【過去と現在】自分を見つめなおす事に関して♫♬
- カテゴリ:人生
- 2009/12/26 03:56:48
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※ずっと、ブログを書くにあたって気になっていた事を綴りたいと思いますΣ( ̄Δ ̄;)
自分のブログなんだから何を書いても良いのかも知れないけれど...
コメントなどを見ていて、過去を振り返りブログを読み直し感じる事があります。
私のブログは過去を遡り書いてるので、悲しい結末が多いです。
自分の中で、唯一引きずってる過去、5年間のイジメをテーマにして――
ひとつひとつ遡り書いてるので、毎回テーマはイジメの事なのですが・・・・
コメント書いて下さる1人1人が、皆さん丁寧なコメントで、そして、毎回思うのが
一人一人にお返事を書きたいなぁ~と言うこと。
たぶん、個人宛お返事を期待してコメントを書いてる方も居ると思うんです。
でも、ごめんなさい。皆さんにお返事は書けず、コメントと違うお返事を毎回書くように
しています。そして、ずーと気になってる事のもうひとつが、毎回のブログの結末;
胸が苦しくなるような題材が多く、自分でも目を伏せてしまう内容も多々あります。
そして、私はその過去を実際、今も引きずってるのです。5年間のイジメ・・・・・
もう、今はイジメなんて無いですし、忘れてもいいはずのイジメの過去なんですが
私にとってきっと現在進行形でもあるのです!
※牛乳を頭からかけられたこと
※給食を食べさせてもらえなかった現実
※ギョウチュウ呼ばわりされたこと
※クラスの男の子に本気で蹴られ、殴られたこと
※机を離されたり、汚いものを触るかのような扱いを受けたこと
※ノートを全部、切り刻まれたこと
数え上げたら5年もの間、色々なイジメを受けてきて、それが蓄積され
大人になり、自分の糧になり、経験として相手を思いやる心や自分を見つける心が
身に付いたのですが、それと同時に、私の心は何度も崩壊しています♫♬
そして、線維筋痛症と言う診断を受け、最近外部ブログで自分の病気について
分析した結果、ある事が分かったんです。私が常に緊張状態にあるのは
幼少の頃からだという事とストレスでお腹を壊す現象もイジメの頃からあるという事。
私自身、書き物が本当に好きで、初期の頃はある意味、自分の過去を
こんな過去があったんですって『ネタ』として書いてた部分があったんです・・・。
ただ、その時は何も考えず。今は、色々考えると、今のこの奇病と言われる病気も――
もしかしたら、過去を見つめなおす事で何か見つかるかも知れない。
そういう思いがあり、イジメをターゲットに書き綴っています。
ブログなので、面白おかしく楽しい話題を書きたいなと言う思いや意思はあるのですが
今の私に大事なのは何か?を考えたら、イジメの過去を遡るのは、本当に大切な事なのです。
ただ、コメントとかを読んだりして、ブログを読みにきてる方を見てると...
イジメばかりのブログで良いのかなとさえ正直言うと思ってしまうんです。
悲しいブログ、言葉にするのでさえキツイ内容、当の本人がブログに書くのをためらう
内容さえもあるぐらいです…。(ー'`ー;)
だから、一度なぜ同じイジメの過去話を分岐して枝分けしてまで書いてるのか
何で悲しい内容ばかりを書くのかを、お話しなくてはと思い、ブログに書き綴っています。
1人1人にお返事をしないのも、私の心の整理だからと言う事もあります。
コメントをするという事は、ブログを読んで何か思ったからコメントしてくれてると・・・
私は思ってるんですが、1人1人にお返事を書くと言う事は、個人宛の返事の内容も
悲しいお返事になる可能性があるという事!
※全てにお返事を書いていたら、私の場合は、数時間以上かかってしまうという事!
私が今しなきゃいけない事は――
何で、数十年経った今も過去の5年間のイジメを引きずってるのか?
この答えを出さない事には前に進めないのです。コメントに良く書かれてる言葉が
あるのですが・・・・「Rinaさんは精神的に強いですね」…。Σ(´□`;)ハゥ
私は、強くなんて無いです。今も脆くて弱くて、誰かの手を借りないと生きてけない。
そのくせに、イジメの5年間で私は、人を信じる事をやめてしまった。
それなのに「人は大好き」と言う。何がほんとで何が嘘なのか、自分の心に
問いかけても分からないのです。
だから過去に遭った出来事を見つめなおさなくては、自分の本当が見つからない。
たぶん私が考えてる以上に、過去の幼少の頃にあったイジメの5年間は
私を今現在も蝕み続けてる。だから、人が怖く、人を信じる強さが無いのだと。
何でイジメをテーマにブログを書き続けてるかって事を書かなきゃ知ってもらわなきゃ
そう思ったので、暗い内容のブログですし、だからイジメをテーマとして書いてるブログが多いのです;
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どう? その後
おかしなことに巻き込まれてない?
湯治の効果はどう?
少しは調子良くなりましたか?
私は、9年間いじめに合ってきた。それも悪質。証拠が残らないいじめ。
だから、学校が嫌いだった。勉強も嫌いになり、とっても、あほ~に育ってます。
私の親も厳しく、弟には甘かった。すごい差別で、家に帰っても、一人ぼっち
今は、両親とは、仲良くなったけどね。でも、やっぱり、私より、弟のことをいつも心配している。
私が書かないのは、私はただいま裁判中です。かれこれ、もうすぐ3年近くかな?
私は被告人なんだ。。。
コメントは必要不可欠とは思っていませんよ。
わしはマイペースにネットしているので、
Rinaさんも自分のペースでやって頂ければよろしいかと。
義務じゃないのだ、その辺は気楽に行きましょうよ。
人ってそういうものだと思います^^
自分に対して「何か」が起きたときにその起こした相手にまたはその付近の人間すべてに恐怖というか、、何らかの感情を持ってしまい、それがマイナス方向? であれば、人を信じなくなる っていうのは誰しもあることだと思います。
その状況で、それを乗り切って はないかもしれないですが、乗り切ろうとする力 私はこれがすごいと思います。 Rinaさんは今本当の自分を見つけるために過去を振り返っています。 それは普通の人には出来ることではないしみんなやろうとする ようなことではないんじゃないかなぁ。。 と思います。
大切なのは「過去に引きずられていること」と「「今という時間にしっかり身を置いた状態で過去を振り返る」が全く違う と言うことだと思います。
多くの場合、過去を振り返る。 となれば前者の方になりがちです。 でもRinaさんはそんなことないと思います。 過去のこと。 色々綴っていらっしゃるけどちゃんと「今」 そして 「未来」 が含まれているように思います。
まぁ。。。すごく勝手な意見なのであまり気にしないで下さい;
個人宛のお返事…^^ 私は、Rinaさんがニコッとタウンでゆったり暮らせる? ようになればなんでもいいです♪ 無理はしないで下さい`・ω・
そこから立ち上がるまで時間かかりました。
過去の事は決して消さないけど・・・トラウマになって過去を思い出してしまう事があって
何だか怖くなる時もあります。
この記事がなければ私も「Rinaさんは強い人なんだ!」ってイメージを持ったままだったと思います。
私はRinaさんの全てを知る人間ではないので、失礼ながらブログで判断しているだけですので^^;
と、コメントでいろいろとありますが、それは抜きで私としてのコメントをさせて頂きますね^^
私にも暴力に関する過去があります。
だから最近のRinaさんの記事が過去を思い出すので怖くて近寄れませんでした…すみません;;;
「まだ過去に出来ない…」
それはきっと皆同じだと思いますよ^^
現に私も20年以上過去のことがまだ現実ですし(-"-;
だからなのか、最後の赤文字3行がとても共感できました^^v
自分にもあるなぁ…と思いながら、それでも逃げるわけにはいかない!と立ち向かう勇気を持った
Rinaさんから、また少し勇気を分けてもらった気がします(≧▽≦)
…確か以前にも同じコトがあったような、ですが(苦笑)
私はよく周囲の目を気にします。
でも周囲の「普通」と、私の「普通」はそもそも違うんだと考えるキッカケをくれたのはRinaさんです^^
私の経験や恐怖を周囲が持っているわけではない。
だから男性に見下ろされるのが怖かったり、何気なく他人が手を上げた瞬間に身構えたりしてしまう
コトは周囲からは到底理解されないだろう。
そういう風に考え始めてから、少し気持ちに余裕が持てるようになりました。
普通が何であれ、周囲が何であれ…今回の記事を読んで改めてRinaさんは私にとって
「気付き」をくれる人だと再確認しました(・∀・)
だからいつも有難うと改めて言わせてもらいますね^^v ありがとう☆
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これは、コメントにも言える事なんですが、毎回来て下さる方のコメントの内容と・・・
初めて来てこの1つのブログだけを見て、書く内容とでは、私のブログの場合、違った意味を持つ
コメントになるんです。私のブログは、幾つかのブログを読んで初めて分かる事の方が多いです。
私自身がそうであるように。他の方のブログコメントに関しては、相手を見てコメントを残す、これ基本
なのですが、私のブログに毎回訪れてコメントを書いて下さる方は、疑問に思う事は
聞いてくれても構わないとさえ思って居ますΣ( ̄Δ ̄;)
私が前に進むキッカケをくれる可能性の方が大きいですし。コメントを残す人側も、その人の経験や
感覚でコメントを残すと思うんです。nakanaruさんの言う事は勿論、間違ってはいないのですが・・・
私のブログは、きっと他のブログとは違い特殊だと思うのです。だから、私自身はコメント全てを
受け止めたいと思って居ます。その分、まともに個人間のお返事は出来ませんが、ブログででも...
