波乱万丈・・・その②
- カテゴリ:人生
- 2009/11/21 09:36:44
その①の様に小学3年から卒業までは遠足等一切禁止で、
「歩いちゃダメ」 「走っちゃダメ」 「飛跳ねちゃ~ダメ」 の3ダメで、
両親が学校へ掛け合ってくれ、特別に自転車通学までする4年間でした。
ですが、遠足等の行事の度に『雨 降って中止になればエエねん』っていつも思ってたのを
昨日のことの様に思い出されます。
全国で準優勝するチームの主将を務めた程でしたから、家中にジッとしてるのが
大の苦手(ーー) でもこの障害は家中でジッとしてなさいの暗黙の指示(==)
今まで学校から帰るなりランドセルを放り投げ、風を巻いて外に遊びに行く様な
まるで火の玉小僧でした。
ですから当時の小学校2年生にしては信じられない程良く食べました。
折りしも地元では、その頃回転すしが流行りだ何処の店先でも
「○皿を×分以内で完食の方 無料」
と貼紙があり、こぞってチャレンジしては食い逃げ?してたのを思い出します。
確か最高47皿だったかと・・・・。
勿論、今は到底食べれる枚数ではありませんが。。。
そんなに食べれば当然の如くついてくるのは・・・そうなんです。
今までは【野球】 【遊び】という運動の元に食べてましたので、釣り合いがとれてましたが
二つの運動が私の生活から無くなり、カロリーだけが変わらず入ってきますので、
当たり前の様にひでぶ?(古っ!)おでぶになって来ました。
見兼ねた主治医は患部への負担も考慮し、水泳を勧めスポーツ好きな性格も手伝って
『水泳』 から 『競泳』 へのめり込んで行きました。
確かに競泳も面白かったのですが、ある一つの事を達成するのに、個人の力でと
チームの力でとの達成では、充実感?達成感?満足感?
今までやってきた団体競技から、一気に個人競技に変化し戸惑いもあったのか、
中学校で近畿大会出場までは果たせたものの、全国出場は果たせぬまま、
親元を離れる決心をし、志望校を選定する年頃までと成長するのでした。
その頃になると主治医の見解も変わり、
「骨の成長もこれまで。後は筋肉をつけるなり、鍛えるなりでカバーするしかない」と
『競泳』を一層進めるのでした。
中3の受験を迎え、全寮制の高校に志望校を設定したのは良かったのですが、
中3の時期と言うのは如何せん甘い誘惑が多く、なかなか受験勉強に身が入りません。
鈴木大地のロス五輪のTV放映を観たり、夏の甲子園でのKK活躍を観たりと
受験で一番大事な夏を部活の大会や、TVで有耶無耶に浪費してしまいます。
そしてアッという間に季節は流れ、冬を迎え受験まで残り数ヶ月となった頃、
担任の先生から、
「なぁ~今年から○○工業高校に新設される科があんねんけど!?受けてみんか?」
「どんな科ですか?」
「情報処理科や。お前やったら内心も完璧やし、多分間違いなしやと思うよって、どや?」
「え~ホンマっすか~?」
等と友達の様な会話をしつつ、この新科への推薦入試を決めました。
結果は見事に落選。。。。
学校サイドとしては新設される科に、学校初の推薦入学者を出したかったのでは?と、
私ならば、部活動に於いては毎週の様に朝礼で表彰、生徒会もこなし、9教科の内申点が
40以上の生徒だから、間違いないと踏んでの推薦だったのでしょう。
私も、学校サイドが間違いないと言ってくれたので、アタマっからタカを括って挑み、
学生服の襟章ホックも止めるどころか、第一ボタン全開で面接に挑みました(((爆)))
-----------------その③へ続く---------------