Nicotto Town



自作小説倶楽部12月投稿

『幻の夜』

「ある人の素性を調べてほしいんです。
わたしは世間では不屈の実業家、不死身の男などと呼ばれています。
確かに、大学を卒業してすぐに事業を立ち上げたものの失敗し、タチの悪い債権者に追われたこともあった。そこからなんとか立ち直って、十年かけて新たな事業を立ち上げて成功者になった。
よくやったと我ながら思いますよ。今では金を払ってまで私に事業のノウハウを学びたいと申し出る奇特な人間までいます。敗北者だった頃はドブ鼠を見るような目で見下されたというのにね。
ただし、成功は私だけの力によって成されたものではありません。
まず、私の命を救ってくれた女性がいたんです。
あれはひどく寒い大晦日のことでした。借金取りに追い回され、アパートに戻ると大家がドアの前で私を待っているのが見えました。数日前に家賃滞納で叱責されたところだったので私は踵を返して逃げだしました。
と、言っても行く当てなどありません。酒屋で一番安くて度数の高い酒を買って、瓶から直接酒をあおりました。
当時は状況に闘う術も気力もなく、ただ生きているだけでした。酔いつぶれて凍死した男の話を思い出して、自分もそうなればいいのにと思ったことを覚えています。親族とも縁が薄く、孤独と空腹で目に涙が浮かびました。

気が付くと私は温かな毛布にくるまれていました。次にぷんと安っぽい白粉の匂いがしました。
「あら、気が付いたのね」
私を迎えたのは純真な天使ではなく、厚化粧にだみ声の女でした。赤いドレスは胸元の閉じたものでしたが、豊かな胸は隠しようがありません。私は困惑と羞恥に赤面してしまいました。
彼女は私に熱いスープを差し出すと鼻歌を歌いながら身支度を再開しました。
夜の仕事をしている女だと容易に想像がつきました。
スープで胃がおちついたのに胸に黒い靄が沸き上がりました。
「君自身惨めな生活をしているのに私を助ける余裕なんてあるのか?」
もっとひどい言葉だったかもしれません。私は自分自身へのいら立ちを恩人にぶつけたんです。彼女は少し驚いた顔で私を見ると、次の瞬間、優しい瞳で微笑みました。そしてこう言ったんです。
「生きているだけで幸せでしょう?」

納得なんて出来ませんよ。でも毒気を抜かれました。お礼もそこそこに、しかも名前を聞くのも忘れて彼女の部屋を出ました。彼女の住まいは私が住んでいたアパートよりも古い長屋でした。それから、ずっと彼女の言葉が真実なのか考えながら生きてきたんです。
彼女とはそれきりです。
三か月ほどしてアルバイトが落ち着くと、彼女に改めてお礼を言うべきだと気が付いて会いに行きました。ところが住居そのものが無くなっていたんです。長屋は取り壊されて、住人は移転した後でした。
それで、移転先を訪ねたんですが、住民の老人に彼女の外見を説明したところ、何年も前に彼女は死んだと言われました。
確かに「何年も前」と言ったんです。
わけがわかりません。あの夜は私の幻覚だったというのでしょうか? 彼女はこの世のものではなかったのか?
何故今になって彼女のことを調べようと決心したのかって?
どういうわけか最近頻繁に彼女のことを思い出すんです。
ご存知のように私は最近結婚しました。妻は大学の後輩で彼女とは正反対のタイプです。声なんて銀鈴のようです。
妻といるのに彼女のことを考えるなんて妻にも失礼です。私はこの気持ちに決着をつけねばなりません」
◆◆◆
「彼がそんな事を言っていたんですか。
やだわ。仕事の取引の時は驚くほど勘がいいのに、女性に対しては鈍いんですよ。
そうです。彼を助けたのはわたしです。再会は偶然でした。
当時は大学生で、たまたま一緒だった友達と凍えた彼をわたしの住まいに運びました。そして彼が眠っているのを確かめてアルバイトの準備を始めました。
そうです。コスプレ居酒屋。
お店の控室の照明が故障したせいで家で化粧して着替えていました。ひどいのど風邪をひいていたのも魔女役をまかされた一因です。
死んだ? わたしが?
完全に誰かと間違えたのでしょうね。
そうですね。
彼がそこまで悩んでいるのなら、話さなくてはならないでしょうね。
恥ずかしいですよ。あんなコスプレしていたこともそうですけど、彼は大学の同窓会で再会してから恋愛関係になったと思っていますけど、
わたしはずっと彼が好きだったんだから」

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