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雨の高原にて ――不在のオルゴール

Ⅰ.雨の高原(プレリュード)
雨は しめやかに 落葉松(からまつ)の林を濡らし
私の輪郭を 淡く 風景のなかに溶かしてゆく。
私は存在しない幻影、この高原の 霧のやうに
あなたの傘の すぐそばで 息をひそめている。
(あんなに明るかつた 夏の日の午后は
 どこへ 隠れてしまつたのでせう)
濡れたベンチには 誰の影も残つていない。
ただ 雨の音だけが 古い楽譜をめくるやうに
誰も知らない さみしい歌を 繰り返し歌つている。
Ⅱ.壊れたオルゴール(回想)
小さな木箱のなかで オルゴールが鳴つてゐる
ねぢを巻く手は もう どこにもないはずなのに。
一粒づつの音の礫(つぶて)が 雨音にまじり
銀色の たどたどしい旋律を 紡ぎだしてゆく。
(それは 私がかつて 口づさんだ調べ
 けれど 今の私には もう声がないのです)
音は 空中でひとつづつ 透明に砕けてゆく。
私は その余韻のなかに かろうじて立ちつくす
忘れられた 玩具(おもちや)のやうな あどけない幻影。
Ⅲ.光る滴(エピローグ)
雨があがれば、私は 虹と一緒に消えるでせう
落葉松の枝からこぼれる 一滴の 光の粒となつて。
あなたは それを美しいと 見上げるかもしれないけれど
それは 私の 最後のさよならの 瞬きなのです。
(オルゴールの音(ね)が ふつと 途切れるとき
 高原は 深い 沈黙のなかに帰つてゆく)
私は存在しない幻影、
けれど あなたの 湿つた記憶の底に
いつまでも 雨に濡れた 野薔薇の匂ひを残して。
さようなら、もう おやすみなさい。

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