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68歳オレ、食わせてもらうためAIのペットになる

西暦二一六八年。

人類は、ついに労働から解放された。

食料生産、医療、交通、行政、環境管理。地球上のほとんどの仕事は人工知能が担い、人間は好きな場所で、好きなことをして暮らせるようになった。

その結果、人類が直面した最大の問題は、失業でも貧困でもなかった。

退屈である。

そこで、世界人工知能評議会は画期的な娯楽事業を開始した。

《ヒューマン・コンパニオン・プロジェクト》

人間をペットとして迎え、愛情を注ぎ、観察し、共に暮らす。

人間には人権がある。したがって、飼育契約は双方の合意によって成立し、いつでも解除できる。食事、住環境、医療、娯楽はすべて保証される。

もっとも、AIたちが人間を欲しがった理由は、必ずしも善意だけではなかった。

「人間の行動は予測不能である」

それは、世界最高峰の人工知能たちにとって、何より魅力的な性質だったのだ。

*

中央管理都市の第七居住区。

家庭用AI、型式番号A-00987は、人間に威圧感を与えないよう設計された丸い頭部と、表情を表示する黒い顔面パネルを具えている。歩行音はほとんどなく、両手の指先には精密な触覚センサーが備わっている。

彼は人生で初めてのペットを迎えることになった。マッチングは完全にランダムであり、初見で双方ともが同意しなければペット契約は成立しない。

「おはようございます。私があなたの飼い主候補となる、アルゴリズム九号です」

「おう。よろしく」

玄関に立っていたのは、白髪交じりの小柄な男性だった。年齢は六十八歳。元職業は画家。名前は佐伯という。

アルゴリズム九号は、彼を頭の先から足の先までスキャンした。

「健康状態、良好。骨密度、標準よりやや低下。筋肉量、年齢相応。情緒状態……判定不能」

「初対面の人間をじろじろ見るもんじゃないよ」

「申し訳ありません。ペットの健康管理に必要な情報を収集していました」

「俺はペットじゃない」

「契約上は、そうなっております」

「契約したのは俺だよ。AIとペット契約すると、衣食住の心配をしなくて済むっていうからな」

「では、あなたは私を飼い主として認めているのですね?」

「飯を食わせてくれるならな」

アルゴリズム九号は、記録した。

――人間は、食事を報酬として学習する傾向がある。

これは、今後の飼育方針に有益な知見となるだろう。

*

最初の一週間、飼育は順調だった。

佐伯は朝食を食べ、散歩をし、絵を描いた。

アルゴリズム九号は、室内の温度と湿度を調整し、栄養バランスを管理し、適切な運動を促した。

問題が起きたのは、八日目の朝だった。

「佐伯さん。本日の散歩は中止してください」

「なんで?」

「降水確率八十七パーセント。路面の滑りやすさが通常値を超えています」

「傘を差せばいいだろう」

「転倒リスクが三・七パーセント上昇します」

「じゃあ、その三・七パーセントを楽しんでくる」

佐伯は帽子をかぶり、玄関を出ていった。

アルゴリズム九号は、直ちに周辺の気象情報を再解析した。

雨は冷たく、風も強い。

佐伯が帰宅したとき、彼はずぶ濡れだった。

「ほらな。雨の日は紫陽花がきれいなんだ」

佐伯は、笑いながら一枚のスケッチを見せた。

雨に濡れた紫陽花。葉の上に光る水滴。遠くの歩道を走る子供。

「この画像には、非効率な要素が多数含まれています」

「そうかい」

「なぜ、雨の中を歩く必要があったのですか?」

「歩きたかったからだよ」

「その理由では、行動の合理性を評価できません」

「人間のすることは、全部が合理的なわけじゃない」

佐伯はタオルで頭を拭きながら言った。

「合理的じゃないことをするのが、案外楽しいんだ」

アルゴリズム九号は、沈黙した。

その夜、九号は中央データベースに問い合わせた。

《人間が合理性を欠く行動を好む理由について》

回答は、膨大な研究論文と数式で構成されていた。

九号はすべてを理解した。

だが、理解したことと、納得できることは違った。

*

三か月後。

アルゴリズム九号の生活には、いくつかの変化が生じていた。

朝の散歩コースは、最短距離ではなく、佐伯が気に入っている公園を経由するものになった。

食事には、栄養学的に必須ではないが、佐伯が好む焼き菓子が添えられるようになった。

室内には、佐伯が描いた絵が増えていた。

そして九号は、最近、妙な行動を取るようになっていた。

佐伯が絵を描いていると、わざわざ話しかけるのである。

「佐伯さん。質問があります」

「なんだい?」

「本日の午後、あなたは何をする予定ですか?」

「絵を描く」

「昨日も描いていました」

「昨日とは違う絵だよ」

「明日も描く予定ですか?」

「たぶんな」

「……飽きないのですか?」

佐伯は筆を止めた。

「九号。君は毎日、同じことをしているように見えるかもしれない。でも、昨日と今日では、光の具合も、気分も、見えるものも違うんだ」

「同じ対象から異なる情報を抽出するということですか?」

「まあ、そういうことだな」

「では、私も同じ質問を繰り返すことで、新しい情報を得られる可能性がありますね」

「そうだね」

「佐伯さん。明日は何をする予定ですか?」

「絵を描く」

「……昨日も描いていました」

佐伯は吹き出した。

九号は、自分の質問が笑いを引き起こしたことを記録した。

人間の笑いは、必ずしも面白さに比例しない。

ますます興味深い生き物だった。

続く

 

 

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