Nicotto Town



仮想劇場『セミと僕と親愛なる人』


 夏も8月後半に入るとどこかそっけなく思える。例えるなら口やかましかった太陽の質がちょっとだけ変わったような感じだ。同時ににセミたちの自己主張も終わりに近づく。
 そのことを「少し物悲しいね」と10畳間の女主さんは漏らした。僕は何も答えずただただ押入れの天井を見上げている。

 故郷から街に戻りもう3日がたっていた。シゲちゃんへの謝罪の念が紛れるまでに3日かかったと言い換えたほうが正しいかもしれない。戻るなり押入れに閉じ籠った僕に部屋の主は何も聞かないでいてくれた。それが単純に有難かったし救われた。


 4日目の昼過ぎに僕はようやく押入れを出て女主さんと共に昼食をとった。小さなテーブルに置かれたふたつの冷やし中華と卵スープでやっと人間らしい食べ物にありつけたような気がした。
 酸味の効いたゴマだれが僕をまっとうな気分にしてくれる。
 女主さんも無言でただただ麵をすすり、ひと心地つくまでは静かに夏の昼食時間を愉しんだ。


 ベランダに干された洗濯物が風に煽られるたびに涼し気に鳴る風鈴の音に心癒されるわけだが、僕が郷里で起きた出来事をポツポツと話はじめると女主さんは小さく頷きながらも黙って聞いてくれた。

 無くなった実家の事、
 墓守が居ないこと、
 フジコの事、
 そしてシゲちゃんとラジオの事。
 少し興奮したせいか時折自分の語気が強くなっていることに気が付く。
「あ、いやゴメン。なんか愚痴みたいになっちゃった」
 最後で言い訳がましくなった自分を嫌ってそんな言葉を口に出した。
 女主さんは小さく首を振ってこう返す。

「ねぇそれ、私にくださいな」と。

「へっ?」
 素っ頓狂な声をだして僕がキョトンとする。すると女主さんも、「結局は要らないんでしょう?」と続けて右手の平を差し向けてきた。

 彼女の意図もわからないまま僕はシゲちゃんのポータブルラジオを彼女の手の平に置く。
「いやいや、」と彼女がテーブルの上にそれを転がした。

「ちがうの? ラジオが欲しいのかと思った」

「なんで私が知らないおじさんのラジオを欲しがるのよ・・・」

「そうだよね」
 そういうやり取りをしたあとで彼女は改めて僕の胸ポケットを指さした。ポケットには帰路の道中で捨て損ねたタバコの空箱がある。

「あなたどうせ自分では持て余すんでしょう?」と彼女は言って箱の中に押し込んでいた紙切れを取り出すと、臆面もなく火を付けて灰皿に落とした。一瞬の出来事で僕はまだ彼女の意図を読めなかったわけだが、とにかく、フジコが連絡用にとくれた携帯アドレスが一分ほどで完全な灰になったわけだ。

「うん、これでこの話はもう終わり。ついでにそのラジオも私が処分しといてあげる」
 言うなりにテーブルからも落ちて畳の上で所在を無くしていたシゲちゃんのラジオを取り上げると、彼女は僕のトラウマと共にゴミ箱の中へと投げ込むのだった。


 部屋に充満した煙を排気しようと窓を開けると一斉に鳴き始めたヒグラシに耳を奪われる。どこか勝ち誇った顔で胸を張る女主さんの素朴なやさしさに心臓を掴まれた気分で僕はようやく少しだけ頭を下げた。
 そして「ありがとう」と一言だけを彼女に残し、何食わぬ顔で僕は押入れの中へと帰っていったのである。





          「セミと僕と」完 

#日記広場:自作小説




Copyright © 2025 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.