【過去話】父のスパルタ 私と父の距離感♫♬
- カテゴリ:人生
- 2009/12/06 04:35:26
父が私を殴る、蹴るは、父にとっては手加減していたのかも知れない。 父が亡くなり、心の中に居る父にようやく私は、素直に何でも父に話せる事が
・‥…━━━★゚+.・‥…━━━★゚+.・‥…━━━★・‥…━━━★゚+.・‥…━━★
※私と父の距離感は、家族 母親から見ても 【激しい距離感でした。】
このブログを最後まで読んだ後、私の父を侮辱する人がいるかもしれない程
私の父と私との距離感は、凄まじいものだったんです(。・ˇ_ˇ・。)ムゥ…
でも、父が亡くなった今なら、親としての葛藤が手に取るように分かるのと...
凄く不器用な、おして、私の心が手に取るように分かるぐらい頭の回転の早い人だった。
でも、やはり子供の芯の弱い私までは、父は見えておらず、父の説教は――
※客観的に見るとスパルタと言われるものだった。そのスパルタとは(?)
家族で出かける際に、いつも時間に遅れてくるのは、私だった。
門限も守らず家に帰ると、怖い父が私を睨んで待ってる。家に帰るのが怖く
公園の片隅で、ブランコに乗り、1人ぽつんと暗くなるまで、近所の裏通りの公園に居た。
毎回、父に門限が守れないと、怒鳴られ1時間~2時間の説教を頂き
次第にその説教はエスカレートしていきました。
ある日、家族全員で出かける予定でした。私は、1時間遅れて帰宅。
私を待ちきらずに、家族は出かけました。その時鍵を持って居なかったので
家の外で何時間も待つしかありません;その時に、ふと子供心に思った事がありました。
反省してる事を、家の庭の雑草を、抜いて置く事で、誠意を見せよう。
私がした事は、父の怒りを倍増するだけ。庭の雑草を抜いてたと
思っていたはずの私が、抜いてたのは、父が心を込めて育ててた苗だったのです。
そして、私は嘘を付き、私の反省の心は裏目になり、父は余計に激怒。
洗濯干し場の取っ手に私をロープで吊るし、1時間から2時間、私を吊るしたまま
放置したのです。
時にはガラス製の灰皿が飛んできたり、そろばんを下に敷き正座させられる事も。
朝から、夜まで食事抜きで押入れに入れられる事もありました。
イジメられた時期に、友達欲しさに親のお金を盗んだ時は
バッドを足の間に挟み、ひざまずきをし3時間の説教が当り前でした。
今でも、右太ももには、バッドを挟んだ時のあざが残っています。
薬を飲まない日が続き、頻繁に大発作を起こしていた時は
父は、ハンマーを持ち出し、私の頭をカチ割る仕草をしました。
毎回毎回、父の顔は鬼のように恐ろしく、子供の目には鬼にしか見えていませんでした。
次第に、父の印象は、私の中で 【私を睨んでる鬼】 そう言う認識になったのです。
普通に父が話しかけて来た時も、睨まれるかもしれないとビクビクし。
そのビクついてるのが、また父の勘に障る。そして、説教が始まるの繰り返し!
常にイジメで捻くれてる私を、父は何かある度に、怒鳴り睨み続けていたのです。
家族のお金を盗む手癖の悪い私は、最終的に母に10万円を用意させました。
お金って言うのは、努力して手に入れるもの。でも、燃やせばあっと言う間に
紙切れと同じになる。父はそう言って、母に銀行に行かせ10万を
私の前で、燃やし始めたのです。私は、その時泣く事しか出来ませんでした。
何が原因かは忘れたけれど、父が物凄い勢いで近くにあったゴルフクラブを取り出し
殴る真似をし、私の部屋の鍵をかけ、母と兄弟を入れないようにし、怒鳴り
襲いかかってきた事があった。そして鍵を開け、階段から私を引き摺り下ろし...
