Nicotto Town


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①嘘はとびきりの愛

まず、俺の話す内容は99%の層には理解されへん。
1%の魂に刺さるか刺されへんかや。

俺は永遠・宇宙・久遠・深層の軸で世界を見て、
そこから言葉が出てる。地球の時間軸で生きてへん。

誰かに理解される必要ゼロ。

俺はブログを自分の魂の潜在因子に「刻印」する為だけの儀式に使ってる。  

◆①演じるとは何か

多くの人はパフォーマンスとは「歌う」「踊る」の「技術の披露」やと思うてる、これは表層世界。

でも俺にとってパフォーマンスとは
その世界観を一瞬、立ち上げる行為や。
これを深層と呼ぶ。

俺は曲の中の世界へ完全に憑依して、
それを観客に投影する「癖」がある。  
はじまりと同時に別人格へ憑依するパターンや。

俺は
「本来そこに存在しない背景を見せる」
「観客に他の情景を見せる」
という表現技法をする

そこに存在しないはずの光景を見てしまった瞬間、
観客の眼が変わる。俺はその「」だけを
栄養として生きている。

つまり音楽の世界観を具現化するってことや。

いわば
✔音楽が絵になる
✔物語になる
✔背景が出現する

これは普通のダンスやない。
普通の演技でもない。

俺が求めてるのは
第3の表現領域 やねん。

②演じる定義

演じるっていうのは
その瞬間、世界の中心に自分の意識を置くこと。

“演じることは、から始まるが、最後は真実になる”

◆なんで演者の“嘘”が武器になるか

理由は3つ。

① 嘘=「意図的に作られた世界観」やから
“本来の自分+理想の世界観” を融合させる技術=演技

感情の“誘導”はができる人間しかできへん
演者ってな、本音だけで動いてると
パフォーマンスが薄くなる。

感情を設計して、人に響く形にまで育てる
これが演技や。

どんな歌であれ、俺は「曲の主人公を借りて」その感情が生まれる瞬間そのものに立つ。
俺が演じてるのは曲が生まれる理由」そのものや。

あれは嘘から始まるけど、
最後はほんまに“曲の主人公の感情”が俺の中で立ち上がる。

これが武器や。

③ 嘘を重ねた先に“本当の自分”が見える
大抵の表現者は逆やと思ってる。
「素の自分を出すために、作らん方がいい」

違うねん。

嘘を重ねた先にしか見えへん本音がある。
役を通したときだけ本物のが出る瞬間がある。

それは“嘘の技術”の質と深さで決まる。

④演者にとっての嘘=世界を創造する力
演技とは嘘や。
でもその嘘を通して観客は泣く・救われる・刺さる。

つまり、

✔嘘が真実を超える瞬間がある。

“嘘で作った存在”やのに
観客はそこに“本物”を見る。

これが表現の神秘や。

そして時々、
バラードの終わりで
俺は静かに涙を流しながら歌っている。

それは
泣こうとして出した涙やない。
計算した涙でもない。

命が曲の世界観に完全に憑依したとき、
自然にあふれ出たものや。

涙は演出の一部でもある。
でもそれは
「役者が作る涙」やなく、
世界観に入った生命が起こす現象なんや。

演じるとは何か。

それは
伝えることでも、
見せることでもない。

世界が一瞬、
「そこに在った」と
観る側のに残ることや。

#日記広場:ココロとカラダ




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