい。
約50cm伸びても1kgくらいしか変わらない。
ということは、末之青江は薄いのかとか・・・・。
色々分からないことが多いんです。
関鍛冶伝承館と熱田神宮を見学してなんとなく好きだなと思える作品にも出会えたし、
かなりの収穫はありました。
そして帰りに飯田のとある神社に寄りまして。
これは完全についでですが、いずれ調べ物で行く以上、車で移動の今回でクリア。
これから旅の疑問点を記録して、今回の旅は終了予定です。
色々資料も得たことだし、良き旅になりました。
しかし、帰り道、そんなに雪が降っているとは知らんかったなぁ。あ、全く何事もなく帰宅したんですが、ニュースが大騒ぎで。
松本は田舎と舐めてかかると鬼渋滞ですから。
本当に一部の隙も無く車ですので。しかも一通多いし。
よく県外ナンバーがはまった挙句強引な車線変更をしていますよ。
名古屋は速度が速いうえに交通量が多いので疲れました。ですが、これも慣れだとは思います。
脇道に入れば普通なので。
ただ、公共交通機関が発達していて、駐車場代も高いので、
無理して頑張る必要はないかなと言ったところです。
お疲れ様でした
それにしても、名古屋!
彼の地を対応できたとは
本州のほとんどを走ったことはありますが、二度と運転したくないのが名古屋(というか愛知県)と松本
なんだろう、とにかく意地悪というか特殊というのか
千葉や茨城のような猿の居住区で生活し、とかく槍玉にあがりがちな大阪や京都だって対応できたけど、この2都市だけは無理でした
なんすか?
一日休んだら完全復活しました^^
関ヶ原までは近所、滋賀はドライブ圏内だと認識しているので、かなり楽しかったです^^
今年は無理のない範囲で月1回、近所若しくは遠方へ旅する予定です。
必然的にそうなってしまいました^;
折角行くので予習復習しながら楽しく回りたいと思います。
しっかり休んでねーー♪