【小説】限りなく続く音 17
- カテゴリ:自作小説
- 2025/08/21 07:04:45
私が草太を探しに出たのは夕刻だった。
母は私の手に包帯を巻きながら「そっとしといてあげなさい。そう遠くへ行ける筈もないし、すぐに戻るわよ」と言った。私は(お母さんがそう言うのだから、その方がいいのだろう)と思ったが、それは先刻の草太に恐れを感じたことへの言い訳だったかもしれない。
私は浜へと自転車を走らせた。草太が長い時間を過ごす場所は他に思い当たらなかった。砂浜へ降りる階段の前で自転車を停め、海の方へと目を凝らす。草太が遠く、沖まで泳いでいってしまうかもしれないと思った。だが波の上には誰の頭も見えない。浜辺にも帰り支度をする人々がわずかにいるばかりで、草太の姿はなかった。私は監視台に係の人がまだ居るのを確かめて安堵した。
ペダルを踏む足が次第にゆっくりになる。駅へ向かう道と岬へ続く道、どちらへ行こうかと迷った。
祖父の眠る墓か、ひとりきりの海か。
太陽はもう山の向こうに隠れて、西の空はオレンジの光を滲ませていた。岬の方には明かりがない。明るいうちに行った方がいい。私はスピードを上げてハンドルを右に切った。養殖場の塀が終わる所に自転車を乗り捨てて、細い急坂を登った。
トンネルの入口で足を止める。
真っ暗だ。
(こわい)
私は唇をぎゅっとかんで駆け出した。
こわい。こわい。こわい。
何かがふいに肩をつかんで私を捕らえそうな気がした。
トンネルの真ん中の明かりはまだ消えたままだ。
「そうたああああ!」
(いやだ。こわい)
(ひとりがいいなんて嘘だ)
出口が逃げていくようだ。
(ひとりになっちゃだめだ)
突然、蝉の声が私を包んだ。
私はトンネルを抜けた林に転げ、鼻先に草の匂いを嗅いだ。
蝉の声は絶え間なく続き、私は夢から覚めたように空を仰いだ。
この時ほど、私は自分がここに在るということを意識したことはなかった。
ゆっくり起き上がると、擦りむいた膝に草の汁がついていた。私は展望台へと続く道を急いだ。