気になった事は聞いてみてください。
※相手を傷つけてしまうかも知れない・・そう思う事も勿論大事ですが、でも、その前に――
そう思った事は、自分が思ってる以上に言葉として文章に表れます。そして、bibiさんは、これだけの
ブログを書いてる私が気になったので、コメントを書いて下さった。短い文章の中から、その思いは
ちゃんと私に伝わっています。そして、nakanaruさんも、私を気遣いbibiさん宛にコメントして下さった
全て、優しさからくるコメントとして受け止めています。
でも、bibiさん・・他ではこういうコメント書いちゃダメだよ?
精神系の子は、この言葉だけでも傷付く時があるんだから。
私は、これぐらいは通常会話なので、なんとも思っていませんでした(笑)
※今も、昨日の夕方から2時間しか睡眠取っていませんし。寝れないのも日常茶飯事なのです♫♬
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nakanaruさん、いつも有り難うございます。そして、nakanaruさんがコメントを書いた事に関して
私の気持ちを綴らせて頂きます。もし、私の勘違いでなければ、bibiさんは、以前にも
このブログにコメントされた事があるかと思います(間違っていたら、お許し下さい。そこで、思う事)
※多分、毎回コメント書いてくれてる方やお友達申請をしてくれてお友達で居る方は――
この毎回のブログに関して、疑問に思う事とかたくさんあると思うんです。だけど、聞けない。
私が傷つくかも知れないし、今実際こうして、真実を書いてる訳だから、私の思いは伝えられない。
そう思って、書いてたコメントを何回も消したんだよ?そう言ってくれる方に何人か出逢った事があります。
それは、私にとって凄く嬉しくて、優しい心の持ち主だなぁーと感じるのですが^^;
でも、どうせなら疑問に思う事は突っ込んで聞いて欲しいかも?とも思う訳です。
言葉に矛盾が生じていますね。でも、私は・・言葉を選んでガラスに触るようにコメント書かれるより
率直に、思ったことをそのまま聞きたいです。
※なので、精神科医でのカウンセリングのお話は、私にとって【いつか、ブログに書く内容】でした・・・。
私の経験は、私以外予想もつかない範囲だと思うのです。例えば、イジメに関して・・・
同じ5年のイジメで遭っても、場所やその人の性格、イジメの範囲や、イジメてる側の特質によって
そのイジメられてる側の精神的な強さによっても、心の傷は変わってきます。
※なので、同じイジメで遭ってもその性格や場所などで、全然意味が違ってくる訳です。
→書き込み続きます(笑)
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真摯な気持ちで、Rinaさんのためを思い、敢えて聞きづらそうなことを聞き苦言も呈する覚悟はわかります。
でもね、「なぜ普通の人が、そういうことを書かないのかもっと考えてみたら?」と思うわけです。
書かないのには、統計的に幾通りかの理由が存在するでしょう。
bibiさんを基準に、二次元的にベクトルで分けた場合、大きく3通りに分かれます。
その立ち位置より【一歩引いて距離を 置きたい、さて措きたい。だからそんなことは書かない。】
その立ち位置より【もう少し踏み込まなければ、そういうことには言及できない。だから書かない。】
その立ち位置に関係なく【その手のことについては、ある程度分かっているので言及すべきことでもない。】
疑問に思う人は数多くいるでしょうけれど、本人に直接聞き前にもう一歩踏み込んで良く調べ良く考察し、
そのうえで、書くなら書くべきことだと。
思いやりや親切心と自負するものが、誰に帰依した思いやりや親切心なのか知ることなくして、他人のためにはならない。
【他人の気持ちになって】というのは、【私が彼女の立場だったら】と考えることとは違います。
【私が・・・】というのは、あくまでそ【私】という人格で考え判断できる範疇でしかないお話。
また、【私は】とか【私が知るあの人は】や事例と比較することも 相手の人格に立って考える範疇ではありません。
自身の経験等で得たことが、自身と違う人格の相手の立場でどう違い、どう共有できるのかを考えることに意味があるのです。
そのために必要な質問でなければ、他人事と変わりありません。
【私ならこう感じ、こう考える】処を 【彼女の人格と経験】では、どう感じ、どう考えるのだろう。
それを 汲み取ることが【相手の立場になって】ということです。
【私だったら】や【俺だったら】は、【彼女】の話でも【彼】の話ではありません。
それを解ったうえで、そういう話が必要かどうかの判断が、先ず最初に必要だと思いませんか?
皆さん、本当に本当に有り難うございます。毎回毎回、涙が出るぐらい嬉しいです!
コメント欄に、医師とのカウンセリングはしていますか?そう言う問いがありましたので細かくお返事を。
癲癇は脳障害の一種なので、カウンセリングはあるのですが。ただ、私が通っている医者は
正直、頼りないです。過去に、私の知人が頭を打って、そこの病院に行ったところ、異常なしと
診断され、脳に腫瘍があり、他の病院に行った所、手術を致しました。
私が通ってる医者なので、信じて進めたので、その時は――
申し訳なく知人に謝罪をし、今は違う病院に通っています!何故、私はそんな病院に通ってるのか?
癲癇の場合、カルテの4歳~年数が凄いので、他の病院にうつるとなると
凄く大変だったりします。私の場合は、4歳からの病気なので薬を飲めばとりあえず、生活に
支障は無いとの自覚し、以前、尊敬してたお医者様も、そう仰っていました。
来年の2月をメドに、沖縄に引っ越しし地元に帰る予定なのですが
また尊敬してる先生に診てもらえるんです。それはまた、違う話なのですが^^;
私の場合カウンセリングは、奥深くまでエグるように見ないと見えて来ない部分!
