人のメンタルをケアしたりしていなかったりするお話
- カテゴリ:日記
- 2025/12/13 10:17:59
私自身、福祉に携わる人間としてその中でも「精神保健福祉士」として従事している身で普段から心に傷を負った人とコミュニケーションを取る機会がとても多い。
私がその方々とコミュニケーションを取っていく中で必要な事は、多少なりとも相手のメンタルの性質を少しでも知らなければならない。
疲れるか否か、で言えば私は今までの恋愛経験の中で軟禁されかけたりしているので特に疲れるであったり、面倒だと思う事はそこまでない。
唯一面倒だと思う時が有るとすれば「話が通じない」と判断せざるを得ない場面なのである。
そして私はA型事業所に関わっている身であり、実際に利用者の方のメンタルが崩壊しないように見守る必要があったりする。
別に実際に利用者の方が効率良く作業しているかどうか、それは運営する側からすると正直もうわりとどうでもいい事だったりする。
効率よく作業してくれる事よりも、長く利用してくれることの方がこちらとしてはありがたいのも事実なのだ。
国からお金がある程度出る事、そして利益を求めようとすると逆に利用者を潰しかねない事。
そんな中での活動なので必然的に、利用者を守る為にも自分を守るためにも、利用してくれる方のメンタル面をケアする側面がある。
そういった事を踏まえた上で「本題」に入るのだ。
福祉の人間に日常でもLINE等で悩みを聞いてくれる様な人はいる。
実際に私も利用者さんがコミュニケーションを取りたいと望むのであれば、相手の求めるソフトやアプリで会話をする事がある。
でも出来る事は「聞くだけ」であって「治療」は出来ない。
そして、メンタルが弱っている人に一番必要な事とされて良く言われている事がある。
「傷つかない何も心配の必要の無い場所に身を置く必要がある」
正直これを言われると「そんな場所無くね…?」としか言えない。
心に傷を負っている人から学ぶ事は凄く多い。
実際に私なんかよりも遥かに頭が良い方が多いと思う。
もしもこの人が「救われる」のならばきっと社会は少しでも良い方向に傾くのではないか、と思う事すらもある。
勿論うちの事業所の中に、グループホームで屋内での喫煙は禁じているのに喫煙をして「吸った?」って聞くと「吸ってない」と言い張るような方もいる。
そしてその人は実際に、私が着任するより前からいる方で昔からそういう方で実際に接してみて冒頭で話した「面倒だと思う時」→「話が通じない」と判断せざるを得ないのだ。
その方も勿論、通院はしている。
けれどずっと、何も変わらず結果は良い方向には向かっては行かないのだ。
別に怒りはしないけれど、イラッとする事は普通にある。
ついでに社長はブチギレる時は何事かと思うくらいブチギレる。
そしてA型事業所を利用してくださってる方は「その場にいてくれるだけ」それでも社会に貢献していると言う事を覚えておいて欲しいと思う。
「いてくれるだけ」でも良いのだ。
存在してくれるだけで良い、無理する必要は無いのだ。
と言う事で私は「傷つかない何も心配の必要のない場所」と言う曖昧な存在するかどうかもわからない場所が本当に存在するのであれば、利用者を全員そこに投げ込みたいと思うのであった。
それが多分、綺麗事じゃない非情な私に残っている優しさの残滓である。

























む、むしろこんな触れづらい話題にコメントしてくれてありがたい限り…!
私自身も考えている最中の事であって、まとまった考えだとは言い切れないのが現状ですね…。
精神保健福祉士としての中では見習いと言える身ではありますが、だからこそ改めて熟練した方にとってもしも「当たり前」になってしまってアウトプットしなくなってしまった事を言えたら、と思い…!
綺麗事だけでは回らない…と言う事の答えが、まさに「存在しているだけでいい」と言える理由になってしまいます。
私自身、元々人の死を願う様な事はしないのですがA型事業所は基本的に利用してくださる方の人数や契約内容に応じて国から援助金が出る仕組みになっているのです。
だからこそ、「優しさ」でもあり「A型事業所の維持」と言う為に極論もう「仕事しなくても良いからその場にいるだけで人の為になっている」と言えてしまう…のです。
なので人の価値は能力によって確かに左右される面はありますが、福祉と言う場や色々な制度によって人間はどの様な状況であっても「必要な存在」であって、「いるだけ」それだけで有り難いのです。
だからこそ、人に価値をつけるのはしたくないのですがあえて言うのであれば人の価値は国によって最低限保証されているのです。
距離を取らなければいけない人…、と言ってもA型事業所の倒産の一番多い理由として「利用者不足」があげられる事が多く、他の事業所はわかりませんがそういった事がない為に任意ではありますがうちの事業所では月に1度「個人」に対してのヒアリングを私が行う事になっていますね。
なのでその際に
「吸った?w」
「吸ってません!」
「バレる嘘つくのやめようぜ!w」
みたいな感じの会話になるのです…!
だから飽くまでも、話が通じないし面倒でも「見捨てない」のが私の仕事であり、福祉です。
本当に冗談ではなく「いてくれるだけ」それで誰かの助けになっていて、その方がいるだけでご飯が食べられる人も生まれるのです…!