※それでも、私の手癖や歪みきった心は治らず、父は私の心を正しい道へ
促したくて、こういう行動に出たんだと。今なら分かるのですが。
でも、その頃の父と私は意地の張り合いみたいになっていたのでしょう。
私は、父に抱きしめて欲しかった。悪い事をしてるのは、勿論私だけれど
母だけではなく、父にも認めて欲しかった。お前は、お前で良いんだよ?そう言われたかった。
子供の私にとって、鬼の形相のまま、フォローが入らないまま...
父は、私を放置した。精神的に私をとことんまで追い詰めていった事になる。
父の視界に入れば、父は私が悪さをしてないかと眉をしかめて、鬼の形相で
睨むのが日課になっていた。気が付くと、私は父の前では、足がすくんでしまい
父の前では、自分の意見をまともに言えない子になっていた。
悪い子だったのは、この私。あの当時を振り返ると父に睨まれても仕方の無い子
だったのも、確か。だけど、私は子供の頃に、父の笑顔を見た事があるだろうか(?)
何回も父の笑顔を見てはいると思う。けど、記憶に無い...
大人になっても、父を前にすると手が振るえ息が出来なくなった。
出来る様になった。でも、私は父の生前に父の言葉で聞きたかった。
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お父さんにしたら、自分の理解を超えた悪いことを娘がしたと言う思いが強かったんでしょうね。
Rinaさんのようないじめの体験も無かっただろうし…娘を愛していたんでしょうけど…
大人になって考えると切ないでしょうね。
でも大人になってちゃんと自立した姿もお父さんは知っているんでしょ?
きっと晩年は娘を誇りに思っていたと思うよ♪天国でもきっと笑顔だよ^-^
逃げたいのは当然。逃げなきゃ、おかしいよ。
子供の頃ちょっと家庭環境複雑だった・・・色々あった。
高校卒業して就職してから毎日会社に電話があったり友達と飲みに行くときも付いてきたり監視されてた・・・って感じ
19歳で一人暮らし始めたけど・・・毎日電話ばっかり休みの日はすぐ呼び出されて家に帰っていた。
暴力もあった。
嫌な思い出おおいなぁ~
家族のルールを守らせる上で妥協はいけないですけどね。
でも、自分が育った環境が子供に与える影響って大きいから、お父さん自身もそういうしつけをされてきたんでしょうね~
しかし10万円を燃やすとは・・・相当肝は据わってる・・・
ウチは父ではなく、母でした。髪の毛を引っ張り回されましたわ。
母は祖父母から、
そういう育てられ方をしてきたから自分の子にもそういう術しかできなかったのだと思っていますが。
若い時の祖父母、母の写真を観ると丸くなったなぁと思います。
もう、こういうのは個人的に「昭和だから・・」と片づけてしまうのですがね。
いつも拝見させていただいてます^^
お父様とRinaさん・・・・お互いに、すれ違いがあって
お父様も、愛情表現が苦手で・・・・
そんなことが集まって、こういうふうになってしまったのだとおもいます。
うまく言えないけれど、お父様はきっと
Rinaさんのことを大切に思っていらっしゃったと思います!