表面上だけではなく、数十年の蓄積のイジメの過去のストレス他...
人間と言う固体が苦手と言う事もあり、問題なのはその部分なんです♪医者さえも
私の心は拒絶をする。1つ1つ、お医者さんの基、細かくカウンセリングを受けたとしても、自分の心が
お医者様に対しても壁を作るんです。
それもとても、厚い心の壁を――
結局、自分自身で解決してくしか無いんです。医師の基細かなカウンセリングを
他でも数回に渡り、違う医師で試みてみましたが、一番のカウンセリングは彼が毎回行う。
過去を遡り、数時間、その時々で数十時間のカウンセリングです!
私は、お医者様のカウンセリングもストレスになり意味のないカウンセリングになってしまうのです。
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そこまで陰湿ではなかったのですが・・・
僕の場合は、あんまり気にしないタイプで・・おまけに・・やられたらやりかえす人だったので・・・
ただ・・・一人になって寂しいと思うことがあって・・今でも、独りになると寂しいと思うし・・成人してからは、女性との関係で・・寂しさを紛らわしていたように思います。
男の友人は、10人ぐらいですが・・20年以上付き合ってる人ばかりです・・いろいろ気にかけてくれくれますが・・・いじめられていたことを認識した時のことを思い出すと今でも、かぁ!となります・・
Rinaさんの文章力というか、思いを言葉に変換できる力ってスゴイですよね。
書きたくても書けない人も結構いると思うんですよ~。
私がそうですし^^;
だから書く意志と力がある人は、遠慮なく自分を表現していってほしいと思います。
一人一人に返せないのは仕方ないですよね。
限られた時間の中でやってるわけだからw
イジメに関してはうまくコメントできなくて申し訳ないんだけど、私の好きな詩に
マザーテレサの「あなたの中の最良のもの」っていうのがあります。
「人は不合理、非論理、利己的です 気にすることなく 人を愛しなさい・・」って感じで
続いていきます。
私は迷った時はこの言葉を見直すこと多いかなぁ。
意外とスッキリしてわかりやすいしw
何れにせよ自分が納得できる形で心の整理がつけられるといいですね^^
私自身も心の備忘録と整理をするために日記を書くことが多いです。
自分の過去を吐露するのって時には再び自分の気持ちをえぐる事にもなるのですが、
時間が経過した後に自分を客観的に見つめなおせますよね。
私は節目を迎えると記入する日記帳があります。
記入した後は押入れに入れてしまい、何年後かにそれを見つけてタイムスリップする・・・っていう繰り返しです。
過去の自分に赤面したり、叱られたりしますが、自分の人生設計を見直すことには役にたっています。
日記は本来は自分に宛てて書いているもの、コメントも自分の意思に委ねて良いと思います。
私がすごく癒された歌です。気が向いたら聞いてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=s-WwbFyD98w
書く事で気持ちの整理をしているのならコメントの返事は要りませんよね(^-^)
私もブログを読む事で何かしかの共感とか考えさせられる思いを頂いております。
それぞれのコメントに対し、返事を書く事をしなくても良いと思います。
Rinaさんのブログであって、そのブログを拝見し、
自分なりのコメントを残しておきたいと思って書き込みをしている人が多いと思うから。
Rinaさんのペースで、書きたいと思う事を、これからも書いて吐き出して欲しいと思います。
カウンセラーは受けておられるのこと安心しました、bibiのこと違和感お持ちになったかと思いますが
あなたにとっては酷な質問かと思いましたが、あえて疑問に思ってることを率直に書きました
でも普通のひとは、こんなこと書かないよね^^;
でも過去のブログを再読したりして、おおよそのことは自分なりに把握できました
良く分かりましたので、これからもいろいろと書き続けてください、あなたにとって大事な事なのだから。
記憶を消し去ることや、過去に決別することで解決に向かうこともあるでしょう。
かつて非常に優秀な若い精神科医がいて、過去の記憶を封じ込めることを見ました。
しかしその優秀な医師さえも、自己崩壊を起こしたこともあります。
だれも、どの方法がよいとかと言うことなどできはしません。
ただ、Rinaさんがご自分でおっしゃる暗い内容のブログを吐き続けると言うことも自分を取り戻す旅として非常に必要なことだろうと思います。
さらに言うなら、不特定多数に吐き続けることで自分をさらに傷つけることも予想の範囲にあります。
徐々に、相手によってどのような言葉を吐くべきかを選択し、整理できるようになれば、ご自分の傷が少しずつ癒される時期に入るのでしょう。
構いませんから、気の済むまで書き連ねてください。
文章を読む限りに於いては、いまは吐き出すことが、少しずつあなたを回復させる方向へ向かわせてくれるに違いありません。
どこかに何かの形で表現するのは、
ひとつの解決方法だと思います。
Rinaさんが
こうしてブログに書く事で
またひとつ前進出来るなら、
それで良いと思います。
コメント、返す必要はないかな・・と思います。
Rinaさんだって大変ですしね^^;
時間と気持ちは共有出来ていると思いますよ(^^)
だから 頑張ってるんだろうな
今回のブログだけを読んでのコメントなので軽く流してくださいね↓
イジメは、すごく辛いですね★
過去を振り返ること、自分を見つめなおすことは大事なことだと思います。
Rina❤さんは、この5年間でイジメがどんなに良くないことか学ばれたと思います。
その分きっと誰より人に優しくなれると思います。
イジメられた人は、イジメをしてしまう、と聞きますが、そういった負の連鎖は、Rina❤さんが止めてね☆
乗り越えられない試練は与えられないと、言います。
転んで立ち上がった人は、きっと転ぶ前より強くなっているはずです!
イジメの傷は、完全に消えることはないかもしれませんが
Rina❤さんにとって色んなことを学ぶ機会だったかもしれません。
(↑こんな学習は、本当は無い方が良いのですが)
最後に、イジメた人はRina❤さんのことをすっかり忘れて人生を楽しんでいると思います。
毎日少しずつ辛かった日々を考えない時間を作って、イジメた人たちより人生を楽しんで下さい☆
それがイジメた人たちに勝てる唯一の方法だと私は思います!