というのも、いろいろと考えさせられちゃったのね。
うまくまとめられないけど感じたことを書きます。
精神保健福祉士として、いろんな経験をしてきた人の言葉だなぁと思いました。
苦い経験もたくさんしてきた上で、綺麗事では回らないと学ばざるを得なかったんですね。
それでも「存在してくれるだけでいい」と言える優しさがあって、
Lycorisさんは素晴らしいなぁと感じたし、
完璧じゃなくても、変われなくても、そこにいていいというスタンスが
支えになる人もいるのだろうなぁとも思いました。
だけど現場で関わっているとどうしても距離を取らなくちゃいけないこともあって、
Lycorisさんが「話が通じない」と思った時に、その人はどう感じているのだろうと思いました。
あなたが守るために引いている距離と、利用者が感じる距離の差についても
いろいろと想像してしまい、少し胸が苦しくなりました。
「いてくれるだけでも社会に貢献している」という言葉が印象に残りました。
成果や効率では測れない価値がある、という視点はとても大切だと感じました。
天秤座ではなく天秤自体の話になってしまうのですが、「公平性の象徴」であるが故に「俯瞰」する事において、意外と鍵なのかもしれないって思っています…!
適度にお互い分裂して生きていきやしょう…!
関係ないかもですが・・
私も天秤座☆ある意味2つに分裂してる生き物です('◇')ゞ
逆に私も恐らく、業種がわからないので憶測なのですがAnge様のお仕事は私には出来ない気がしています…!
勿論努力している方もいらっしゃるのですが、ミスを隠蔽する方が特に多いですね…。
「素直に言って貰えれば怒らない」
その前提の元、利用して貰っているのにも関わらず隠蔽されるので私もイラッとはしますが慣れた…といえば慣れてしまったというよりちょっとその方に関しては諦めてる…かもしれないです…!
ただあくまでも「社会に復帰するための訓練の場所」と言うことを理解した上で利用して貰っているのにも関わらず「誤魔化し」や「偽り」が絶えない場所なので、たまに私は業務中ZOOMで他の方が仕事しているかどうか確認してる時に半分口から魂出てます!
Ange様の「尊敬」と言う言葉はAnge様が社交辞令を好まない方だと理解しているつもりなので、特別な感じがします!w
なので素直にありがとうございます…!!
こちらが誠意をもって臨んでるのに、それをはぐらかされたり誤魔化されたり茶化されたり嘘つかれたりすることに永遠に慣れないだろうな、って思うんだよね。
Lycorisさん、偉いなぁ。
わたしができないことやってて、尊敬する。
私自身、ジャスミン様の考え方に凄く納得する自分もいるのですがどうしても中立の立場をある程度保つ必要がある。
と言う事で私は2つに分裂してる生き物だと思って頂けたら…!w
なのでジャスミン様の考え方も、2つに分裂してる方の片方の自分は凄く納得してもはや全肯定してすらいます!
「色々な角度から物事を見たり考えたりする癖をつける」
そういった考えに到れる人が少ないと私は思っているので、私も見習うと同時にその思考に敬意を抱きます…!
見習い精神保健福祉士の拙いお話を読んでいただけでも嬉しいのに、コメントまで頂けたのですから失礼しましたどころか、本当にありがとうございます…!
いえいえ・・・答えが無い事☆その通りだと思います。
此方こそ・・だからの私の考えと捉えて頂けたらと・・
最近・・自分の考えに固執しない練習として・・
いろんな角度から考えたり見たりする癖をつけるべく日々精進してます。
今更?・・ですが( ;∀;)
俯瞰して見ているようで見てなかった体験がいくつかあり・・
きっと傷つかない場所探しにもなるかな☆と思うこの頃です♪
長々と失礼しました<(_ _*)>
コメントありがとうございます…!
傷つかない場所にずっと居続けたらボケる…というのはその通りだと私も考えています。
ただ、現代において少しだけそうした「休息出来る場所」があっても良いのではないかな、と思っています。
ストレスの刺激や感情に起因する醍醐味に関しては、ストレスが極限まで振り切れてしまった人の中ではそういった感覚が薄くなってしまう事も事実としてあると感じています。
なので自分に返ってくる、としても人生において「安息の地」があるのであればそこに一度身を置く事もまた、醍醐味を楽しむための要素になり得るのかな、と思います!
答えが無い事…だと思っているので私なりの意見になってしまい、失礼な返答になってしまい申し訳ないです…!
傷つかない何も心配の必要のない場所」
↑仮にこんな場所があってそこに身を置いたら・・
人間ボケます。
ストレスという刺激があるからこそ人間はそこから考えて学ぶ☆
そこでMAXになってしまうと別の症状が出る気がします。
そして生きている喜びや悲しみや怒り、苦しみといった醍醐味?も味わえず・・
暫くすると生きている意味さえも分からなくなりそう。
嫌な事があった後のいい事はより嬉しかったりするし☆
結局自分の事を放置しない生き方をしてないと・・
自分に返ってくる気もします。