夏に食べたくなるもの
- カテゴリ:今週のお題
- 2025/08/18 22:46:13
フツーに冷やし中華、
自分で作るには具を揃えるのが手間だけど、
前に偶々入った街中華で食べたのは
焼き豚と胡瓜だけ、てのがシムプルで美味しかった。
「シミュレーション~、、」 NHK
後編。報告を受けた上の方々が、
どんな思いでその後の戦局を眺めていたのか、
て描写も欲しかった。
櫻井智さん、お亡くなり。
もっと出演数があった印象だけど、、53歳とはなあ><
追悼するかの如く「マクロス7」がABEMAで配信。
メンテだったー
戦争体験を持つ方がどんどんと減っていく現在、
これからの日本はどうなっていくのでしょう?
最近の投書にあったのですが、
広島で「爆心地だって、ウケる~」と笑う若者を見掛けた
とか、
「二十歳の息子が 復員 を知らなかった」
とか、、 怖いですね。
そうかもしれません~。
実はニッボンは、日露戦争の後の第一次世界大戦でも、
国際政治的に上手に立ち回って戦勝国になり、
世界の五大国の1つに成長。
(鬼滅の刃の時代の頃だから、凄いことではありますね!)。
でも、それを成し遂げた人々は、いわゆる明治維新を推進した人々でもあり、
有能な人材がその時期、集中的にいたのでしょう。
でも、昭和になると、そういう有能な人々も故人となってしまい、
高級軍人など後輩たちには、大先輩の成功体験だけ伝えられ、
変な自信となったのかもしれません。(汗)
変な自信になっちゃったんでしょうかねえ、、
真珠湾への奇襲は、宣戦布告がちゃんと届いていたら
アメリカの戦意も少しは下がっていたかも??
”長期戦になれば日本は敗北する。
開戦後、最初の1,2年で圧倒的な戦果を挙げ、日本優位な立場を確保。
その間に第三国に仲裁国になってもらい、日本有利な講和を結び戦争を終わらせる”
という方針を立てていたそうです。
これは日露戦争勝利の時と同じパタン。
これに基づき、仲裁国となってもらうべく、ソ連(当時、日ソ不可侵条約を締結)に
親書を送っていたけど、ソ連は沈黙・無視・・。
対米開戦前にも、事態を収拾すべく、日米首脳会談を開くチャンスが3回あったけれど、
日本側が拒否。
ことごとく外交政策が失敗していた模様。
陸軍、海軍、政府の足並みが揃ってなかったのが致命的でした。
いや、考え始めたら必敗の結論にしかならないと
内心では予感していたのかも。
最後まで研究を続けられたのが逆に不思議です。
まだアメリカと開戦の前だったからか知らん?
「シミュレーション・・」、上のエライサン達は、
”日本敗北”の結果を受け、「現実とシミュレーションは違う。」といって
お蔵入りにしたそうです・・。
「日本敗北」ではなくて「日本が勝利するには?」というタイトルで
提示すれば、また変わったかも??