生前に、お父様ときちんとお話できなかったとしても
心の中に、ちゃんといらっしゃいますから・・・♡
どんな理由があっても、やはり暴力で、力を誇示する形での説教・体罰は
結果心に傷をつけてしまうようでやり切れない思いがあります。
Rinaさんはお父様のされたことを正当化されようとしておられますが、
虐待された子供たちは常に親という存在を否定しません。むしろ
自分が悪かったからそうなったんだと思うことで、暴力を正当化させると聞きます。
客観的にみて、やり方がまずかったのではないかと思いますし、
Rinaさんが「それはおかしい」と思うことは全然おかしくないと思うのですが。。。
フォローがほしいと思いました。追い詰められたRinaさんを文中で感じて、
とても辛く思いました。
昔の父親というのは多かれ少なかれ毅然とした態度で子供には接していました、この日記の前に書いた「本音と建て前」じゃないけど、どんな親でも子供が憎かろう筈はありません
子供だから理解出来なかったのは無理もありませんがその時に云った言葉は父の本音ではないのです
今の若い親は子供に対する躾けがなっていませんが、それは西洋文化が流入してから、いいとこ取りした結果、つまり良き日本の伝統文化が遮断されたからです。
悪いことをしたら殴られるなんて昔は当たり前でした、また受け止める子供も悪いことをしたという自覚があったから
妙にひねくれたりとか恨むなんてことはありませんでした、つまりそれだけの耐性が出来ていたからです
ところが今の子供達は躾けや忍耐力に欠けているのですぐ責任転嫁するわけです
今の時代にはホント頑固おやじが必要なんですけどね(笑)
今なら児童虐待にとられそうな体罰ですが・・・。
なんとか娘をしっかりさせようとしてもお互いの想いがすれ違ってしまう悪循環。
最後の時に和解できて本当によかったです。
それが親であればなおさら…
うちの娘も別れた主人から、暴力を受けていました。
やはり心の奥底でわだかまりとして残ってます。
親としては躾や愛情表現の一つだったのかもしれませんが、
やはり、ただ怒るのではなく、暴力を振るうのではなく
心から接しなければ子供の幼い心には届かないんだなと思いました。
亡くなってしまったRinaさんのお父様の親心、
厳しさゆえにわかり会えずにいたんですよね。
(こういったらRinaさんは怒るかな・・・)
可哀想なお父様だったのかなと思いました。
きっと愛情表現が下手だったのでしょう。
怒る事は出来ても、
その後に抱きしめたり頭を撫でたり出来れば良かったのに。
これからRinaさんの心の中でお父様と仲良く過ごして下さいね。
不器用で哀しい人。
太陽さんになればよかったのに。
そうしたら二人とも底まで苦しまずに済んだかもしれないのに。
Rinaさんとお父様だからこそ辿り着いた、辿り着けた唯一無二の愛なのだと。
親に愛されていたことを気付かぬまま(知る事ができないまま)
生きて行かねばならないヒトも居る中で
Rinaさんは愛されていたことを知ることができた。
おふたりの愛はこれからもっともっと深まって行く。
だから何も遅くなんかない。
良かったね。
(それまで見えてなかった)愛に出逢えて良かったね。
愛されたかったあの頃のRinaさんを
愛を知った今のRinaさんでそっと抱きしめてあげて下さい。
”あなたは愛されていた”
当時は辛かったと思いますが。。。大人になって解る事や亡くして解ることありますよね
Rinaさんはすごくお父さんを恐れていて…でも愛して欲しかった お父さんはRinaさんを愛していたけどそれを表に出すことはなかった… そして、、、スパルタ
ってかんじなんでしょうか… もちろんこんな適当な日本語で済むような内容ではないし人と人との関係 なおさら親子の関係だなんて、言葉で言い表すことは出来ないのですけど…