人生は、楽しんだ者勝ちですよ(^^)♪
忘れようとしてふたをしたら、いつまでも前に進めず、ずっとその5年間の
精神状態に居続けることになると思います。
Rinaサンは過去に正面から向き合っている。。。
前に進もうとしている。
素晴らしい一歩だと思います。
過去を振り返り、ブログやカウンセリングで開放していくことで、引きずる
原因にたどり着けるといいですね♪
もしかしたら思いもかけない出来事が原因となったかもしれないですが、
分かったときから、さらに先へ先へと進んでいけると思います(^▽^*)
Rinaサンはもう経験済みですよね♪
通りすがりの者ですが、陰ながら応援させてくださいね。
※過去を振り返ってと言う方と、苦しむのなら、過去は振りかえずに前進んでと言う方と・・・
1つ1つのコメントを読んでて、ジーンと温かいものを感じました。全てにお返事したいけれど
それが無理なので、気になった方の一部分について、お返事させて下さい。
bibiさんのコメントにこんな一文がありました…。Σ(´□`;)ハゥ
ブログの内容について、アル出来事に対しての子供の時の感情が
そんなに克明に分刻みで脳裏に焼き付いているのかと思いました。
自分の子供の頃の出来事を記憶の糸に頼って思い出そうとしても、とてもその時の感情の機微
など思い出せません。
4歳からの持病の癲癇の登場です(笑)私の場合、イジメを受けていた時期の感情や起伏
家族の表情やイジメをしてたクラスや先生の顔など、全て脳裏に焼きついています。
普通なら数十年経った後、忘れていくものですが、私は数十年経った
今でも鮮明に脳裏に焼きついています。
※物忘れや普段読書をしたりテレビを見たりして記憶する、ごく日常の当り前の記憶♫♬
記憶が欠陥しており、その部分を補う意味で過去の自分が人生において辛かった記憶や
大変だった記憶は、鮮明に覚えてると思うのです。子供の頃の記憶があまりにも鮮明な為
フラッシュバックをした後、凄く怖くなります。当時の自分に入り込んで、今の自分を忘れる事さえも。
私の場合文章で書き出す事で、自分を見つめなおす=私にとって物を書き記す行為は
大好きな事だから。その大好きなことで、自分の心の整理が出来るのなら、それは願ったり叶ったり(笑
前だけを見つめる生き方もありますが、私の場合は過去を見つめる事でだいぶ成長してきました。
勿論、その分だけ苦しんで悲しんできました。私にとってとても大事な事なのです。
※余談です。精神カウンセラーは受けております。
癲癇を持ってる事もありますので、カウンセラーは必要なのです。
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たぶん、実際に受けていたときには発せなかったであろう声を
今昇華されているのですね。
心に受けた傷は一生消えません。でも、受け入れ吐き出す事で自分の中で消化していく事ができます。
人間の忘れる能力万歳です。
吐き出してしまったら、また新しい一歩を踏み出してくださいね。応援しています。
私はいじめまでは行きませんでしたが、中2の時に気の合う人がクラスには
一人もいなくてほとんど一人でした、でも他にクラスに友達がいたし、支えて
くれる友人も居たからめぐまれていた、登校拒否を起こしても「部活に来たかったら
来てもいいからね」って言ってくれたし、今まで自分は小学校からバカにしていた子も
私の支えになってくれた、今それを忘れたら、今の自分は無いと思ってる。
自分の暗い過去は自分が受け止めて初めて自分の身になると思います、
人の痛みを知って。どうやったら解決できるかわかる人間になれば、どんな
人の相談にものれると思います、支離滅裂かもしれませんが、どんな事を
書いていいかわかんなくなりましたが、とにかく!ここには貴方の支えに
なってくれる人がたくさんいるからね!
わたしは血縁と縁の薄い生き方をしています。血の繋がった相手ほど哀しい思いを何度もしてきました。
ですから下のnakanaruさんと全く同意見です。
婚外子ですし、父から何度も「いらない子」と言われた経験もあります。
実母も何度かしか会ったことはなく、言葉を交わしたこと記憶がありません。
いろいろとありました。
傷があるといえば、やはり、深くあるのだと自覚はしています。
父が働かなかったので、経済的に苦しく、苛めの対象になりかけたこともあります。
しかし、そういうアクションを起こしてくる相手に、わたしは興味がありませんでした。
そういう人たちに好かれたいとも友人になりたいとも思わず、こちらからお断りだ
という気持ちにだったからです。
その代り、一人でいることに慣れました。
かなり幼ない時に親に裏切られたと感じ、何から学ぶか
何が正しいのか、それを求めたのは読書だったり、自然の動植物の営みの厳しさでした。
同じような体験をした人から見れば、わたしは強いというタイプかもしれません。
何よりも自立です。
精神的にも経済的にも一人で食べていく、これができると、
自分を認めてあげることができます。
人間は、自分も含めて、とても不確かです。揺れ動き、哀しみ、不安になる
時には裏切る、裏切らざることも仕方のない状況に追い込まれる、そういうものです。
自分にないものを他者に求めてはいけないと
これはわたし自身に言い聞かせています。
Rina❤さんに必要なのは、人を信じる強さではなくて、自分を認めてあげる
優しさではないでしょうか。どこかで、自分を信じられないんです。
自分を好きになること、ありのままを受け入れて、そこから出発する、これは傷を受けた人には
なかなか大変です。
人に受け入れてもらえるのは本当に癒されますが、永遠には無理です。
人に愛してもらうより、実は、愛する方がとても大事なのです。
依存ではなくて、共に、前を向いて歩くような、守ってもらうより、守りたいと思う気持ち。
Rina❤さんは自分と格闘しておられる。大変な作業です。私も一度やりましたから
よくわかります。まず、ありのままの自分を、自分が抱きしめてあげて欲しい。
辛かったね。頑張ろうねと一番の友である自分に。
私はそれだけで、十分だと思います。
本当の意味で信頼できる相手御一人でも見付け、身近にいられることは とても幸わせなことでもあるのですよ。
家族というのは、血を分けていたりする分、他人より怖い。
心を許せるのは血の繋がった家族や親族ではなく、血の繋がらない身内だったり同じ時間をたくさん共有してきた知人だったりします。
話さえ碌ににしてなくても 付き合いが碌にになくても 想いやリとともに見続けていてくれる人もいるわけです。
そういう人が、いざというとき手を差し伸べてくれて、支えになることの方が多いのです。
いざというときに手お差し伸べてくれるのは、本来血の繋がった身内のはずですが、身内の中で実際に手を差し伸べてくれる人は一部でしかない。
頼れる友人というのも どれだけ付き合いが遠のいていても いつも心にかけていてくれる友人でなければ、いざというとき助けになってくれたり支えてくれたりするには至りません。
人が怖いというのは、どこかに依存心があるせいです。
それは誰しも持っているものです。
でも 恐れるということは、それだけ人と言うものの”宛てにならなさ”を知っているから。
だから、相手を知って あるがままのその人を受け入れる。
互いの分に在った期待をし、分に合わない期待はしない。
だから、分相応にしか期待らしきものには応えない。
恋愛などをして、背伸びするときもあるかもしれません。
でも 自分のあるがままに振舞って、それを受け入れてくれる相手でなければ結局は長続きしない。
それは血がつながった身内であっても同じです。
できないものはできない。
お互いに。
応えられないことは応えられない。
お互いに。
期待すべきでないことは期待できない。
お互いに。
宛てになる処とならない処を良く知って、そういう存在だとあるがままに受け入れる。
そうすれば、恐れるに足らず、怨むに至らない。
けじめは、身内にこそ必要です。
甘えを許容できる関係であって初めてけじめというのは緩められます。
信じるとか信じないとかは、測りかねる場合に抱く感情です。
怖い怖くないと云うのも根は同じ感覚です。
解っていれば、過剰に想い入れなければ、怖さはないのです。
Rinaさんと同じく、以前他のサイトでその過去を描きだした事があります。
もりとん心を整理するため、洗い流すため、・・・でも、駄目ですね~
私もよく強いね~と言われますが
同じように全く強くありません・・・人が嫌いなのに、人の事で悩むのに
人がいないと全然だめなわたし。。。よく分かります
それでも生きていかなければならない、この残酷な現実・・・
生きる事がこんなに苦しいなんて・・・って何度思ったことか^^;
私には二人の子供がいるので、やはり生きていなければいけないんですよね~
生きてるだけでも、子供たちにとっては意味のある事なんだって思うようになりました・・・
生きれるのではなく、生かされてるのでしょうね。
今も不安で悩み続けていると思うと相当ひどかったんですね><
私も、いじられたこともいじめたこともあり少しは心情お察しします。
ここで書くことができるということは少しづつ
自分の過去を見つめられているということだと思います。
私はすごい進歩だと思います。でも、ゆっくり自分のペースで良いと思いますよ^^
多くの人の価値観に触れるのは素晴らしいことです。
そしてこれだけ人を惹きつけるブログを書けるのもすごいです!
