興味がある人は読んでみて
- カテゴリ:日記
- 2025/10/10 02:21:55
第二次世界大戦前、日本で何があったのか知りたいと思い、とある文書を
検索しました。
以前は上海464で検索するとすぐに出てきたのですが、今は検索しにくく
なってしまい、探し出すのが面倒でした。
真実を知りたければやはり当時の新聞でしょう。
大正から第二次世界大戦までの記録があります。
「上海週報」といいます。
*検索の仕方
神戸大学附属図書館(下記URLをクリック)
https://lib.kobe-u.ac.jp/da/shanghai/
↓
<デジタルアーカイブで『上海』の画像を見る>をクリック
↓
<上海週報コレクション>をクリック
↓
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私は上海464が気に入ってるので、大正11年1月9日の
週報を選びました^^
さて、この週報を見ると、住友銀行・三菱銀行など、名前を聞いたことがある
銀行の名前やアサヒビールなどの名前が広告欄に幾つも見られます。
これらの店舗の支店または出張所は、上海・ソウル・二ューヨーク・ロサンゼルス
シアトル・リオデジャネイロ・ブエノスアイレス・シドニー・マニラなど
世界的に展開していました。
この週報当時より数年前、日本は、イギリス・フランスとの密約により
第一次世界大戦後にドイツに勝利した暁には、中国の山東省にある
ドイツの保有地を日本がドイツから取り上げることになっていたのに
アメリカらの仲裁(圧力)で、ワシントン会議によって山東鉄道を
借款化することを条件に保有地を諦めさせられていました。
中国としてはイギリス・フランスが勝った暁には
中国にドイツの保有地が返還される約束で
イギリス・フランスに協力していました。
それなのに知らないうちに売国されていたのですね。
欧米列強国の圧力で土地の保有は諦めたとはいえ、当時の4000万は
相当な金額だと思います。
どうせ返せまいと踏んだ日本は、保有地を手離す代わりに
半永久的に山東鉄道を支配するつもりで、中国が借款を
払い終わるまでは山東鉄道を日本人が管理する事を要求していました。
結論から言えば、結局、この借款は割と早く返還されてしまい
全体的には戦勝国として非常に不満が残るものとなりました。
日本政府はワシントン条約で、山東鉄道保護の名目で駐留していた
日本軍を撤退させ、青島での日本人居留地を求めない代わりに
・青島を自由貿易港として認め、外国人の自由な居住と営業を認める事
・青島における市井参政権を認める事
・山東省の主要な都市を外国人に開放する事
・膠済鉄道沿線の若干の鉱山は日中合弁会社が経営すること
を条件として条約を締結しました。
しかし、これらについては、中国人の「のらりくらり戦法」でまともに
履行されなかったようです。
週報のコラムには中国人への罵詈雑言、不満、怒りが
書き連ねてあります。
また、週報の本文は、孫文の北伐や抗日運動について
欧米列強国がキリスト教と言っておきながらやることは
偽善であるという事、山東鉄道の不穏な動きなどについて
書いてあるようです・・・
(昔の文はさすがに読めませんが、雰囲気でなんとなく^^;)
一連の裏側には、週報の広告欄にあるように色んな銀行や商社
紡績会社などがいたようですが、戦争にはどちらか一方が悪いと
いうより、様々な企業・政府の既得権益があるのだと実際に資料を
目にすると実感します。
鉄道は経済には欠かせないですからね。分かり易いです。
割と山東鉄道懸案問題について、知らない、もしくは忘れたという
人は多いのではないでしょうか。
当時の新聞などがあるとリアルですね~
以上、長くなりましたが、こういうトラブルがくすぶり続け
やがて第二次世界大戦へとつながっていくのでした。