ただ途中の色々な過程を飛ばすと2人が最期には通じ合えた っていうことでハッピーエンドととらえることも出来ると思うんです… でも、その途中過程がすごくお互いにとってつらく苦しいものだったと考えるだけで心が痛みます もっと早く2人の関係が縮めることが出来る「何か」があったとすれば、それを見つけて欲しかったです… もっと早く2人が幸せになれる「何か」が…
でも、過ぎ去ったことですし結局Rinaさんのお父さんに対するイメージが変化したのならば 最高の親子になれていると思います。 たった一瞬だけでも…
何も分かってないのに うぅん 何か偉そうでごめんなさい
うちは祖父が怖い存在でした。
今では怖い存在があってこそ成り立ってたものがある気がします。
それで何かが成り立っていた気もします。
亡くなって、何かがなくなった気がします。
アバウトな書き方ですいません。
↑
これは間違ってます。
心は本気でも 手加減はするものです。
後遺症が残ったり、命にかかわったりしないように。
その範疇で、本気でっていうのが愛ある行為ですよ。
息を抜けない真剣勝負の毎日は、お互いに消耗するばかりです
亡くなってからではありますが、笑顔で墓前に話しかけられるようになったのだとしたら、とても貴重ですごいことだなと思いますよ。
病気のこともあり、そしてお父様の事・・・
きっと、よかれと思ってしてきたのでしょうけど、
Rinaさんの心に傷が残ってしまったのは事実で・・・・。
心の中にいるお父様と素直に向き合えるようになった事が、
本当に良かったなって思います。
出会ってきた人たちも
これからどんな大人になって、他人にどんな影響あたえるのか
りなちゃん次第なんだから良い肥やしになればいいと思うけどな
どちらも度が過ぎたり相手への適正を考慮しないと怒られた方は単なる折檻とか厭味でのストレスとしか感じないんだよね(^^;
上手い具合にそのへんの距離感がお互いにとれなかったからそんな関係性になってたんだと思う、でも最後にその距離感を詰められた事は良い事だね。
・・・っつかどっちも似たような不器用さ加減でこの親にしてこの子アリって感じでね?(火暴)
本文を読み終えた時は「父の笑顔を見た記憶がない」ことに安心してしまいました。
むしろ、これで笑顔の記憶があったら怖い、と。
それから、コメントの方を読ませていただいて「よかった……」と救われました。
読んでいる私が救われてどうするんだ、という気もいたしましたが。(苦笑)
今のRina様がいるから、Rina様のお父様も、鬼ではなく人間として見ることが私にもできている――
これが「子が親を立てる」ということかと目から鱗の気分でおります。
今と昔との病の認識の差異。躾と虐待の境。
悲しく、難しく、終わりよければ全てよしといってよいものかどうか。
迷い悩み考え、額から煙を吹く気分でもありますけれど。
それでも、よかった……どうも今はこれしかいえないようです。申し訳ない。
お邪魔いたしました。
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※私の父は、どちらかと言うと知らないお子様にも怒る方でした。
学生服でタバコを吸ってる子供を見つけてはほっておけず、声をかけ言うこと効かない子には
ゲンコツすらしていました。昔の所謂、お節介おじさんですね。私の子供の頃は
今でこそ、相手を殴って教える行為は、体罰やスパルタなどの言葉が
出てきますが、あの当時は心配のあまり手が出るのが当り前だった・・・(  ̄ ̄∇ ̄ ̄; )/
そんな時代でもありました。ただ、限度はあるとは思うのですが(笑)
学校の先生に説教され、殴られた。知らないおばさんに頭叩かれた。
親ではなく、赤の他人の知らない大人に怒られる事も、昔は当り前の時代でもありました...
私の父は、不器用で限界を分からなかったけれど、知らないお子様が――
悪さをしてる所は見て見ぬふりが出来ない人でもありました。父のお葬式には・・・
中学生、高校生が数人来ていました。家族も知らないお子様達ヽ( ̄▼ ̄*)ノ
私の父は、ちくちくさんの言うように、子供に高いハードルを飛ばせるように、敢えて...