読む人が多いのは、イジメをテーマにしたブログに感心を寄せる人が多いからでしょう。
ニコッとの中ですごく個性を発揮していると思います。このまま続けてほしいです。
リコメは会話のようで楽しいですが、時間がかかってなかなかね><
会話はお部屋訪問でも、他の方のブログを読むことでも出来ますものねww
自分で辛い過去を振り返って、言葉にして、表現して、考えて。
前に進みたいのですね。それが皆に伝わって「強い」と感じさせるのでしょう。
そして、イジメに対する怒りやRinaさんへの共感。皆怒ることで勇気を得ている気がします。
子供の頃にはわからなかったことも、大人になってブログを読むと客観的に見られます。
私たちもRinaさんの体験を通して考える時間が持てるのです。
てんかんからいじめにあわれたようですが、今だったらその差別意識が糾弾されるのに。
先生も救ってくれなかったんですね。
Rinaさんの文章から物事を客観的に見られるので、私たちは大人がどうすべきだったかを
考えることが出来ます。大人が5年間もあなたを救えなかった。その事実が辛いです。
いじめる子も悪いけれども成長過程ですから、大人がきちんとすべきだったのです。
汚いと言った子を本気で諌める勇気が無かった大人がイジメを助長したのです。
5年間もよく耐えました。
家庭では家族は優しかったけど、いじめを通してすごく用心深くなったと思います。
誰も守ってくれないのですから。誰に対しても心を開放できなくて当たり前だと思います。
本当は恋をしてほしい。心から愛してくれる異性の存在は将来必要でしょう♬
トラウマを取り除く専門のカウンセラーがいるらしいので、そういう勉強を
されてはいかがでしょう。でも自分で自分のトラウマを取り除くことは出来ないので、
カウンセリングでトラウマから解放してもらってからがいいかも知れません。
本物の痛みを知っている人は他の人を救える気がします。
もしかして、どこか信じているところもあるかもしれませんよね。
きっと心の底で、 特定の誰かでなくても「ひょっとして人は信頼できる・・・または、信じられる人はどこかに存在している」ということを確認している・・・・そういうところはあるでしょうか?
いつかそれがもっともっと広く拡大してゆけるといいな~・・・と思います♥
ひとり一人にコメするのはホント大変だと思いますよ。 (私も少ない書き込みではありますが時々省略してますw)
それぞれのスタイルで良いと思いますよ!
無理なくどうぞ♥
お返事なんてかまわないからどんどん吐きだして楽になってください。
わたしも大人になってからいじめに遭いました、職場で。
ほんとに苦しくて辛くて仕事ができなくなりました。
その時のトラウマが今も残っていて、新しい仕事に変わった今でも
フラッシュバックによって軽いパニックを起こすことがあります。
激やせもしたし、ハゲもできました(苦笑)。
でも、生きています。
できることならあなたを抱きしめてあげたいです。
そしてわたしのことも抱きしめてもらって、ふたりで「暖かいのは幸せなことだ」と
実感できたらいいのにな、と思います。
少しでも楽になれるんだったらそれで充分だと思います。
とはいえ、Rinaさんの書いたものを読んでいると、こちらも学ばせてもらえることが多いから
そうだということを知ってもらいたいためにコメントを書いているので、
読んでもらっているだけで目的は達成している訳です^^
5年間のイジメの経験なんて、薄れていくことはあっても一生忘れられるものじゃないでしょう。
それなんだったら、他の人と共有して、その人なりの意見を聞いたり、共感してくれることもあったり
逆に、悲しい話を聞いて救われる人もいるかもしれません。
もう一度言いますがRinaさんのなさっていることは十分に意味があるし、
自分のペースで、自分のスタイルで続けるようにしていいと思います。
ネットではリアルと多少人との付き合い方が違うから、
自分なりのスタイルで納得してくれる人とだけの交流になるのも
狭量さの表れにはならないと思います。
いつか、書きたくならない日が来ると思う。
そうしたら、悲しいことから卒業して、楽しく生きればいいと思う。
ストレスは、病気にも良くないもんね。
全てをココロにしまってしまうと精神的にも身体的にも参っちゃうから。
私で良ければ辛かった事受け止めてあげる。
今までのブログの内容を存知あげないのですが
書くことによって
自分の気持ちに整理をつけられる ということはあると思います
しかも ただ自分だけで書いておくよりも
他の人に読んでもらうことで
いろいろな見方を提示してもらって
つらい体験を徐々に相対化していける ということもあるのではないかと思います
みなさんのコメントも真剣なので
それに答えを書くのもエネルギーが要ることでしょう
でも Rinaさんのブログにコメントを入れる人は
答えて欲しい というよりも
いっしょに考えたいとか 励ましたいとか
そういう意図で書いているような印象を受けました
ひとつひとつにお答えになる必要はないのではないかな。。。と
私も最近 ココで ほとんどイジメのような扱いを受け
ずいぶん傷つきましたが
人が怖いと同時に好き という感覚はよくわかります
Rinaさんの受けた傷が 少しずつでも癒えるように
過去のことを書き綴るのは いいことなのでは
と思いました(*^_^*)
実は、あなたの一連の過去の出来事に対するブログの内容について、アル出来事に対しての子供の時の感情が
そんなに克明に分刻みで脳裏に焼き付いているのかと思いました、自分の子供の頃の出来事を記憶の糸に頼って
思い出そうとしても、とてもその時の感情の機微など思い出せません、多分あなたはイジメが恒常的に続いた事による
精神的なダメージが如何に大きかったか、また大人になってもまだ引きずっているところを見ると、なんと云っていいか
言葉に詰まります、でも今ではそれなりの精神的ケアが出来るというか心の傷を軽減していくような精神科医のサークルなども多分あると思いますので、そういう方向でも一度お考えになったら如何ですか。
過去を見直して文章に書くということも大事かも知れませんが、いつまでも過去の事から脱却できないのも又辛いことです、書く事によってあなたの心が癒されるのなら、それはそれでいいことかも知れません
酷なこと云うようですが過去を清算するのも新しい人生の出発点ともなります
無論、選択権は貴女自身にあることですから。
過去の 出来事を 思い出された時 フラッシュバックなどは 大丈夫なのでしょうか?
と、心配になりましたが、優しい彼が いらっしゃるのですものね。
過去を見つめなおす。。とても勇気のいることだと思います。
いつか 本当に心の平安を得られる日がきますように お祈りします☆
そういう思いをしている人はいっぱいいて、どうにかしなきゃって思ってる人もいっぱいいるから。
そのせいきゃ 頭と心 壊れちゃったきゃもだ~(*^ё^*)ゞてれてれ
男子に殴らりる事はにゃかったけど 女子きゃらのイジメ すごかっただよ~☆
※うーん。私の心にある人が怖いて感情は、一般で言うところの・・・・「人が怖いと違うみたいです」
nakanaruさんが書いてある文章で少し自分なりに考えてしまったところがありました・・・。
私の中で絶対に信頼出来るのは『彼だけなんです』
ここでしか書けない言葉ではあるんですが、私は血の繫がってる家族でさえ怖いと感じるんです。
血の繋がりがある妹や弟にすら恐怖を感じる。産んでくれた母に対しても怖いと感じる。
何がどうとか説明出来ない分野なのですが、とにかく怖いんです。
でも、母も妹も弟も大好きですし、私の中では守りたい存在です。でも、それとこれとは違うんです。
多分、何かが違う!家族は1番安心出来る存在なはずです。そして、母に私はあなたが怖い!
