【真実の名】(5)
- カテゴリ:自作小説
- 2009/11/02 00:25:57
やっと意識がはっきりしてきて目を開けると、心配そうにこちらを覗き込んでいる顔と目が合う。
「……大丈夫、ですか?」
「………あなたが、普段から、ご自分の性別の事を、お忘れになっている、というのは、良く、判りました」
舌で口の内側を探る。大丈夫。切れたところは、ない。
「ですが、手を上げるときには、思い出していただきたいものです」
「……はい」
エミーリアが恥入ったように、小さく頷いた。
「まあ、使用人の立場である私がこんな事を言うのは、僭越かもしれませんが。…どうもあの学校にいると、そういう感覚が発達しなくて」
「そんなこと…ありませんわ。感情に任せて力を揮うような真似は、慎まないと」
「感情に任せない暴力も、できれば慎んでいただきたいです。…身を守る目的以外では」
「…護身、という事、ですか?…わたくし、そちら方面の才はあまりなくて…幼いころ、一通り、得物の扱い方は教わりましたが」
まあ、あまり当てにはしてなかったけど。………当てって?何の?
「……やはり、他を当たっていただきましょう。自分の身を守ることも覚束ないような方と一緒に行動する自信はありません」
「そ…そう言うあなたは、ご自分の身は守れますの?」
「私、ですか?……人間相手には、試した事はありませんが、獣を狩る、くらいの事は」
…何でこんなこと明かさなきゃいけないんだろう?この人に。
「逃げ足は、早い?」
「…何から逃げるか、によりますが、それなりには」いざとなれば、「転移」という手もあるし。
「でしたら、逃げる時間を確保するくらいの手立てはありますわ。…それだけはしっかり仕込まれましたの」
……本当かな?疑わしいけど。どうしても、私を巻き込みたいとみえる。
「…それで、他に、逃亡計画を立てる上で、ご存じになっておきたい事は?」
「ええと…あなたの魔法は…」
「当てにしないでください。あまり大きな魔法を使うと、条件にもよりますが、私、行動不能に陥ってしまいます」
「…ですが、あなた…」
「行動不能になった私を置いて、あなただけお逃げになる、というのでしたら、それでも構いませんが。どうせお咎めを受けるのは私な訳ですし。ああ、ついでに言うと、逃亡の足として馬をお考えでしたら、逃走速度は通常の騎馬の六割くらいで計算願います。それから…」
「…つまり、あなたの協力は考えずに、しかもあなたがお荷物になる、という想定で、計画を立てろ、と?」
「…計画の段階では、それくらいの覚悟でいてほしい、という事です。私が途中で脱落したり、最初から加われない、という事もありますから。それができないのでしたら…」
どう考えても、私は「駆け落ち」の相手としては不向きだと思うのだが。体力も、知識も、財力もない。ついでに言わせてもらえば、どうしても逃げきろう、という情熱さえ。唯一の利点といえば、私が女だから、追手に対する目くらまし効果が大きい、というくらいか。
にもかかわらず。
「解りましたわ。その条件で、計画を修正してきます」
どこからこの情熱が出てくるんだろう?
「…ところで、改めてお聞きしますが、他の心当たりはないんですか?…駆け落ちのお相手の」
「ですから、殿方では…」
「言い方が悪かったですね。駆け落ちも辞さないくらいあなたに焦がれていて、しかも駆け落ちの計画を代わりに立ててくれそうな方、はいらっしゃいませんでしょうか?…できれば、準備も買って出てくれるくらい、行動力のある方」
「…代わりに?準備も?」
「ええ。実際に行動に移した時に、そういう方があなたの周囲にいらっしゃれば、…時間が稼げます」
それに、他の人が作った計画があれば、この人の立てた計画の穴も判るかもしれないし。
「…その方を捨て石に利用する、という訳ですか?…なかなか容赦ない事をお考えになりますのね」
「もっと酷いアイディアも考えましたが。その方と本当に駆け落ちなさって、途中で追い詰められて心中でもなされば、「エミーリア」を葬り去る事ができて、行動しやすくなるだろうなあ、とか」
「…心中…?まさか…」
エミーリアが蒼褪める。まあ、自殺をほのめかされるのは、あまり気分のいいものではないだろう。
「ええ、ふりだけで構いません。相手の方の生死も、この際問いません。「エミーリア」の生存が絶望視さえる状況を作る事ができれば」
エミーリアが俯いたまま何か考え込む様子を見せる。
「まあ、単なるアイディアですので。こうしろ、と言っている訳ではありません」
私の方は作業の続きに取り掛かる。この季節、すべきことはたくさんあるので。
「…そうですね。そういう事も含めて、検討してみます」
…ああ、これだけ言っても、やっぱりまだ諦めないんだ。
それにしても、どうして他人にこの計画を洩らさないんだろう、私?
………ところで、どうしてうちの実家のありかを気にするんだろう?