29歳で「15の夜」をやっていた男が
- カテゴリ:日記
- 2025/05/18 22:07:12
仙台で29歳で尾崎豊の「15の夜」をやっていた爆音バイク男が警察に追われて事故って重体だって。
「IQが20違うと会話が成り立たない」と言うけど何と言うか色々考えて落ち込んでしまう。
知能指数を国別に色付けした国際地図の話題が載っていたけど其の国の知能指数の平均が低い程白く、高い程赤く色分けした地図なんだけどアフリカ中東辺りが白に近くてアフリカの其の白に染まった広範囲に驚いた。
川口のクルド人の主張を見ると彼らとの会話の成り立たなかった現実を見せられると彼らを日本に置いて置いて良いのかと否が応でも思ってしまう。
何と言うか「サイコパス」とは違った別の意味で会話が成り立たない現実を堂々と画像で見せられるとしたたかな中国人とは違った彼らが集団で群衆となって騒然と騒ぐ様子に不安を感じる。
まるで小学生低学年の子供が大人に突然なるとこうなるのかとか、否今の小学低学年の子供の方がもっとまともな行動をとるだろうとか思ってしまう。
そうだ、保育園に誰かが行って其れまで個々に遊んでいた子供達が集まって口々に質問を浴びせたり自己主張をし始めた時の映像に似ている様な気がした。
それは集団生活を教えられる前のまだ自由に元気よく行動出来る事を優先される年代の元気の良さが良いとされる年代の子供達だ。
其の中では些細な事で喧嘩が勃発して所謂問題行動を起こす子供達もいるが其れを大人が彼らに解る様にかみ砕いて説明をして少しずつ少しずつ道理を教えて行く。
そうやって子供の知識を高めていく。
読む本は絵本と呼ばれて子供の知能でも解る様に態々書かれている。
そんなレベルまで下げてあの運転免許を取る時にかわされた教本を彼らの為に作らないといけないのだろうか?
共存とかグローバルとか言う「理想的な国家」とは幼稚園で読む絵本の並のレベルまで国家全体を下げると言う事なのだろうか?
其れなら其の国に発展はなくなるし将来も無くなり滅ぶ未来が想像できる。
其れが理想でありユートピアなのだろうか?
そうやって死語の世界に出て来ると言うお花畑の様な所でへらへらと「無知を良し」として唯いきていると言うだけの国。
独裁国家がする事は其の国の国民を「無知」にする事。
独裁国家の恐れる事は国民が知識を得る事。
アフリカは教育制度が其れだけ整ってない言う環境も知能レベルが刺激されて無いと言う環境もあるだろう。
だが中東の場合は偏った教本のみを崇拝させる事による情報の遮断があるとおもう。
其れによって支配しやすいと言う事はカルト宗教を客観的にみると解るだろう。
だが、其れによって思考を停止された集団が他国の価値観の国へ行った時に即ち情報や知識が多くの与えられて育った人間達の居る国に来た時に其の国の人達から見たら異様な低知能の集団が暴れていると言う現象が起きてしまうのだ。
だからこそ29歳で「15の夜」をやった大人に対して人々は冷笑と軽蔑の目を向ける。
だが、一方で備蓄米が一けたパーセントしか市中に出ない現実をみると国民がどこが極悪人間達であるのかをシステムで其れを推測でるのに圧顔で国民を裏切る行為をした人達に対して29歳で「15の夜」をやった奴への目とは別の「サイコパス」の人間に向ける目とは別の「育った環境から来る無知の行動をとる人達」へ向ける目とは別の目を彼らに向けてしまう。
其れは解って日本国民を裏切って日本国民を苦しめた人達を決して許しては行けないと言う事。
一番やっては行けない事をやった人間達を日本国民は許しては行けないと思う。