そういうときっと、悲しむでしょう。だから、言わないのですが。私は、母も妹や弟さえも怖いんです^^;
家族って自分が何かあると、一番に心配してくれます。
何かあると一緒に喜んでくれて、悲しんでくれる唯一の関係性。
家族に何かをされたとかではないんです。そして、何がどうとか説明は出来ないんです!
母のお腹から産まれたはずなのに、母でさえも、怖いんです。
※そして【信じる事が、怖い】以前の問題に、人と言う固体が怖いんです(汗、意味不明ですね)
なので、常に私は人を見る努力をしています。自分が人が怖いから、それを悟られないように――
その怖いと言う感情は、表層意識の前に深層意識の奥深くでそうなるみたいで。
家族が怖いと言うのも、それが原因みたいです。なので、信じる事が怖い以前の問題ぽいのです。
家族が怖い!こんな事を、家族が知ったらきっと、悲しんでしまうのが目に見えてるので
言ってはいけない、悟られてはいけない。
うーん、なので・・私の心がかなり、混乱してるのですよ…。Σ(´□`;)ハゥ
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辛い時があったのですね!私が子供の時は、私も含めてガキ大将の縦の繋がりがあり
その中で、人にしてはいけないこと、けんかの仕方(どこまでが許されるのか)など
自然に身につきました。今の若い人の世代ではこのガキ大将の繋がりが無いのでしょうね!
虐めをされる方はたまったものではないのでしょうが、多分虐めをする方も自分が虐められるのが
怖いので、虐めをすることによって自分に虐めが来ないようにしているのでしょう。
全く情けない話です、私が子供たちにサッカーを教えている時、時々子供たちが何かのきっかけで
けんかをする場面に遭遇しました、見かけたお母さんが直ぐにやめさせようとするのを、制して
そのままにしておきました。決着が付いても尚も攻撃を使用とした場合に、初めてその先に
進ませないように、止めました、そうすると喧嘩に勝った子供も大声で鳴き始めました。
これはどこで止めるのかが分からなかったので、攻撃を続けようとしていたのだと思います。
こうして喧嘩をある程度の範囲内でやらせれば、決着が付いてから10分も経たないうちに
また仲良く遊んでいます、ですから小さい時にある程度の範囲内で喧嘩をすれば、虐めは減る
のではないかと言うのが私の持論です。良い子で育ってくるとどこまでが許容範囲かが分からず
大きくなってから、自分が虐められるのが怖くて、虐めをする方に回るのでしょうね!
取り留めのない文章になってしまいましたが、胸につかえているものを吐き出すのが最良ですから
もっと気楽に吐き出しましょう!
そう思うのです。
治療を受けている部分については、単にあなたに必要不可欠なケアーだと思うのです。
あなたが社会に支えられ、社会があなたを支える責任を負っているだけの話です。
形を変えて誰にでも存在する社会との係わりなのだと思います。
不特定多数に比べて特別な部分はあるけれど、変なのではないと。
他の凡庸な人生を送る人より、果たす責任も果たす力も大きいだけだと。
そして、あなたが書くことを手段として持てるということが、あなたの経験に意味を与えているのです。
無償で、何にでも誰にでも応えていては、相手のためにもあなたのためにもならないとお考えください。
あなたの貴重な経験と思考を安く考えないでくださいね。
労力を惜しまない人に語りかければ、迷いがあって真に受け止めたい人に、応えればよいのだと考えて欲しい。
必要な人は、あなたが総ての人に隈なく応えられないことを知っています。
そういう人は、あなたから返事が欲しければ、労を惜しまず手を尽くしてあなたにアプローチするのですから。
”ある意味誰でも書き込めるブログ”にコメントを書いたことぐらいで、総てに応じる必要などないのです。
解る人には伝わっているわけですから。
そのくせに、イジメの5年間で私は、人を信じる事をやめてしまった。
それなのに「人は大好き」と言う。何がほんとで何が嘘なのか、自分の心に
問いかけても分からないのです。】
「人は大好き」であるのに、信じて裏切られたことがあったから、信じることが怖いのではないですか?
信じるとか信じないとかを頭の外へ叩き出して、「大好きな人という生き物」を観察し、洞察し、良く知る。
そう心がけることで、「人を信じられない」という意識は消え去ります。
信じるも何も 相手の考えることや気持ちの表層から半分は解るようになるのですから。
それは、相手に対して憎悪や嫉妬などを抱かなくなる力でもあります。
自身の規範を顕す写し鏡とすることも可能です。
ただ、醜悪な心や気持ちに支配される相手を其処に見たとき、嫌悪感を覚えることもあります。
でも その哀れさに対しての悲しい気持ちの方が強くなるはずです。
「人が大好き」という才能があるのですから、最大限に磨いてください。
「天知り地が知り人を知る」という力を得てください。
(^.^)/~~~
P.S.
生き急いでしまったり、他の人からのアクションにすべて応えていきたくなるのは、性分ですから抑制が効き難いものです。
私も若い頃から、あなたの今悩むのと同じような経験を繰り返してきたように思います。
入院して手術を受けて、自分の意志はさて置かれた処で万死に一生を得たことで、ようやく生き急いだ感じや他人の意志に応えようという衝動を抑えられるようになったのだと思います。
自然体や無垢に生きることは難しく辛いことも多いのですが、生き急ぎがちであったり他人に対して強い責任かに矢義務感が働くあなたがいるのでしたら、大変でも辛くても自分が有のままで生きていける努力を選択する方が、精神的には良いのかと思います。
艱難辛苦を伴わない人生など、誰にもないわけですから。
幸せや喜びは、その背中合わせにしかありませんもの。
過去の消えない記憶を強く持つということは、其処に己自身が 前に進む鍵があるからだと思います。
私は、30代までは事細かに多くの出来事を再現フィルムを視聴するが如く覚えてました。
音と映像で、当時見えてなかったことや聞こえてなかったことを 後で記憶に発見できたりもしました。
今では、フルカラーだった記憶がセピア色にしか思い出せず、映像も音も不鮮明になってきた記憶の方が 多くなりました。
歳のせいではありましょうが、必要も薄れてきた故だと思われます。
一字一句、細かな所作の一つ一つまで記憶しているというのは、果たして良いものかどうか。
でも私は、善し悪し以前に意味があることだと思ってきました。
記憶をもとに相手との過去のことを話すと、絶句される時すらあります。
こちらが思う以上に、人は昔の それも若い時や子供の頃のことを忘れてしまうようです。
わたしもいじめに在った時期は数年在りました。
身体が小さかったうえに、ずばずば思ったことを言っていたので、足を怪我して不自由したことをきっかけに、いじめを受けることになりました。
足が不自由な間はもちろん 治ってからも続いたわけです。
それでも 割と心を強く持って居られたのは、信じる信じないなどという感覚を持たなかったせいかもしれません。
幼いころから、たとえなんであれ、生きとし生けるものが懸命に生きる姿をこよくいつくしんでいたので、
無意識に周囲の人や生きるものを観察し続けていました。
そして、何も言わなくても 同年代ぐらいまでの人の考えることの大半が手に取るように解るようになったので、信じる信じないなど埒外でした。
それ故に、いじめにあっていても 味方でいてくれる人や陰で支えてくれる人がいることを 実感できたし、それ迄 友達づきあいらしい付き合いなどなかった人が、想いやり 影や日向で力になろうとしてくれたのも解りました。
信じるか否かということより、相手お知ろうとすることの方が大切だと実感しているわけです。
そして、努力すれば総てではないけれど、概ね解るようになれる。
「人が大好き」であるあなたなら、信じる信じないを超えた処で理解する力を得られるようになるはずです。
人のココロの中の気持ちや考えは、本人でも言い表すのが難しいと
あたしは思っています。
だから、Rina❤さんのとまどいとか悩む気持ち、わかる気がします。
あたしも過去、子供のとき(ちょっとしたイジメ)も大人になってからも
すごくつらい経験がいくつかあり、強くならなきゃと思うときが多々ありました。
やはり言われるのは「強いね」って言葉。
強いわけではなく、強くいないと自分が倒れて壊れてしまう、という不安。
押しつぶされそうな不安をぬぐうために、他人と表面上楽しくやってみたり。
あたしも、不思議と人と接するのは好きで。
初対面の人とも気軽にお話できたりします。
でも。
それは人を信頼していないからこそ、気軽にはなせるのかも知れません。
いろんな葛藤があると思いますが、あせらずいきましょう!
