Nicotto Town



散文詩 ■私は私

  // すべてが詳らかになったとて 誰も幸せにはなれない

   ・ならば、 このまま深い霧の中を彷徨って歩く


     霧は白く 白く  視界は不明瞭 --

     水が欲しい・・  井戸はないか?、泉はないか?



     どこまで行っても、私は私でしかない ・・

     私は私

     私以外の何者でもない 」


#日記広場:小説/詩

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2025/09/03 13:43
> しずかさん

時間をかけて、そして心の力を使って、私の詩と向き合って下さったことが伝わってくる、素晴らしいコメントをありがとうございます^^

この作品は、我ながら難解過ぎて意味不明かなと懸念していたので、正直ここまで深く読み解いて頂けるとは思っておらず、ただただ感謝している次第です^^;

」の存在に意味を見出す視点、「五里霧中」という的確な言葉の選択、そして「縁覚乗」という境地への昇華。しずかさんの解釈は、もはや独立した一つの作品のようです。

この詩は、私自身が霧の中にいるような心境の時に、記号や空白も含めてキャンバスに一枚の絵を描くかのような感覚で綴り、レイアウトしたものです。
しずかさんの言葉によって、その絵に確かな意味の輪郭と、深い奥行きが与えられたように感じています。本当にありがとうございます。

「凹んでいた時間があった」中で、私の詩に心を寄せて下さったことに、重ねて感謝いたします。どうか、ご自身のペースを大切になさってくださいね^^
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2025/09/03 09:11
何度も何度も読み返しました。

前文に

が無いのにはないのに、詩の最後に

があることに必ず意味があると考えてました。
そうすると
「散文詩 ■もう一人の私」
の続編と考えたらすっと私の中で意味が通りました。

「深い霧」は「自分が何者であるか」を探求している「心」の状態を的確に表していると思えました。
「暗中模索」ではなく「五里霧中」ということですね。

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Google先生より
「暗中模索」は手掛かりのない状況で「手探りで探し求める」行動そのものを指し、試行錯誤のニュアンスが強いのに対し、「五里霧中」は「手掛かりもなく迷い困る」状態そのものを指します。
つまり、暗中模索は具体的な行動を伴うのに対し、五里霧中は困惑・迷っている状態を表すことが多いです。

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自己同一性を完成させる、まさにその瞬間が
私は私
私以外の何者でもない 」

という仏教でいえば「縁覚乗」に至った状態と思いました。

Google先生より
縁覚乗(えんがくじょう)
仏の教えに頼らず、一人で自然の理(無常など)に導かれて悟りを開く修行。独覚(どっかく)とも呼ばれる。

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また勝手な解釈をして申し訳ありません。
ちょっと凹んでいた時間があったので、感想がまとまり切れず、時間がかかってしまいました(;^_^A
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2025/09/03 07:57
> しずかさん

こちらこそ、よろしくお願いします!^^
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2025/09/03 07:36
よろしくお願いします<(_ _)>
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2025/08/30 13:21
めっちゃ素敵な詩ですね(`・ω・´)b



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