愛情を、厳しさにしたのかも知れません。だとしたら、私に向けられた愛情はきっと
計り知れないものだったのかも・・・・ですね。私が、それを受け止められなかっただけで;
かなり怖くて、話をしたくても手が震え、大人になっても自分の意見がまとめられず
どうしようも無い状態の関係だったけれど、父にはそれさえも見抜かれていたのかも
知れません。そんな気さえするのです♫♬(。o☯ _ ☯o。)
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昔を思い出しちゃいました。
自転車で殴られると凄く痛いし、包丁突きつけられると凄く怖いよ~(笑
気持ちや考えは人それぞれです。
また表し方も人それぞれ・・・
どうすれば相手に解って欲しい事を解って貰えるか・・・
凄く難しい事です。
どんな経験も良い形で自分の考えや生かし方に生かせれば良い。
私はそう思ってます。。。
コメントできない。今は。
読んで、わたしも混乱してる。
これからのRina さんに、たくさんの幸せが訪れますように・・・
とても怖かったね・・
小さなあなたが私の目の前にいたら
ぎゅって抱きしめてあげたいです。
親って子供が健康で健常児で生まれてくれるものだと思ってるけど、
ハンデを背負って生まれてくる子供さんももちろんいるよね。
そういうハンデや病気なんかを持って生まれた子供や
戦う子供に対して、誰にも言えないけど、
親として、
いつも心のどこかで
ごめんね、って思ってる。
だから、他の子供よりも
厳しくしたり、
とべないハードルを跳ばせたりしてしまう人もいる。
人と同じじゃ飛べないなら、
もっと多く、
もっと高い目標ならどうだ、って。
お父さんが抱きしめる愛情じゃなくて
甘やかさない、許さない愛情を選んで
本人もそれなりにつらかったと思うけど、
小さなRinaさんは
一番つらくて、痛くて、寂しかったよね。
心の中で、ぎゅーって抱きしめておくね。
あなたの痛みがすこしでもいやされますように。
寒いと泣く小さなあなたがあたたかくなりますように。
誰も止めに入らなかつたのは、残念かな?(子供の頃) 今の時代は、叱る親は少ない&家族もバラバラです。
今は子供が、キレルと言うのか・・・・子供の機嫌を取る親が多いですよね?
何か・・・悲しく後の言葉が書けません・・・ごめんなさい!
まさに、私も同じような親子関係でした。
今も、父に会うのが嫌で、実家にはほとんど帰りません。
なんか・・・・頭では、もう、父も年老いているし、
過去のことは水に流そうと思うんだけど
受けてきた暴力や暴言がトラウマになっているのでなかなか素直になれません。
親孝行できるときに、しとかないといけないのはわかってるんだけど・・・
ブログを拝見して、ちょっと自己反省しています。
子供への愛情からとはおもいます。
最後に和解でき、気持ちが通じあったのは何よりでした。
なので父は厳父となります
「あの頃は厳しくししすぎて済まなかった」
いつか自立した娘に、一声をかけられる日を信じておられたのであるまいか?
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コメントの下の部分に書いていたのですが、下のコメント欄を敢えて、消して上にあげますね。
2,000文字のブログは制限がありますね。最後書きたい事は、このコメントまでだったのです^^;
私は、父が息を引き取る間際に自分の気持ちを精一杯伝えました。そして、父は私に初めて
柔らかい顔を見せて、うんうん。頷きながら涙をたくさんこぼし、手を握ってくれたのです。
私には、もうそれだけで充分でした。そして、父が亡くなり遺品から出てきた定期入れの中から
出てきたのは、私の若い頃の写真でした。妹ではなく、弟でもなく、母でもなく――
もう、それだけで私は充分です。私にとって父は、鬼のように怖い人でした。
父の存在が私の人生の一部を、少しだけ狂わせたのも事実です。
でも、もうそんな事はどうでも良いのです。私が父の笑顔を見たかった。
父に抱きしめて貰いたかった。愛されたかった。そして、父はそれを分かっていた。
だから定期入れに、私と父の距離感を埋めるかのように、写真が入っていたのだと思います。
私のプリクラを待ちうけにもしていたそうです(いやー、これは流石に;
でも、ちゃんと愛されていた事実は、亡くなった後でも、気づけた事。
愛されていた事が凄く私の心に、そのまま、父の面影としてすんなり入っていってるんです。
嫌いだった父を亡くなった今になって、ようやく愛せるようになるなんて、寂しい気もしますが
でも、心の溝は埋まったと確信しています✾(。◠‿◠✿)/
