4月26日のイベントに登場
イベントは同校が4月26日に民族衣装である「きもの」の普及と、その魅力を国内外に発信することを目的として開催されました。 第3部「即位礼での天皇・皇后両陛下の装い~十二単ショー~」では、天皇陛下だけがお召しになれる赤茶色の装束「黄櫨染御袍」を模して制作した着物をモデルが装用するシーンがみられました。 同学院と共催した着物専門店が公式X(Twitter)にショーの様子を投稿したところ、SNS上ではショーの内容を疑問視する声が相次いで寄せられました。
宮内庁には連絡せず
同校は5月12日、公式サイトで「日本の伝統文化としての『きもの』に関する啓発等を目的として、その特徴を分かりやすくお伝えするために制作されたものであり、畏れ多くも天皇陛下の御装束そのものを忠実に再現しようとしたものではございません」とコメント。
「私どもとしましては、日本の皇室が受け継いでこられた伝統と歴史ある装束の素晴らしさを、多くの方々に間近でご覧いただき、その文化的な価値を知っていただきたいという純粋な思いからこの企画を実施した」と企画の真意を説明しました。
企画実施にあたって学院から宮内庁への確認はしていないとしつつ、「黄櫨染御袍が持つ歴史的・文化的意義、そして天皇陛下を象徴する特別な装束であるという重みをふまえた場合、宮内庁への連絡につき必要性を検討すべきであったと考えております」「法的な規制の有無についての認識はございましたが、それ以上に、国民の皆様が皇室の伝統に対して抱かれる敬意や感情に対し、十分な配慮ができていなかったと痛感しております」と振り返りました。
今回の件について「私どもの配慮や説明が至らず、結果として、多くの皆様に誤解を招き、ご不快な思いをさせてしまいましたことは、ひとえに私どもの未熟さによるものであり、重ねて深くお詫び申し上げます」と謝罪。「ご批判を重く受け止め、今後の活動の糧とさせていただく」としています。
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・私個人としては、緑字の部分の意図には大いに賛成です。
「国民の知る権利」を振りかざすまでもなく、国税によって賄われている天皇家の衣装の数々 特に それが「伝統」にのっとったものならば、それは日本国の文化遺産として正しく継承していくために、それぞれの衣装の素材・型紙・着付け方法など 詳細かつ具体的に公開されることは有意義どころか 必要不可欠なことであると考える。
これまでも パチモンアニメなどが一般化することにより 伝統的デザインモドキが跋扈している現状では、正しい実体を明示して公開流布することことそが 明日に向けた有意義な活動であると考えるからだ。
・しかし それを「ファッションショー」としてモデルが来て歩く必要があるかと言えば・・
それは ちょっと無理があると思う
・まず 所作・歩き方・・
そういうのって 数か月くらいの厳しい研修があってこそ身につくことでしょう。
それこそ 能役者さんとか あるいは 天皇家に嫁がれた方、あるいはそこに生まれた女性たちは 厳しい厳しい特訓を受けていることだと思うし・・
それを 「にわか」練習のモデルが身に着けられるのか?
という疑問
そもそも秋篠宮家の女達も前の皇后美智子も 伝統衣装での所作は見苦しいのに
だから「おさらばぁさん」といわれるほど洋装をとっかえひっえしても それでも 見劣りするなあ、イギリス王家に比べても 日本の旧華族の当主一家の女達に比べてもと、
いつも あの女達の立ち居振る舞いを見ていて 苦々しく思っている身としては。
現皇后 雅子陛下と 敬宮愛子殿下は その点、きっちりとした所作が身についているので ホットしています。
「いずまい」からして違うのです。
美智子や秋家の女達とは!
・あとまあ 外交儀礼云々の観点からしても、王家や 天皇家の衣装というのは、その模造品を展示して その詳細をつまびらかにするところまでは 意義があっても
ファッションショーを開催するのは 違うだろ!
と思う
それはまあ 不敬と感じる人もいるだろうから。
逆に モデルさんが、 美智子よりも 美しく正しく装いふるまえば 美智子が激怒するであろうといった具合に
当事者の感情への配慮という点もあろう
(私個人としては 美智子や秋家女達の行ないは
雅子皇后陛下 敬宮愛子殿下のように正しく美しくふるまえない醜い女達の 嫉妬そのものであると考えている
そういう 「身についた格」の違いを示すことによる軋轢をさけるためにも
「殿上人」のご衣裳と言いうものは 正確な模造品の展示・図解にとどめるのが 「無難な社会的常識・ガイドライン」だと 私は考えているし
「着物学院」を名乗る教育機関や 万博イベントとして
「わきまえるべき当たり前のこと」だと思う。
・「服装」とは 「着用者の社会的立場を明示するもの」であると同時に、「着用者が 己が所属する社会での立ち位置をどのように自らが認識しているか」を示すとともに「着用者から周囲へのメッセージ」でもあるのだから。
だからこそ 「服飾文化史」なるジャンルが存在するわけだから。
(ちなみに現代日本においては、集団に帰属する者としての「保護色」として、「流行(ファッション)に合わせた服装=制服の代用品」としての一面もある)
・私自身の「着衣は実用第一主義」というのも、根底にあるのは 私なりのアバンギャルドであるわけだし(爆)
それでも 幼いころからたたき込まれたTPOに応じた服装規定(=しかるべき時の装束)は今でも守っている(笑)
・それに対して 大衆化社会におけるファッションとは、「しかるべき時」に参加することのない大衆感情におもねる「販売戦略」にすぎない、という 冷徹な実態とそれを覆い隠すコマーシャリズムに基づくものだから。
・ファッションを作り出す側の人間、その世界でデザイナーとして生きていく人間を養成する機関の人間が
その「認識」を忘れてはいけないのである。
・まあ 現実の「服飾学院」なるものは、
これまた 虚飾の「コマーシャルリズム」にのっとった集金マシーンでしかないという実情もあるけれど
その欺瞞に満ちた実態を 「万博」という「国際的国家的催し」の場にまで持ち込み露呈してしまうというのは「愚の骨頂極まれり!」 である。
・ほんと 恥さらしなことをしてくれたもんだ><
文化的三流国といわれるようなことを><