毎年恒例の お稲荷さんと 水神様に 会いに。
- カテゴリ:日記
- 2025/08/14 08:31:59
去年の お盆にも 日記に書いたと思うけれど、毎年 この時期に
この区に 戦前から祀られている 「東願稲荷」と隣の「水神様」に
ご挨拶と お願いに 水を差し上げにいきます。
この「富士山の水」を 硫黄島で 未だ彷徨っていらっしゃる「英霊」に
お届けくださいと。。。
私の 義理の祖父は 西男爵の機動化部隊の戦車の 運転手でしたが
たまたま 硫黄島の玉砕の時に 連絡員として 東京に残った人でした。
で 知っての通り あの島で 2万人の一般人から 招集された 日本兵が
玉砕しました。
生き残った 祖父とは 毎年 青山墓地にある「バロン ニシ(西男爵)」の
墓(中には遺体はない、未だ見つかっていない)に お盆中、
サイドカーに乗って 祈りに行っていましたょ。
その頃は 世田谷区に住んでいて 馬事公苑の近くでしたので、
馬事公苑内の 愛馬「ウラヌス」に乗った 西男爵の銅像を
たまに 見に行っていましたね。
私が ケッコウ そぅいった バイクだとか、スノーモービルだとか、
ジェットスキーだとか、セグウェイに割と 簡単に乗れるのは
なにかそぅいった 因縁なのかもしれません。。。
あ 私のフェイスブックの HPの画像は・・・・特殊な近未来の乗り物に
試乗している画像で ・・・やっぱ 言うのは止めときます 笑
名前も 顔も 知られてしまうので 笑
後 五年もすれば 自動運転化される 乗り物ですが、
今は リアルでは 見かけない乗り物ですね。
さて、この 毎年の お稲荷さんへの お参りですが、
なぜか 行きと帰りでは 時間の進みが おかしいのを
感じています。
平坦な 同じ道を歩くのですが・・・行きは 50分ほど係るのですけれど
帰りは 30分ちょっと 帰りつくのです。
なんか 何かが お稲荷さんを出るときから 憑いているみたいで
なぜか 帰りは 押されている感じ?
で なぜか 帰りは すれ違う 見た事も無い人から
「おはようございます」と 声をかけられる様になるのです。。。。
いったい 何が 見えるのでしょうか?
では そろそろ 羽田の方に 出かけます。
そそ。
ですので たぶん 見つかりにくくて その戦前の台風の後に 浅見さんの所に 知らせに来た事を
「ふしぎなきろく」の中に 書かれていますが、観光地化されたくないので、
ひっそりと 守っている感じですね。
お賽銭箱とか そぅいったのは 一切なかったです。
ですけれど、水神様と相まって 現場のトラブルで何度か 助けてもらいましたょ。
2010年に 鋼管のデカい杭を 打つ際、予備で前日に 鋼管を一本 打ち始めたのですが、
何か 大きな石か コンクリートがある為に その場所に打てなくて・・・
その水神様の所に お参りに行きました、この辺は 水柱の湧水が 雨の日は地盤から
たった35㎝で あるので 水神様と お稲荷さんに ちょっと話したら、
次の日 同じところに 杭を打ち始めたら 土の中の巨大な石だか コンクリートが
無くなっていました。。。は? 昨日の夕方の あのガリガリとか ドンドンとか
音のしていたモノが 全く消えてましたょ。
土の中のモノなので 写真にも 撮る訳にもいかず、そこの工場の社長には 信じて
貰えなかったけれど
そこの工場の工場長と 私と 社員数名と 杭屋さん 数名だけ 昨日の大変なの音とかを
聞いていた人達は 首を捻ってましたょ、あれはどこに 移動したんだ?ってね。
まぁ といっても れいこさんにも 信じて貰えないと 思いますけれど。。。。
お陰で モノスゴク簡単に 杭が入ったので 会社としては かなりの利益が
でたのですけれどね。
で また 仕事が終わった時点で ご挨拶に 伺いました。
やはり この辺の土地は 未だ神々が根付いていますょ。
私は その神様達と 上手く付き合いながら 仕事で利益を上げている感じです。
と言っても 信じてくれないよなぁぁぁ (;^_^A
とにかく 写真を見ていただいて 私の話がリアルなんだと 一人でも
判ってくれる人が いてくれると 嬉しいですょ。
そぅですね、この間 実感しました。
この二人に 私の事を「こぅいった 特攻隊の生まれ変わりみたいな奴 いるんだよね!」って
言われて時は 怒髪 天を衝く 感じで怒りました。
私は 九州生まれなので そぅいった 資料館が鹿児島にあります。
誰の為に 特攻していったのか 判ってないなぁって。。。 悲しくなりましたョ。
こぅいった 子孫が 生まれてきたのが 泣けてきて 泣いていたのかもしれません。。。
