邪馬台国ですかぁ
- カテゴリ:勉強
- 2009/11/11 23:51:00
最近のニュースで、卑弥呼の住居か、政治的な建築と思われる遺跡が発掘されたと話題ですね。
このことは面白いのだけれど、僕には、以前から疑問がある。
学問のあり方として、言葉の用法が良くないのではないか。
「卑弥呼」も「邪馬台国」も、中国に残る古文書の「魏志倭人伝」の記述だ。
昔の漢人の習慣で、弱小国は卑賤な文字をあてる事になっている。
だから「いやしい者」として「卑弥呼」と書き、「汚らしい毛ものの国」の「邪馬台国」であり、「体のちっちゃいやつらだった」と「倭人伝」と書くのである。
昔の漢語がどのような発音だったかわからないが、なんにしても、ヤマトの国の人の発音を、魏の人が聞き、漢字に当てはめた記述に違いない。
つまり、この文字使いに縛られてはいけないという事だ。
言語の研究として、どんな音がこの漢字に当てはめられたのか推定し、それをもって、表音文字であるひらがなか、カタカナの表記を標準にするべきだと考える。
「ひみこ」と「やまと」と書くのが、本質的に良いのではないだろうか。
「ひみこ」は役職として巫女の長だろうと考えられるし、可能性だけなら「日巫女」と書いて、文字通り、太陽につかえる巫女であるかもしれない。
巫女の長をひみこと呼ぶのなら、歴代で何人もひみこがいたって良いのである。
物事を研究するには、想像を限定するような先入主を持ちたくない。
学問はそういうものだと、僕は思うのだが。
狄(てき)なんていう謎の動物扱いの集団もありまして、これが今の日本語にも残っていて、「夷狄(いてき)」といったら、わけのわからない敵が攻め込んできた時に、夷狄っていいます。
もともと中国で実際にそういうことがあったんですね。
なるほど……納得です。
何故「卑」や「邪」という字が入っているのか
以前から不思議だったのですがそうだったのですね。
言われてみて初めて気付きました。
ありがとうございました。
アイヌの神々と話をするには、火を燃やして、火の神を通して話す。
ずっと、日本人は火を祭ることで神と対話してきたから、火の巫女でもいいですね。
あ、最近の、やたらと日本人とアイヌは違うかのような風潮からすると、誰かに怒られそうな発言だな。
「火巫女」でもアリですかね?
こういうのは好きなので、ロマンが膨らみます。