Nicotto Town


昼行灯の雑記帳


高齢者や人生弱者について思うこと

先日、ツイッター(現X)で『高齢者がコメを買いに並んでいるのを見て、子供に譲る気はないのか、老いたらもう自分の時代は過ぎた、と安楽〇して次世代に譲れ』という発言を見た。 
その方曰く、『動物は当たり前にそうでしょう』と。違和感しかない。わたしは自然と親しみ、観賞魚やコオロギ、何種もの鳥と暮らしてきた。
 昆虫でも鳥でも、どんなに老いても病んでも、命が絶えるその瞬間まで精一杯生きようとするものだ。
要は「役立つか、役立たないか」だけで切り捨てる視点しか持っていないということ。
一般的高齢者のくくりは漠然と昭和のイメージで60代以上なのかな、と思う。
が、しかし、 実際周囲のスーパーのパートさんは75歳くらいまでの人は普通にパートで働いている。

もっと上で農業従事している人も、お店の経営者だっている。 かなりの『高齢者』が社会のインフラを支えているのだ。寝たきりだとか要介護レベルの方の方が圧倒的に少ない。

漠然と昭和の感覚で60歳以降って背中も曲がった髪も真っ白、しわの刻まれた老人のイメージを持つのだろうけれど、余程健康状態が悪くなければ今時の60-70代前半の見た目は、40半ば~50代かなくらいになっているのだ。身なりに気を使う女性は特に顕著。
お医者さんさえ高齢者は今の感覚だと80代直前くらい、と言うほど栄養状態や健康意識の高い日本人では若い。

若年層にはピンと来ないかもしれないが、自分の親御さんや友人の親御さんを見てみると良いと思う。

そしてこういった「役立つか、役立たないか」だけで切り捨てるというのを避けるために社会ができ、モラルができ、倫理があるのだ。
たとえどんなに若くとも、急病や事故で突然『普通の生活が無理になる』なんてことはざらにある。
そして何より「弱者が安心して暮らせない社会」では普通の人も安心して暮らせるわけがない。
今日いつも通り出かけて事故に遭ったら?
最近調子が悪いな、と思っていたら病気だったら?
急に目が見えなくなることだって、耳が聞こえなくなることだってある。

他者への少しの想像力があれば、明日は我が身とわかるはず。

近年のタイム・パフォーマンス(タイパ)傾向が、思考力を奪い、疲弊させ、余裕を奪っているのではないかなと近年思う。
タイパについても、次回書こうかなと思う。





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