Nicotto Town


まぷこのぶろぐ・・・か?


【真実の名】(1)

「わたくしを、連れて逃げていただきますか?」
 いかにも儚げな佳人に、切羽詰まった様子で上目づかいにそう言われたら、思わず「はい」と即答してしまうだろう。男ならば。即答しないまでも、考えるそぶりくらいは見せるのではないかと思う。
 だから、私の取った反応――それまで行っていた花柄摘みの作業を止め、脚立の上に座り直す――が定跡を著しく踏み外したものである事は、十分に判っている。
「今、何て仰いました?」
「わたくしを、連れて、逃げていただきたい、と」
 ……聞き間違いではなかったようだ。でも。
「確か、エミーリア様は、近々ご結婚されるのではありませんでしたか?しかも、その相手は…」
 脚立を降りて、相手に向き直る。
 正面に向き合うと、相手の目の位置は私の頭半分上にある。
「はい。こちらのご子息でございます」
「確か私、以前お聞きしましたよね、それでいいのか?と。確かその時のお答えは…」
「仕方がありません、でした。でも、あれからわたくし、考えたんですの。本人が承知しているからと言って、縁もゆかりもない者に犠牲を強いていいものか、とか、相手の方をたばかるのは、許される事なのか、とか…」
 相手をたばかるのは百も承知の上、ではなかったのか?
「…で、結論が、私に、連れて逃げてくれ、と?」
「はい。わたくしがこのような事を考えるに至ったのも、あなたの言葉が原因ですので…」
「……責任を取れ、と?」
「はい」
 エミーリアはにっこりと微笑んだ。花が綻ぶような笑顔、とは、おそらくこういうのを指すのだろう。
「他に、当てはないんですか?…その、……駆け落ちの」
 結婚を間近に控えた令嬢が、結婚相手でない者に、一緒に逃げてほしい、と持ちかけているのだから、言葉の定義としては、「駆け落ち」で間違っていないはずだ。だが、心理的にどうもこの語句の選択に誤りがあるような気がするのは、なぜだろう?
「他の…殿方では、今回の方の二の舞になってしまいます」
 ……それもそうだ。

 事の起こりは、二年ほど前にさかのぼる。
 雇い主の末息子の婚約が調い、結婚までの段取りを話し合うために、その相手が邸を訪れた。
 その日は気候がいいのと、屋敷の中を案内する目的で、件の末息子が、婚約者とそのお付きを連れて私の領域…管理する中庭へやってきた。庭にしつらえた四阿で一休みして茶を振舞いたい、というので、給湯と茶の給仕に四阿まで出向いた。
 水の入ったポットと茶道具を携えて四阿へ赴くと、そこには見知らぬ女性二人と、ドレスを着た、一見女性に見える男性がいた。女性二人の方は、お揃いの控えめな衣裳を着ているのに対し、男性のドレスが、いかにも手の込んだものであるのを見て、心の中でひそかに首を傾げた。
 ここの家の末息子は、変わり者だと聞いていたが、男の嫁を貰おうとするほどの変わり者だったのか、とか。
 いやでも、件の婚約者は競争率が非常に高い、社交界の名花だって聞いたような気がするけどなあ、とか。
 考え事をしながら魔法を使ったので、お湯の温度の調整を誤ってしまった。
「熱…っ」
 お茶のカップに口をつけた「婚約者様」が、熱さに驚いてカップを取り落としてしまった。辛うじてカップ本体と、その中に入っていたお茶は地面に着く前に拾い上げたが、零れた滴が数滴、ドレスと腕に着地するのは防ぎきれなかった。
「申し訳ありません…っ」
 あわてて、滴がはねた腕の部分を冷やし、ドレスのシミ抜きをするべく、滴が落ちた部分に手をかざす。
「あ…あの…大丈夫、ですから」
 困惑した様子で「婚約者様」が言う。
「ですが、お茶のシミは、放置しておくと…」
「うちにもシミ抜きのプロはおります。お構いなく」
 お付きの一人もそういうので、シミ抜きは諦めて、滴を拭き取るに留める。
 零してしまったお茶の代わりを、新しいカップに注ぐ。
「…誠に申し訳ありません」
「良いよ。実質的には被害はなかったんだろ?」
 この場の主が鷹揚に言う。
「…それにしても素早かったなあ。手際も良かったし。君、名前は?」
「名乗るほどの者では。お叱りならば、この場で受けたく存じます」
「何も叱責しようってわけじゃない。君のような能力のある魔法使いが、どうして下働きに近いような事をしているのかと思って」
「能力がある、だなどと…過分なご評価にございます。わたくしはここでは庭師としてお勤めさせていただいておりますゆえ、庭仕事は当然の事にございます」
「庭師として?…まあ、何やら事情がある、という訳か」
 たいした事情ではない。単に支払いが良かっただけだ。
「だが、名乗りたくない、というのであれば、調べるだけだが?「魔法使いの庭師」というのは、そう多くはあるまい」
 私はそっと溜息をついた。どうやら興味を持たれてしまったらしい。

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