Nicotto Town



知らないことのこと。

最近、もうすぐ死ぬことになっているAさんを見舞いに行っている。

Aさんは病名は伏すけどもうありていに言えば淵の病というやつで、医者の余命船側によればあと数か月ですともう1年以上前に言われていた。
こういう余命の予告っていうのはあくまで中央値的な話らしくて、Aさんがこうして今生き延びているのも、ありうる可能性の一つだし、とはいえ後10年後生きているかというとそれはなさそうという状況だ。
Aさんの数少ない友達である私は、だからAさん宅に極力時間を見つけて見舞いに行っている。もうすぐ死ぬということは、動ける範囲や見れるものや食べられるものがどんどん少なくなっていくということで、それはあまりに悲しいことだと思ったのでーAさんにとって悲しいかなんてとても効くほど無神経になれないが、少なくとも私にはそう思われたので―極力話に言っている。Aさんの家族からすれば、もうほとんど口を開くのもおっくうになってきたAさんが、私が来訪すると、元気な時のように量子力学の話や江戸の浮世絵の話や古代ギリシャ哲学やマルクス経済学の話なんかを生き生きとしゃべり出して人が変わったようでうれしいという。ーもちろんこれがAさんにとって志和早生なことなのかも私にはよくわからないんだけど


前置きが長くなりました。そんなこんなで、私はAさんを見舞うと、「そういえば最近好きな音楽ってある?」と聞いてきました。
この答えが私にはとても難しかった。というのも、私は聞かれるまで築かなかったんだけど、私はいわゆる現代音楽のある人を今凄く推しているんですけど、それっていうのはいかにも現代音楽らしい自然音、不協和音、民族音楽やEDMにすらインスバイアされた様々な音のカオスが、テンポをだんだん失っていくというもので、これをAさんに伝えるのはあまりにも残酷ではないかと思ったんですね。
つまり私は、あと十年生きる人間にとっては知らない者がこの世に存在するのは希望だと思い続けてきた私なのだけれども、もし余命がもう少ない中で自分が把握し租借しきれない者に会うって、それは絶望でないかと、そう思ったんです。直感的に。


Aさんが亡くなった後、私の夢見にAさんが出てきて「見くびらないでほしいな」と笑っていました。
それでおろかにも私は二度目に悟ったのでした。
この世に知らない者がないことが絶望だっていうことは死の間際だって変わらないってことを。

そうして私は、あの日にその話題を避けて、マーラーの9番はアバドとバーンスタインどちらがいいかという話をしたことにやるせない気持ちになり、初めてAさんのことで泣きました。

生きていて一個だけ後悔したこと。

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