【小説】限りなく続く音 2
- カテゴリ:自作小説
- 2025/08/14 22:20:08
くねくね曲がった細道を、草太と二人、浜へ向かって降りてゆく。目覚めて見ていたタチアオイの絵の中をくぐって、波音の源を目指す。民宿や海の家の看板の並ぶ向こうに水平線が見えると、草太は「早く行こう」と私の手を握って駆け出した。
「海が近くていいよなあ。毎日泳げるじゃん」
砂浜にビニールシートを広げ、二人で四隅に砂を載せていると、草太は昨日ここへ着いた時と同じ事を言った。私は「毎日なんて泳がないよ」と答えた。草太は「俺なら毎日泳ぐよ」とニコニコした。草太は埼玉に住んでいる。よっぽど海が珍しいのだろう。単純な頭だ。
海はいつもここにある。何かの確信のように。そして絶えず波音を響かせている。時に静かに、時に叫びを上げて、変わらず一つを訴え続けているのだ。私は海が嫌いだった。草太の遊び相手にあてがわれなければ泳ぎに来ることなどなかった。
あの日、結局叔母が呼びに来るまで、私たちは自販機の横の長椅子に座っていた。コーラの炭酸が飲むたびに胸につかえて、なかなか飲み終えることができなかったのだ。叔母は私たちを見て「あらまあ、すっかり仲良くなったのね、良かったわ」と勝手に決めつけた。父も「夏休みに遊びに来るといい。海があるよ」などとまるで海が自分の物のように言って、今回草太を呼び寄せたのだった。
私がワンピースを脱いで水着になると、草太は目を丸くした。
「俺、どこで着替えればいいの」
「海の家で脱衣所を借りれば?」
「やだよ、金取られるじゃん。いいや、ここで」
そう言ってTシャツを脱ぎ捨てた。
「やだ、恥ずかしいじゃない」
「ちょっとダケヨ。アンタも好きネエ」
草太はビニールシートの上に寝転がって、加藤茶の真似をしながら短パンのウエストのゴムに手をかけた。慌てて背を向けると、アハハと笑って「嘘。あそこの車の陰ではきかえようっと」と立ち去る気配がした。やっぱりバカだ、草太なんて相手にしていられない。私は海に向かって駆け出した。
ここの波は少し高い。平泳ぎで顔を上げて浮かんでいると、ふわりと持ち上げられ、がくんと落とされる。波が近づくのが見えるたび、その高さを目で測って待つ。この浮遊感だけは嫌いじゃなかった。波の冷たさは孤独と親しい。
「ちなつー」
波の頂上から振り返ると、草太が顔に波をもろにかぶるところだった。
「わあ、塩っからい!」
草太はペッと舌を出し、片手で顔をごしごしこすった。
「あそこのブイまで競争な」
そう言うと、もう先に泳ぎ始めた。草太の泳ぎはがむしゃらだ。がむしゃら、というのは、波が近づこうが調子を変えずにぐんぐん泳ぎ、波をかぶってばかりいたからだ。高い波にひっくり返るのが見えて、(本当にバカなんだから)と草太に近づき、腕をひっぱってやると、水面に顔を出した彼は「あーっ、びっくりした!」と大声で言って笑った。浜の方から監視員が拡声器で私たちを呼んだ。「あー、ブイに近づいてる人ー、二人ー、危険ですからー、戻ってくださいー」。見るとブイまであと十メートルくらいだ。
「何だよケチ、ブイまでいいんじゃないのかよ」
浜を睨んで唇を尖らせた草太はこちらを振り向き、「なあ」と笑顔を見せた。つられて私も笑みを返すと、浜へと並んで泳ぎだした。草太は私の速さに合わせて泳いでいた。
脱衣所を借りる分を惜しんだ小遣いで、私たちはかき氷を買った。ビニールシートに並んで座り、海を見ながらかき氷を食べた。日差しが腕や脚をちりちりと焦がし、それを癒すように潮風がひんやりと撫でてゆく。いちご味の氷が喉を滑り落ち、私は外から内からじわりとしみる何かを感じて目を伏せた。管理事務所のスピーカーから流行りの歌が流れていた。その歌を聴いて、草太は「トシちゃんとマッチとどっちが好き?」と訊いた。私は心地よい感覚を破られたことに(そんなのどうでもいいじゃん)と思って「ヨッチャン」と答えた。
「俺ってマッチに似てるって言われる」
「ふうん」
それもどうでもよかった。
「ひょろっとしててすぐ頭に火がつくとこが」
思わず吹き出した。
「何だ、そっちのマッチかあ」と仰向いて笑った。草太は私の手の紙コップを覗き込んで「もう水になっちゃったね」と言った。何気なく「飲む?」と訊くと「うん」とコップを奪って赤い水をごくんと飲んだ。その瞬間、私の耳に波音が戻って、今まで聴こえていた音がかつてないものだったことに気がついたのだった。
うんうん、物語の舞台はまさにその頃ですね。←一応調べました
多分、この先の展開を予測しているからの選曲かもです。(*´꒳`*)
わたしも海が手元にある場所で育ったので、盛夏に浜で漂ういろんな匂いまでを感じながら読みました。
草太に翻弄されるちなつが初々しいです。
さわやかな夏の風を感じるお話。。
――なのに、読みながらのわたしなりのBGMは「かなしみ2ヤング」です。笑