Nicotto Town


悠遠の夢語


サイコロを振り続けるお話。

久しぶりに日記を書くから温まりきってないからいつもより更に駄文だよ!

私は中学生の頃に洋画の「ノーカントリー」と言う「サイコパス」の殺◯鬼が主役の映画を見てそのサイコパスのスマートさにかっこよさと憧れを抱いてしまった厨二病なのである。

言ってしまえば、自分の気に入らない人間を躊躇無く何も感じる事無くただ無慈悲に頭部を撃ち抜いてしまう。
その様な男が主役の映画なのだ。
確かに「悪役」であり「クズ」であり「救いようがない」
そういった感想は私にもある。
でもそれ以上に「自分の理想の為」に「躊躇いがない」
そこに憧れてしまったのだ。

そしてそのサイコパスの一番有名なシーンとして、特に自分にとって都合の悪い事をしたわけでも無いただ世間話をしてきた店主を「◯すかどうか」それを相手にコイントスさせて決めるというシーンがある。
そしてそれの影響を受けて、今でも私は迷ったらコイントスをする習慣がついてしまった。

「表」が出るか「裏」が出るか。
2つの選択肢で悩んだ時に、決断するには一番手っ取り早いと今でも思っている。

その延長線上に私の中には「カエサル」の「賽は投げられた」と言う言葉が脳に焼き付いている。
でもカエサルの言ったその言葉には、もう引き返す道はないと言う意味で使われた話なのだ。
そしてそれは「決断」の言葉であって、賽とは飽くまでも比喩であって本当にサイコロを投げたわけではない。

私は人生において、サイコロの出目で失敗か成功か。
それが決まるのであれば私が「Lycoris」として終わる時は「サイコロを振る事」を辞めた時だと思っているのだ。
だから私は今日もサイコロを振り続ける。
理想の目が出るまで。
失敗して何かが起こっても、その失敗を覆す為にサイコロを振り続ける。
その失敗を覆す為に振られたサイコロで私が更なる窮地に立たされることになろうとも、私は気力が尽きるまではサイコロを振り続ける。
サイコロを振るのをやめなければ、確率は続いていくと信じている。

それが私の生き方であり、ハッピーエンド至上主義なのだ。

それだけのお話。

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