2011年の311
- カテゴリ:ニュース
- 2025/03/11 08:54:22
その日、母はあさイチの列車で叔母(母の姉)を訪ねるために札幌から富山に向かった。当時の母は75歳。「元気なうちに会いに行かないと」と一人で向かうくらいにはしっかりしていたのだ。
まさか、その日に歴史的な大震災が起こるとは夢にも思わなかった。
震災が起きた時間、調べると母は新幹線で仙台付近にいたはず。もちろん携帯も通じず二日間ほどとても不安な時間を過ごした。
後から母に話を聞くと、なんだかわけがわからないまま新幹線を降ろされ歩いたそう。街は停電しており、持っていたおにぎりを食べつつ見知らぬ人の善意で車に乗せてもらったり最後はタクシーを使って(随分お金がかかったとぼやいていた)無事富山の叔母の家にたどり着いたのだった。
それから3年後、認知症が現れ母の治療とデイサービスを開始。
今思うと、デイサービスに通えていた頃はまだまだ序の口だった。
現在の母は短期記憶は2~3分くらいしか持たない。今は亡き父のことも同じく弟のことも記憶にない。(たまにうっすら覚えてるような口ぶりの時もあるが)
一緒に暮らしている娘であるわたしのこともどこまで娘と理解しているか…。
たまに、わたしのことを「姉の***」と言うこともあるし「施設の人」ということも。
天国に行った時に覚えてないと父や弟に会えないんじゃないかなあ。
それとも、あちらでは記憶が戻るのだろうか。
そんなことを思うこの頃。
こんばんは。この現世は魂の修行の場という説があるよね。あちらの世界では基本、望むことは何でも出来てそれに飽き足らなくなった魂が現世に戻って不自由な世界でいろいろ体験して学ぶとか。
肉体は魂の入れ物に過ぎなくて、脳が壊れてもあちらの世界で魂が不滅ということが真実だといいなあ。
死後の世界では、何でも自分が望む物事が、現実化されるらしい。
でも、認知症になったままだったら、望む物事ってどうなるのだろうか。
死後の世界でも生前同様に彷徨ってたら、困っちゃうよね^^;
しかし、死んだら今までのことはリセットされて、生まれ変わるって言う人も居るけどね。
一番輝いていた時かあ。そうだったら素敵だなあ!
母の場合だと、一人でバイクに乗って山を駆けたり倶知安の田舎から札幌まで走ってた頃かな。
よく事故らなかったものだw
うん、きっとあちらの世界で家族や友人に再会したらまた仲良く楽しく暮らせると信じてる。
完全に忘れちゃってるように思えても、夜中に「息子が亡くなった!」って慌てて起きだすことがあるの。
記憶の入った箱の鍵がさび付いて、普段開けられない状態になってるけれど何かの拍子でそのふたが開く時があるんだよね。記憶が消えてしまってるわけではないと思いたいなあ。
来世でのクラスメイト、素敵だ~!嬉しい(´;ω;`)ウゥゥ
違う惑星かもね。もっと自由で寛容な世界だといいね。
記憶もばっちりさ。
無力で泣いてたあの日、思い出すし忘れないわ。
せんちゃんのお母さん、今すぐそばに自分が安心して生存できる環境を整えてくれる存在がいることって、すごいことだと思う。せんちゃんのお母さんがもし忘れていても、向こうで関わりあえたたくさんの人たちや、家族は待っててくれるし、新しい世界に迎えてくれるんだろうと思う。もしお母さんの記憶が戻らなくても、もう一度出会って縁を紡いでいくんじゃないかと思うよ。
今の世界では時間が限りあるし、最後には必ず淋しいし悲しいのだけど、いつかこの世界での立体的存在での役割を終わってしまっても、一人じゃないと思う。
せんちゃん、来世では私とクラスメイトになってー(・ω・)