敗戦の日と初めての霊体験
- カテゴリ:日記
- 2025/08/15 17:12:50
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何歳の頃かはっきりしないほど小さいころ、横須賀ならまだわかるけど、どうして成増や朝霞に英語看板の店があるんだと驚いた覚えがある
はるか昔に閉店しており廃屋のようになっていたけど、その近くに駐留米軍の基地があったのを知ったのはずっと後だった
大人になって偶然成増の近くに住むことになったけど、もちろんそんな看板はとっくになくなっていた
そんなことを考えていたら初めての霊体験を思いだした
それは小学校3年生くらいだったか、家に帰りランドセルをしょったまま居間を覗いたら、着物を着た女性がぽつねんと座っていた
なんとなく声をかけずらくてお店(クリーニング店をしていた)にいた母に「誰か来ているよ~」と伝えた
ちょうどその時間に母の母、つまりボクの母方の祖母が亡くなったとしばらくしてから親戚から連絡がきた
ぽつねんと座っていた場所は祖母が家に来た時に座っていた定位置だったし、着物の色も覚えている
でも影が薄く顔は下を向いていたのでおばあちゃんとはわからなかった
平面的で厚みのない、あっさりとした姿としての記憶しかない
先祖浄霊をしたのは父方だけなので、母方の先祖のことも思い出してせめて手を合わせてみようかな、お盆だしね~(≧▽≦)



























高市さんが総裁に決まってほっとしています。
決選投票の際の、麻生元総理の「全国の党員の票が多い方に投票する」という判断は正しかったと思います。
国会議員よりも地方の党員の方が我々一般庶民の気持ちとか希望とかを直に聞いているでしょうから。
また、高市総裁には必ず総理になっていただきたい。
そして、ASEANが今年開催されるそうですが、きちんと礼儀正しく活躍していただきたいです。
忘れ去られると言うのは、あまりにも悲しいですから。
若い頃は自分中心の世界観だったのが、最近は『もし、それが自分だったら』と言う考え方に変わって来ました。
ボクも魂の塊みたいなの見たことありますけど、影ではなく光の玉でした
確か大学時代だと思いますが寝付かれず悶々としていたら強い視線を感じたんです
えええ~っと目を開けたら左にあったファンシーケース(懐かしい安物の衣装ケース^^)のところに野球ボールより少し大きな、やたらに明るい満月のような光の玉が浮かんでいました
と思ったらスーッと右に動いていなくなったんです!
一瞬で頭がはっきりし、カーテンに隙間がないか確認しましたがしっかり締まってました
仮に開いていたとしても強力な懐中電灯で照らしたような光は隙間からいくら強い光が差し込んでも全くにじみすらなかったので無理だと思います
不思議と熱を感じない、わずかに黄色がかった白色の光で明らかに意思を持っていました
これがエネルギーそのものの魂の姿ではないかと思いました
日記へのコメント有難うございます。
Cコインでしか遊んでいないのに3位とはびっくりです。
私の父は戦争の事は一切語りませんでした。
召集令状が来てどこかに送り込まれたようですが、それがどこなのか私は知りません。
思い出したくもなかったのだと思います。
当時の多くの方々が心と身体に大きな傷を負っていて、でもそれをグッとこらえて
戦後の日本を復興して下さった。
日本を守ってくださった御英霊にも当時の日本人にも本当に感謝です。
それにしても、アメリカによる日本の一般市民への大虐殺を問いただせる日はいつになったら来るのでしょうか。
いわれてみないとわからない
僕らは戦後あたりの英語の看板とかをレトロでカッコいいとか思っちゃうけど
戦争体験者はどんな気持ちで振り返るんだろう
広島県では社会科の授業が他の地方と違うんだよと知人が言ってたけど
ぼくのばーちゃんは戦争のことはあまり語らなかった
ばーちゃんが亡くなったあと僕も例体験?をしました
ばーちゃん本体ではなくて魂のかたまりのような影だったんですけど
お祓い?はしません
ばーちゃんだから