あたしも、深呼吸してゆっくり周りをみわたして、やっと落ち着いています。
そのころは回りには目がいかなくて、友達をほったらかしだったけど
みんな理解して、いまでも支えてくれています。
だから安心してくださいね!!
いつでも前向きな気持ちでいるのは難しいかもしれません。
時には悲観し後ろ向きになることもあります。
でも明日を信じ希望をもって生きていきましょう!
ニコタもリアルでの生活もマイペースにいきましょう♪
一度っきりの人生です。
今という時間を大切にし、こころが穏やかに過ごせるといいですね。
退会を決めました。今までパソに割いていた時間を、
書道の練習にあてようかと思って・・。
私は、Rinaさんのブログを通して、
自分の考えは正しかったのか、考えることができました。
サークルは・・時間がなくて全然参加できませんでした(;m;)
本当にすみません。。
いつか書道展の一番てっぺんに
私の名前がありますように・・・
今まで本当にありがとうございました!
皆さんへのコメはRina さんの体の調子がよくなってからでいいですよ^^
気になさらないで下さいね。
Rina さんは文章を書かれるのがきちんと整理されていらっしゃって読みやすく、相手にもわかりやすく
説明されていらっしゃるのですが、こうでなければいけないというのが感じられます。
(間違っていたらごめんなさい)
もう少し気持ちを楽に持てる事ができたらいいですね^^
人を憎まず、逆に、人を好きになれたRinaちゃんは、とっても素敵な心の持ち主だと思います。
これからも、その気持ちを多くの人達に、伝え続けて下さい。
それが、Rinaちゃんの使命であり、幼い頃は、それを知るための期間だったのかもしれませんね。
本当に強い人など、居ないのかもしれない。人は皆、強い部分と弱い部分の両方を持ち合わせていると思うよ。
なんて、勝手な意見を書いてしまい、気を悪くされたら、ごめんなさい。
漢字で書けば、楽しむと愉しむ。気楽の楽と、愉快の愉です。
喜怒哀楽、それぞれの感情は、それぞれが個のように見えて、実は感情というくくりで考えれば同じもの。
どの感情にせよ感情の起伏が大きければ反動もあり、また複雑な心理状態ではさらにややこしいものになってしまいます。
私も皆さんが仰るように自分のペースでやることしかないのだと思います。
ややもすると、ここでの活動が仕事のようになってしまっては、元々の意向とは違ったものになってしまいますからねd('-^*)♪
人間に愛されたいと願ってやまない人。」
昨日読み返してた本に、こういう一説がありました。
弱くてもいいと思う。弱いって言えることが大事だと思う。
想いを言葉にできることが、1歩なんだと思います。
ホントもウソも紙一重なんじゃないかな…。
うらはらなカンジっていうか…。
ココロも想いも自分とともに毎日変化していてもおかしくないし。
今のままでいいと思います。
似たような事を経験しているので、読んでいて、嫌な過去をちょっと思い出してしまいました。(^^;
あ、でも気にしないでね。
言いたいのは、消えなくても、そうそう思い出さないようになる事は可能だと言う事。
それは、意識の向け方しだいです。
過去自体は変えられないけど、過去をどう見るかは変えられますから。
意識的に、仲良い人とすごすようにして、そちらの方(楽しい事とかの方)に意識を向けるようにした方が良いです。
嫌な事を思ったり考えたりした場合、それが一通り思い終わってから、意識的に楽しい事を思い出して意識をそちらに向けるようにすると良いです。
これをやっていると、だんだん嫌な事を思い出しずらくなります。
まして数が膨大だし、個別になんて無理だってちゃんとみんなわかるはず^^
とりあえず自分の負担になるようなことはあえて棚上げにしちゃっていいと思うのです。
焦らず楽観的にって言うのは簡単だけど、それが難しいことってありますよね。
でもあえて焦らないで自分を甘やかしちゃいましょうって言っちゃいます。
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うーん...今物凄く何かに焦ってるみたいで、治さなきゃ治さなきゃ・・・・・
もし心の病なのなら、自己分析して治せるのなら治さなきゃって、焦ってます。問題なのは――
自然と自己分析をしてしまう所。そして、楽観的に考える!この楽観的に考える事が
日に日に出来なくなっていってるように思うのです。数ヶ月前まで、杖も使わず健康だったはずの体♪
焦れば焦るほど、体に負担がかかるよ?それも、自覚しているはずなのに、そう思えば思うほど
体が緊張して、眠れず、かといって考える事は↑こんな事がほとんど...
※大丈夫。見てる人はちゃんと見てるし、離れてくひとは離れてく♫♬
お返事を返さなきゃで、焦り、コミュを立ち上げたのだからコミュを盛り上げなきゃで、焦り(悪循環で^^;
かと言って焦れば焦るほど、個人的にやり取りをしていた方にお返事が出来なくなる。
お返事しなきゃ、お返事しなきゃ。何かしなきゃ。何か考えなきゃって、心と心がぶつかってるように
感じて。楽にして楽しもうよ?
※うん。楽しんでいます(笑)
私のおかしな所は、楽しんでると思うのです。ただ、楽しんでると言うよりもニコッとに
執着していると言った方が正しいのかもしれない。人生を先急いでる。でも、それがいけないと
分かってるのに、体が反応して――
ぴょんこさんの言葉。ぴょんこさんの言うように私は責任感を感じ焦ってるんですよね(?)
その自覚があるだけに、どうしようもないかも。かと言って執着してるのでやめることは無いけれど...
