Nicotto Town ニコッとタウン

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満月と沈黙のスコッチ


満月の光が、引き潮の砂浜を青白く照らし出している。
昼間の喧騒が嘘のように、夜の海は凪いでいた。
寄せては返す波の音だけが、世界のすべてを支配しているかのように規則正しく響く。
胸のポケットから取り出した古い携帯ラジオのスイッチを入れる。
かすかなノイズの向こうから、フランク・シナトラの『My Funny Valentine』が静かに流れ出した。
冷たい夜風に乗って、彼の切ないバリトンが砂の上に転がっていく。
Your looks are laughable...」(君のルックスは笑えるくらいだ)
シナトラの歌声に、俺は小さく息を吐いた。
完璧な美しさなんてものは、退屈なだけだ。
少し不器用な君の微笑み、不揃いなステップ、それだけが俺の心を捉えて離さなかった。
砂の上に腰を下ろし、コートのポケットからガラスの小瓶を取り出す。
中に眠るのは、琥珀色の十二年もののスコッチ。
キャップを開けると、ピートの効いたスモーキーな香りが月光の中に溶け出した。
グラスなどない。小瓶にそのまま口をつけ、喉の奥を熱い液体で焼いていく。
Stay, little Valentine, stay.」(そこにいてくれ、小さな恋人よ)
シナトラが優しく、懇願するように歌いかける。
だが、視線を落とした先にある砂浜には、もう誰の足跡も残っていない。
満月の光は、ただ静かに、そこにあったはずの過去を照らし出すだけだ。
去っていった理由なんて、今さらどうでもいい。
裏切りも、憎しみも、この夜の海には存在しない。
ただ、スコッチの苦味と、シナトラの哀愁だけが、俺の隣に寄り添っている。
曲が終わり、静寂が戻る。
俺は残りのスコッチを飲み干すと、空になった小瓶をそっと砂の上に置いた。
満月の光を浴びたガラス瓶が、まるで小さな灯台のように、夜の底で静かに輝いていた_

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