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本当に良かった(;;)
最後に心通じる事が叶い、本当に良かった(;;)
言葉が、行動が
時に心伝えますのに 邪魔になる時もあるのですよね。
人間、器用な方ばかりじゃないので(^^;
ほんわか致しました☆
今日は、良い夢が見られそうです(^v^人*
優しい気持ちを いつもありがとう御座いますRina❤さん♪
Rina❤さんとお父様が、どのような日々をお過ごしになられて参りましたのか
私は今まで存じておりませんでしたので、きっと子供のお心に厳しくとも
それは愛情の表現方法の一つと 感じ取っておりました。
しかし、お聞き致しますだけで
大人の私もたまらなく恐怖を覚えます(;;)
私の父も厳しい方で、優しさを表に分かり易くお出しになられませんまま
亡くなっておりますが、今の私には恐怖心など一つもないのです。
Rina❤さんの
『父の生前に父の言葉で聞きたかった』の最後の一文・・・
心が痛いです。とても。
Rina❤さんも、Rina❤さんのお父様も本当は
沢山『素顔の心で向かい合い』お話したかった事と思います。
私も言えぬままの「ごめんなさい。」や「ありがとう。」
大馬鹿な娘だけれど、父は今私達とは違う世界からでも
見守って下さっていると、交わせぬ言葉はまた次会えました際に
心よりお伝え出来ると信じております。
Rina❤さんの記憶の中のお父様、今もまだどこかで恐怖心をお感じになられましても
いつの日かその想いも癒されます事を 切に願います・・・
愛しているからこそヒドイことをしてしまい・・・
すれ違いから生じる距離感…そう言えるほど生易しいモノでは無いですね…
ただ、Rinaさんのお父さんがRinaさんを深く思っているが故の行動だと言う事だけは判ります。
(ウチも父親から一歩間違えば虐待な厳しい躾されたので…母親のフォローがあったから耐えられましたが)
相手の事を本当に「どうでもいい」と思っていたら、怒ったりしない。
子供相手に殴るのに、手加減したりしない。
怒るのも、殴るのも、根底にあるのは「大事な相手を想う気持ち」なのだと。
…今、冷静に当時を振り返ってみれば、そう思えます。
過去は過去!今が大切です♪
すべて昇華されているようですし、皆さんのコメントに同感しますので、長文は割愛いたします。
「たら・れば」を考えてしまうのは人の常ですが、こればかりはいたし方ありません。
rinaさんのお父さんどう接して良いのか分からなかったのでは
ないでしょうか?Rinaさんのこと誰よりも愛していたと思います
でもその愛がこのような行動?(言葉が悪くすみません)になった
のではないでしょうか?
今まで話した事ありませんが。Rinaさんのお父さんが私の母
のような感じです。父は一切 仲裁に入らない感じで^^;
今考えたらそっちの方が良かったと思います。余計母を腹たたせる
だけだと思うので^^;
ブログで涙を流したのは、初めてです。
お父様は、お父様なりに、Rinaさんのことを深く愛していたんですね~
門限やお金の問題があったときの、お父様の行動は、「Rinaさんが将来、まともな人生を歩んで欲しい」そういう気持ちだったんだと思います。
お薬を飲まなかったときも、きっと、「絶対に、飲んで欲しいから」をそういう行動をとったのかな・・・
しつけとDVって、境界線がものすごく難しいんですよね。
お父様のしつけでやりすぎはあったとも思います。
確かに、当時、分からなかったことでも、大人になった今のRinaさんのお気持ちがお父様には伝わっていますよ!!
そして、きっと、今のRinaさんを見て、喜んでいるはず・・・
だって、Rinaさんは、ちゃんと無事に、成人されたわけで、立派なに成長されたんですからね!!
(私個人意見・感想ですが)
お父さんはRinaさんを凄く愛していた。
それは。分かりました。
でも、朝~夜ごはん抜きで押し入れに入れられる。
算盤を下に敷いて正座させる。
ロープにつるし放置する。
などは、やりすぎだと思いました><;
Rinaさんが何か悪いことしたのは
確かなんですが・・・・
それで、算盤を下に敷いて正座させるなどに対して、
Rinaさんのお父さんに言いたいことは。
算盤は計算するものであって
正座させる物ではないということ。
(↑最近まで算盤通っていた私には多少許せない^^;)
それと、洗濯干し場は子供をつるすのではなく
洗濯をつるしましょう。(←洗濯物を吊るすってよく分からないですよね;)
話それました。スイマセン。
最後に。今、お父さんを見返してやってしまいましょう!
