ある中世ヨーロッパの男性の論文を紹介その1
- カテゴリ:日記
- 2025/09/15 10:43:39
「キリスト教における《女性蔑視》 藤 谷 道 夫」より引用
https://opac.teikyo-u.ac.jp/iwjs0016opc/gaikokubungaku19-01._?key=YIPVUL
*途中、失礼ながらごちゃついている部分はカットしています。
❝1509年、ケルン生まれのオカルティスト、アグリッパHeinrich Cornelius Agrippa von Nettesheim(1486-1535)は、フランスのドールで『女性の高 貴さと男性に対する卓越性についてDeclamatio de nobilitate et praecellentia foeminei sexus 』(1529年刊行)という痛快な論文を書き残している。この 著作はまだ日本で紹介されたことがないため、ここにその要旨を抄訳して おこう。
アグリッパはこれまで教会が女性蔑視の根拠としてきた神話を逆 手にとって皮肉り、同じ素材を用いてまったく反対の結論を導いている。 「《要旨》人間が創造された時、男女は肉体において異なっていただけであ り、魂においてではない。それゆえ、肉体が滅びた後は、男女の差は消失 してしまうのであり、われわれは皆、復活の時に、天使のような(無性の) 存在となる。魂に関して言えば、男女は同じである。ただし、他のすべて において言えば、女性の方が創造のより善き部分である。
第一に、女性は 男性よりもより善く造られており、それは彼女が受け取ったより善き名前 に示されている。
男は《アダム》と呼ばれたが、それは《土》を意味して いる。一方、女は《エヴァ》と呼ばれたが、彼女は《命》という意味であ る。
生命が土に優るように、女性は男に優っているのである。《あのならず者は名前の通りの人間、ナバルという名の通りの愚か者です。》(『サムエ ル記(上)』25, 25)《御子は、天使たちよりも優れた者となった。天使たち の名よりも優れた名前を受け継いだからである。》(『ヘブライ人の手紙』1, 4)と聖書が述べている通り、名は体を表すからである。
さらにまた、男は 獣たちと同じように荒野で、楽園の外で創られた~しかも土塊から造られ た~のに対して、女はその後、楽園の中で創られている。彼女こそ、楽園 で創造された唯一の人間なのだ。また女性は土塊で創られておらず、天の 物質の流入に因っている。アダムのあばら骨一本以外、彼女の組成の何一 つとして地上的なものはないからである。
また、男と女が水の中に落ちた としたなら、そして外からのいかなる手助けもなかったとしたなら、女は 水面に浮かぶが、男はすぐに水底に沈んでしまう。(多くの詩人が歌うよう に)女性の肉体を通して神の光が輝くのも、女性が神の光によって作られ ているからであり、だからこそしばしば奇跡的な美が映し出されるのであ る。要するに、女性は地上のあらゆる美の総体なのである。人間の最も高 貴な身体部位がどこかと言えば、それは頭である。しかし、男の頭は禿になっ てしまいがちである。それに対して、女性の頭は決して禿げることはない。 男の顔はしばしば非常に不快な髭で厚く覆われるが、それに不潔な髪がぼ うぼうと伸びると、野生の獣の顔とほとんど区別がつかなくなってしまう。
それに対して、女性の顔はいつも清潔できれいなままである。女性が生ま れながらに清らかであることを最もよく証してくれるのは、次の事実であ る。女性は、一度体を洗えば、清潔になる。二回目に洗えば、もうその水 を汚すことはない。しかるに、男の場合は、決してきれいになるというこ とがない。男が十回続けて洗おうが、その水はまた曇り、汚染されてしまう。 また、人間は最高の宝物を授かったが、男も同じように女性~母または乳 母~からその賜物を授かった。しかし、それはもともと女性に惜しみなく 豊富に授けられた宝物であり、そのためこの世の中に口の利けない女性を ほとんど目にすることがない。
女性はその言語能力において男に優り、男 の方はもっぱら野獣に優るのである。❞
続く