あ 変換間違いでした。
「東観稲荷」
これが お稲荷さんか 水神さんが 貴方に用事が無いと判らない お稲荷さんです。
グーグルで調べると出てきますょ。
丁度 写真には 私が以前 奉納したのと同じ「富士山の水」のペットボトルが撮れています。
そぅ2011の夏から 奉納始めたので、それから 一時 富士山の水奉納ブームが
起こってたみたいで 一時 10本とか 山になってました。
今は 落ち着いて 各祠に 2本ずつは 誰かが常時おいてくれているみたいで、
そこに 私が お盆に足していく感じです。
たぶん、そのお稲荷さんが 管理者の枕もとで そんな話をしたんだと思いますょ。
その管理者は 確か あのいつも お飾りのお金を奉納している 古代日本神道の
関係者だと思います。
「浅見さんに関係する人かな?」
あ 私は 古代日本神道は 勉強はしているけれど、信者ではないので
勧誘とか 寄付とかは 絶対しませんょ、誤解の無いように。
私は 数学士でもあり 建築士でも あるので 科学とそぅいった 宗教とかの
間を埋める「ループ量子重力理論」は 概論ですが 更に勉強しています。
こんばんは。
ご先祖様を否定する人がいるんですか?それはひどいですね。
そういう人は皆不幸になるかと思いますよ、ほおっておきましょう、関わらない方が良いんです、
ちゃんとわかる人はわかると思います。
私は 日記で 話した事があるかもしれないけれど、
この前の正月の新年会で 酒を呑みに行った時 私自身が 泣き上戸だったのが
判りました。
とにかく ご先祖様を 否定されるのに 腹が立って 腹が立って
とにかく 日教組や 創価学会の人と 口げんかに なってしまいました。
まぁ 最初は 軍歌を歌っている先輩を 小ばかにしている この二人と 口論になったのです。
未だに 私にとって 祖父や 西男爵は 日本を守ってくれた ヒーローであり
否定される存在では 心の底から 無いと 思っています。
平和主義も 良いけれど、だからといって 私達の祖先が 特攻隊としても 日本の為に
戦ってくれた事を 小ばかにする 先ほどの 二つの団体の ムショウに 腹が立ちました。
こんばんは~
すごいおじい様がおられるのですね。
私も親類の今は亡き戦争に行かれたおじいさまからいろんな話を二十歳のころに聞かされましたが
真実はものすごいものでした・・怖くて語れないです。
いろいろな犠牲のもとで今の日本の豊かさがあることを思うと
今の若者は何甘い事言ってんだ‥って思いますが、何かをできる年齢でもないの
おとなしくしております~
いょっく知っていましたね 笑
その「バロン ニシ」です。
リアル 私の祖父は 西男爵の機動化部隊の 戦車の運転手でした。
祖父は 部隊に配置された その日に 西男爵の人柄に惹かれ
この人の下なら「死んでもいい」と 思ったと聞いていました。
ただ、硫黄島に行くときは 残念ながら 東京に残る 連絡員でした。
で、お盆なので 怖い話をしますが、祖父が亡くなった年、昭和63年の春
祖父は 夢を見ます、丘の向こうから馬に乗って誰かが来る。
ふと、自分の姿を見てみると 自分も馬に乗っていたそうです。
向こうから来る 人馬と 丘の頂上で 出会うと、それは「西 隊長」でした。
敬礼をビシッと きめた祖父に 返礼を隊長はされ
「よく 今まで頑張ったね」と言って グレーの軍服の上着を肩に かけてくれた
そぅです。
で 話しながら昔話をしながら 丘を下って行ったとの事。。。
その事を 私に電話で 話してきた瞬間、
私は「急いで 病院に行って 精密検査を受けるように」と 言葉を絞り出しました。
・・・案の定 癌でした。。。グレーの上着なので 死ぬ確率は50%だったと 思いますが、
祖父の心は あちらの世界で 隊長との再会を望んでいたのかも しれません。
昭和63年12月25日 クリスマス・・・祖父は他界しました。
その 青山墓地に 私と通っていた「サイドカー」を形見に。。。
今は あの大網白里市の お宝倉庫で モニュメント化しています。
「祖父は 次の世界で 西隊長に 会えたのかな?」と 思いながら
私は現場で 戦車ではなく キャタピラで駆動する「ユンボ」を運転しながら
天を 仰いでいます。
そだ 昨日 祖父の眠る墓地に 墓参りに行きました、私の今居る 住居には
祖父の帰る仏壇は無いので、世田谷のお寺さんの所にある 合同墓地に 香を捧げてきました。
私が 向こうに行ったら バイクで ツーリングでもしましょうかね。
投降の呼びかけをも無視し、玉砕したと聞く・・
馬術にたけたおヒトとか・・
今日一日は、冥福を祈り、穏やかに過ごしましょう