(↑日本語間違ってると思います(汗))
『今の私は、あの時の(子供のころの)私じゃない』と!
ママがよくいうんだよね。やさしいだけが愛じゃないって。
厳しい愛もあるよって。
本当に愛がなければ人をシカッタリ、厳しく言ったりできないって。
でもうちの親はシカってくれた後に必ず、どうしてシカッタのか
ちゃんと言ってくれる。
Rinaさんは、お父さんがどうしてシカルのか、お父さんの愛情を
たしかめたかったんだよね。
あんみつも親が厳しいだけだったら、反抗してたかも…。
やっぱり、今の間に家族と遊んでおきゃなきゃ!←え
することを直したい気持だけが先に走り上手く、Rinaさんと心を交わす事が出来なかったんですね。
言ってダメならからもしかして始まったのかな、そこから力(暴力)び変わったように思う。
お互いが、お互いをもっと理解できていたらきっと素敵な親子になれたのにね。
一度怖いと認識してしまうと、どんなことでも怖く感じてしまう。お父さんも一度やり始めると、
これでもダメならになって行きエスカレートしてしまったんだと思います。
今少し心が通じたのなら良かったです。
どんなことがあっても今まで生きて来れたのは親がいたからだと思います。
命があるから今こうして素敵な人と出会い、前を向いて歩いているのではないですか?
怖いけどきっとRinaさんを愛していたんだと思います。
偉そうなこと言ってごめんなさい<(_ _)>
とても素晴らしい事だと思います。
私は・・・
例え母親が亡くなった後も「愛して欲しかった」「愛していた」とは思えないような気がします。
Rinaさんにはお父様への愛があったのですね。
小さい頃からもずっと「愛して欲しかった」んですね。
それって、『愛』を信じてたんですよね。
簡単に言葉にするけれど、
『愛』するものを初めて持って(子ども)、
その難しさはよくわかりました。
私は、母は、互いに愛し合ってはいなかったです。
親子だから自然に、
夫婦だから当然に、
それは成り立つものではないです。伝わるものではないです。
心にいっぱい言い訳しながら、
母親を愛せない自分を許しています。
自分を守るために。
実は、私の友達も今そういう状況なんです。
といっても、Rinaさんみたいに将来将来ではなく、ただ暴力をふるわれているような感じなんです。
その友達は、父から暴力をふるわれているので、引っ越して隠れて住んでいます。
でも、私にはまだはっきり教えてくれていません。
そのことを知っているのは、前から友達だった1の子だけです。
でもその1の子は、私に教えてくれました。
この子と、私と、暴力ふるわれていたこは、親友だったから…。
いまも、私が知っていることは内緒です。
でも、今では暴力をふるわれているこは、母と兄弟と裁判などして頑張っています。
なんか違う話になってしまいましたが、Rinaさんのお父さんは、
今何を考えているんでしょうか?
Rinaさんが、心の中でも素直に話せて喜んでいるんじゃないでしょうか?
