【真実の名】(6)
- カテゴリ:自作小説
- 2009/11/02 00:29:18
「あのー…エミーリア様。これはいったい…何でございましょうか?」
エミーリアの駆け落ち計画を覆せぬまま時は過ぎ、婚儀の方も、あとは一月後に末息子が帰国するのを待つだけ、という段階になっていた。
しかし、どうやら末息子は赴任先でケガだか病気だかを得てしまい、帰国が先延ばしになる、と知らされた。その報告をもたらしたエミーリアが一緒に持ってきたのは、淡い若草色のドレスだ。生地とデザインから想像すると、どうやら今ではなく、この先の季節…春先に着る物のようだ。
「ドレスですわ。見て判りません?…私のお古で申し訳ありませんが」
「それくらいは、判ります。私が言っているのは、どういう目的があって、とか、どういう名目で、とか…」
「…がドレスを贈る目的といったら…」
エミーリアが低い声で何かつぶやいた。
「…よく、聞こえませんが」
「あ、えーと、名目は、「卒業祝い」です」
「このような物、いただいても、着る機会がありませんが」
「…着る機会を作るから、贈りましたの。…サイズが合うかどうか判りませんので、試着してみていただけます?」
「……今、ここで、ですか?」
温室の中は北側の壁を除き、外から丸見えだが。…まあ、この季節庭を歩く者は少ないが。それに、床もあまりきれい、とは言えない状態だ。
「…あ。そうですね。えーと…ではわたくし、外へ出ていますので…」
「いえ…それには及びません。エミーリア様が風邪をお召しになってしまいます。…サイズが合わないと、何か不都合があるのでしょうか?」
ドレスを裏返し、縫い代を確かめる。やはりこういうぜいたく品は、見た目重視で縫い代の余裕がない。まあ、無地なので、スカートの方から布を取ってくれば、「幅出し」はできるだろう。
「不都合、は…」
「特に無いようでしたら、私が自分で手直ししますので。その…これを着る機会までに」
エミーリアがどういう状況で私がドレスを着る機会を作るつもりか、彼女が練っている計画の事を考えると疑わしいものがあるが、……ドレスには罪はない。はっきり言ってしまえば、ドレスというのは、私が密かに憧れていた物の一つだ。…有り体に言えば、このドレスのせいで、私はエミーリアの計画にかなり協力する気になってしまったのだ。
…我ながら、単純だ。
「…では、わたくしは近日中に別荘の方に移りますので。手順は呑み込んでいただけましたわよね?」
体の弱いエミーリアは冬の最も寒い時期を、避寒地の別荘で過ごす習慣なのだという。
そして、王都にある屋敷よりも警備が手薄である、という理由で、「駆け落ち計画」はそこからスタートすることになっていた。
「エミーリア様がこちらへお戻りになる頃を見計らってそちらへお邪魔するんでしたよね?馬車で二日、でしたか?」
問題は、「馬車をどうやって調達するか」だと思うが。…まあ、代わりになる足をどこかで調達すれば…どうにかして。このあたりで捕まえられるかどうか解らないが。
「はい。お渡しした地図で場所は判るでしょうか?」
「地図の見方は、分かりますが…どれくらい正確か、は行ってみない事には判りませんし。ただ……そこで行き倒れる、というのが、ちょっと…難しそうな」
「本当に行き倒れる、までは求めませんが…わたくしが医師を伴っていくので、ちょっとした病人やけが人でしたらうちに運ばれてくる可能性が高いのです。わたくしがいる間は」
なるほど、別荘で体調を崩しても「エミーリアの秘密」を知らない医師には、診せる訳にはいかない訳だ。
「その、お医者様は、今回の件はご存じで?」
「お教えしてはいませんが…この縁談に否定的な方なので…状況の持っていきようによっては、協力していただけるか、と」
状況、ね。
「他にご存じの方は?」
「…プルードン家のご子息の方。あと、すぐ上の兄二人には、それとなく匂わせてあります。色々と協力を仰ぐために」
プルードン家の、というのは、ダミーにされる男の事、だろう。
彼が中間の街でエミーリアをかっさらい、体力のないエミーリアがついていけなくなったところで、心中を持ち出すなり自分を置いて逃げるよう申し出るなりする、という予定になっている。…あくまで、予定だが。
その間、私は何をしているか、というと。
荷物の中に隠れてついて行く、というものだ。いくら私が小柄でも、無茶にもほどある。今から苦労がしのばれる。
こんな計画、きっとどこかで破綻する。