【小説】限りなく続く音 20
- カテゴリ:自作小説
- 2025/08/21 07:28:05
目覚めると、白い天井に光が四角い形に映っていた。それが時折揺れる。軽く首を動かすと、開け放した窓辺でカーテンが風に揺れていた。
(朝だ)
だが、私の部屋ではなかった。ここによく似た部屋を知っている。そこに居たのは、祖父だ。病院だとわかって、私はほっとした。
(良かった、助かったんだ)
だから草太も助かったのだとばかり思っていた。
草太の死を知らされて、私の思考は麻痺した。
草太が海から引き上げられた時にはもう息がなかったこと、海に投げ出された時に岩に頭を打ちつけたらしいこと、私たちが崖下で発見される前から海での捜索が行われていたこと、何を聞かされても、草太が死んでしまったことへの言い訳に聞こえて、痺れた頭に虚しく響くだけだった。
草太は棺に入って帰っていった。
翌日、草太の通夜のために、両親と私は浦和にある聡子叔母さんの家へ行った。団地の一戸の、2DKの狭い部屋で、私たちはそこに泊まった。叔父と叔母は、事故を知って駆けつけた時よりずっと落ち着いていた。団地の集会所で通夜と葬儀が行われた。
祖父の葬儀の時のように、涙は出なかった。
悲しいのに、泣けなかった。現実を受け入れるだけで精一杯だった。
(どうしてそんなに早く、草太が居ないことを受け入れられるのだろう)
すっかり小さくなった草太を両手に抱えて歩く叔母の背中を見ながら、私は不思議でたまらなかった。祖父が亡くなった時には、両親も私も、祖父本人も、その時の覚悟ができていた。だが草太は違う。突然、海に奪われたのだ。
草太はようやく自分の部屋に戻った。シールを貼った学習机とその脇に立てかけた古いバット、机の上には王貞治の印刷のサインと途中で放り出された夏休みの宿題、本棚の教科書と『ひみつシリーズ』、傷のついた箪笥と隅に穴の開いた襖。
そこは草太の海だった。
独りきり、どこまでも夢を泳ぎ、深い安らぎを得て眠る、草太だけの世界だった。
皆で祭壇に手を合わせた後、叔母がお茶をいれた。私に湯飲みを差し出しながら、「…本当に、」と小さく言った。
「千夏ちゃんだけでも無事で良かったわ」
「…叔母さん」
私は湯飲みを受け取らずに訊ねた。
「どうして、おじいちゃんと仲直りしなかったの?」
「……」叔母は目を見張った。
「おじいちゃんはどうして叔母さんと仲直りしなかったの?」
そして、私は両親を振り返った。
「どうして、お父さんもお母さんも、二人をそのままにしておいたの?」
「千夏」
「おじいちゃんが叔母さんを許していたら、草太は淋しくなかったのに。みんな、草太をひとりぼっちで死なせて!」
許さない、絶対に許さない、と繰り返し叫んだ。
溢れた涙は怒りの涙だった。
私は泣き叫んで座布団を振り回し、お茶がこぼれ、皆が「千夏」と口々に呼んで私を取り押さえた。
許さない。
絶対に許さない。
私は草太の手を放してしまった。
草太をひとりぼっちで死なせてしまった。
私は私を、絶対に許さない。