たぶん、私だったらRinaさんみたいになってしまったら、
社会に出られないと思います。
またこんなことになるんじゃないかって…。
でも、信じることが大事ですね。
私は、いつもRinaさんのブログを見て考えさせられます。
世界には、いろんな人がいて、
笑ったり、怒ったり、泣いたりしてるんだなあ、、、と。
だから、これからを私も大事にしていこうと思います。
なにか、あんまり意味が分からない文になってしまいました。
すみません><
それと、長々となってすみません><
子供に教えるときは、こうなると、ああなる、だから、そうなる、って教えたらとっても上手に出来るようになりますでしょ。コミュニケーションって大事ですよね。
Rinaさんが今、お父様との心の溝が埋まったと確信できていることはすごいと思います。
Rinaさんのブログを読む度に考えさせられるのが「親として、子として私に何が出来るか?」
親としてはまだまだ勉強中だけれど、Rinaさんが「子供からの思い」を書いてくれるからこそ親としての行動を学ぶ部分もあります。
子供として、の部分は微妙ですが…。
スパルタ的なお説教は、親が昔の人・何時生まれとか関係なくあることだと思います。
親は最初から親なのではなく、子供が産まれてから親として子供からたくさんのことを学び成長する…。他の背景もあったからこそ、お父様もどうしていいのか模索中だったのだと思います。今より情報の少ない時だったからこそ、必死だったのだと思います。
親だから、子供だからではなく双方不器用だったのではないでしょうか。
でも、お父様の行動はスパルタではあるけれど、愛情が見え隠れしていると思います。
プリクラを待ち受けにする、いいじゃないですか。された子供側はえー…って思うかもしれませんが。
また変な文章ですみません。;
お父さんも親からそのような愛情のそそぎかたをされていたかもしれません。
私の父も小さい頃はなにかと暴力でした(;_;)小さい頃に受けた恐怖心はなかなかとれるものではありません。
でもRina♡さんはお父さんを今受け入れることができてすばらしいと思います!簡単にできることではないけど
今客観的に親子関係をみることができるのは 明らかに貴方を成長させてくれるものになっていると思いますよ。
わかったようなこと言ってすみません_(._.)_
1人は心が歪んでいて1人は不器用。
それが上手く噛み合なくて、こんな風になってしまっただけだと思いますよ?
↓Rinaさんのコメ、若干うるうるです;c_;`
生前に、ちゃんと自分の気持ちを伝えられて良かったですね♪
そうじゃなかったら、ずっと自分の気持ちを伝えられないまま…
定期入れも見なかったら、ずっと憎んでいたかもしれませんしね。
↓
○相対し続けた
あなたのお父さんの愛情は、一方的な肉親の情愛の様です。
受け止め合うということを知らない愛ですね。
行動からすると、昭和二桁以降生まれの体育会系のお父さんだと思いますが。
お父さんとお父さんの親との関係は、恵めれていなかったのかもしれません。
親を見て子は親としての在り方を形成します。
多くは、自身の子供の頃の想いとは関係なく 親が自身に対したのと同じように、我が子に相対してしまいます。
なぜなら、それしか親が子に対する方法や姿を知らない場合が殆どだからです。
親を反面教師として、親以外に手本となる大人を見出して、それを手本に自力で実行できるようになる人は稀です。
それでも現実には、親の後を辿らないで親としての在り方を身に着ける人もいるのです。
亡くなる間際であっても 親が抱く自身への愛情を知り、受け入れることができたのは、双方にとって幸せな事です。
(結果としての話ですよ)
でも その時点まで時を経てきたその関係が、決して良いものであったことにはなりません。
相手のアイディンティティ―を汲み取れていない情愛は、本来の愛とは言えません。
社会への適合性を教えるのは、本人の本質を変えることとは違います。
相手の本質をあるがままに受け入れ、その本質と社会との橋渡しを得る手段をともに探して見付ける。
その為に、献身できる。
愛と云うのは其処に在るのです。
あなたが、「自身の心が捻子曲がって・・・、歪んで・・・。」と感じていたのは、なせか。
それは、あなたがもの心付かないうちからあなたの本質を 親の考える子供の在るべき姿に変えようとしたから。
素直な心に育てるためには、親や周囲の親しい大人がその子のあるがままを一旦受け止めなければなりません。
愛があれば、その素直な心が周囲の社会に押し潰されないようにする手段を 必然的に教えようとするものです。 ある時は見せ、ある時は体験させ、ある時は説いて、教えていくものです。
長くなったのでこの辺で失礼します。
どうもすみません。
しかし、最後は映画のワンシーンみたいで
なんだかホッとしました。^^
私も父も同じでした。
読みながら色々と思い出したのですが
笑顔は覚えておりますが、褒められた記憶が出てきません。
ですが父親には感謝をしております。
愛情を持って育ってくれた事も十分理解できておりました。
来年3回忌です。