楽しむってなんだっけ?って感じなのですΣ( ̄Δ ̄;)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
Rinaさんはご自分を「強くない」「誰かの手を借りないと生きていけない」と表現されていますが、
人に限らず、命は1個体では生きていけない以上、誰かの手を借りて生きていく事が自然かと…
それを意識せず「一人きりで生きていく」と言う人も居たりしますが(かつての私がそうでした)
自分の弱さ、脆さを認める事は十分「心が強い」んだと思います。
この言葉が重荷になってしまったらすいません。
ただ、自分を見直す事は「本当に弱い人」には出来ないから、そう言う意味で「弱くない」と伝えたかったんです。
エスターとジェリーのヒックス夫妻が書いてござって
内容的には怪しい部分も多々ござるが
考え方としてはうつ病の拙者には参考になるのでござる。
「実践 引き寄せの法則 感情に従って”幸せの川”を下ろう」
SofoBank Creative
読み手も、スルーする権利がありますしね。
一つ気になったのは、Rinaさんが、皆さんのコメントに責任感?を感じていらっしゃることです。
たくさんの読者がいて、コメントもたくさんで、
個人的に返事ができない事を気にしていらっしゃるようですが
それは、ココでは仕方のないことです。(個人掲示板もないですから)
あまり、負担?重荷?に感じないようにしてくださいね。
あと、「今、しなきゃいけないこと」で、「答え」と書いていらっしゃいますが
何か焦りのようなものが伝わってきます。
そこがちょっと心配です。焦ってもいい答えは出ませんですよ。
細かいところは違うだろうけど、自分探しをするのは特別なことではないし、
一生探し続ける人だっているし、焦らずマイペースでいいんじゃないでしょうか。
だからこそ学ぶんだとおもう。僕もいじめに合ってつらい思いもした。けれど得たモノもある。
人の闇の部分とか悪いモノだけではない。
人の優しさも学べたと思うんだ。
少し優しくされたら人より倍、嬉しさとか感じれると思うんだよ。
人の心に敏感にもなるし、何を言ったら傷つくか相手の気持ちもわかってあげられる。
誰よりも優しくなれる。
僕も人が大嫌いで大好きだよ♪
でも、そんな僕を好きでいてくれる素敵な仲間ができた♪
たった一人でも心に置いてくれる、そんな人がいれば僕は充分、幸せだ者だ^^
過去は過去。それを生かして何ぼ。
大切なのは 自分はどう生きるべきか。
どうありたいか。
全てを糧にして、前に進む。 ( +・`ω・)b
遣い方もお書きになられます内容も 各々の自由が一番宜しいと思います☆彡(特定の人物等を
お名前挙げての非難は いけませんけれど。)
自然体・・・ご無理をなさいましてのお付き合いは
長くされます程、苦しく思うようになってしまいます(;;)
御互いが自由に♪意思の尊重なくしては、心からのお付き合いは中々難しいです。
そして、元々人の心とは 解明出来ませんような事が多いものとか。
宜しいではありませんか。ゆっくり焦らず、新たな自分を模索致しますのも^^b
心の理解が完璧な方って、想像致しましても『ロボット』のような印象のイメージしか浮かびません(--;
生きております内は、自分探しを続けております方が
新たな発見が絶えず、退屈致しませんかと存じます(ゝv・)‐☆
コメントとか気にしないで
いいと思うなぁ^^
気にしないと思っても
やっぱり気にしちゃうものだけど★ギャ
初訪問でオレが書いていいのかもわからんが、
ここはRina♥さんのブログなんやから好きに書いてもいいんとちゃうか?
誰か個人の悪口を書いてるわけでもないんやから。
それが悪いというんやったら訪問者が判断して来なくなるだけと思うが
オレは自分とこを好き勝手に使ってるから こういう言い方になるんやが^^;
ま、そう簡単に行かんやろが、
何を書くも、コメント返そうが返すまいが自分の自由でいいと思うんやがな。
失礼があったら すいません。
あくまで一個人の片寄った意見です。
気分害したら即削除してな^^
人を信じられなくなっても、どこかに少しでも人を信じる気持ち、期待する気持ちがあり、
「人が大好き」という気持ちになるのではないのでしょうか?
私も、信じて、裏切られて、信じられなくなっても、また、少しずつ信じる気持ちが生まれる、という感じで。
イジメとかする酷い人がいるのも事実、ニコなどで知り合った素敵な人の存在も事実ですからw
焦らず、ゆっくり、その時に考えたことを、そのままブログに綴っていけばいいと思いますよ♪
辛いこと、悲しいこと、楽しいこと、嬉しいこと、色々あると思います。
お返事も、無理せず、気になったこと、気が向いたとき、って感じで良いと思います♪
それでなくても、すごい数だと思いますので。。。
ニコが負担にならないように、Rinaさんのペースで楽しむのが一番だと思います♥
それなのに「人は大好き」と言う。何がほんとで何が嘘なのか、自分の心に
問いかけても分からないのです。
とてもよくわかります。
でも、ここでこの内容を人に見てもらいたい!
そういう自分の意志は分かっているんですよね?
ならばその分かっている事を一つ一つ、
自分にとって丁寧にしてあげたらそれでいいと思います。
どんなコメントが来るとしても大丈夫。
みなさん言葉を残してくれるのはそれだけ読んでくれたということ。
もし嫌だったら次は来ないでしょうしw
賛否両論、そんなのはどんなブログを書いてもあります(^-^)
あまり過去に引きずられたままではストレスで疲れ果ててしまいますよ。
出来る事なら嫌な過去の思い出を封印して楽しい事だけを考えるようにして下さい。
Rinaさんにとっては納得出来ない事かもしれませんが、
『 今 』を思う存分楽しく過ごす方が最良ではないでしょうか。。。
不躾な事を書きましたが、これからのRinaさんのご活躍を心よりお祈り致します。
私も誰にも言えない過去あるから、引きずっています。
心の傷は消せない。消したくてもどこかで現れ自分を苦しめる。
でもどうすることもできない。すべて頭の中ではわかっています。
でも感情が上手くコントロールできない時、すごい不安と恐怖が表れ、自分が自分で無くなり
どうしたいのかわからなくなる。
いつもどこかで苦しんでいる。
私も真剣に見つめなおさないと行けないのかな…また改めて思います。
上手く言いたいこと書けないけど、これからも色んな思い書いてほしい。
私の自分見つめなおして前に進める気がする。
苦しんだものには勇気になります。
これからも読みたいです
私も小~中学校と苛めに合い、
厳しい親への抵抗で更に勉強しなかったこととか
大人になって社会に出ても
どこに言っても、どうしてこんなに
「いじめ」があるのか…
もう50歳を超えましたが
いまだにわかりません
自分が受けた嫌なことはしないように心がけていますが
時々意地悪になる自分を発見して
落ち込みます
自分の中にも人を苛めたい気持ちが存在しているのです
そんなせいか直ぐに他人と仲良くなることなんて出来ない自分
はっきり言って「人」が怖いです
Rinaさんのブログを読んでは
自分を振り返り
自己反省しています
今まで経験した上で自分なりにわかったこと
・苛めている人間はそれを「イジメ」と思っていないこと
・そして一生その性格は「直らない」
だから決してその人間は反省することもない…
これは結論ではありませんが
悲しい事実です
お役に立てないかもしれませんが
一緒に考えさせていただけたらとと思います
過去は忘れることができず、常に繰り返されます。脳内で情報更新する度に、浮き上がってきます。
あまりに酷い経験を脳が「耐えられない」と判断したなら、過去を封印することもあります。
でも、いつかはその情報の封印が解かれ、その経験を克服する為に表面に浮き上がらせたりします。でも、それはきっと脳が「克服できる」と判断した時だと思います。
コメントは今のままでいいと思います。お返事するのが苦痛でニコ自体が楽しくない場になってしまっては本末転倒でしょうし、コメントの返事が一人一人では無いことを知っていて、読みに来ている方も居ると思います。ブログの内容についても同様です。
Rinaさんがイジメに関するブログを綴ることで、それを読んで、イジメの実態やイジメに遭った方の心境を知ることが出来て自分の周囲を見渡せるようになる人も居ると思います。
何が本当で何が嘘か、実際に自分に問いかけていないだけで本当に分かっている人は少ないと思います。人が怖く、人を信じる強さを持たない人は多いと思います。
自分の過去と向き合おうと努力しているRinaさんは素敵ですよ。
私も、イジメは受けました。
汚いもののように避けられたり
変なあだ名をつけられたり
クラスメートから無視されたり
テキストを隠されたりなどなど
私は、今でも、そのことに対して、心に傷を負っています。
でも、あえて、考えないようにはしています。
はっきり言って、その頃の同級生とは二度と関わりを持ちたくないです。
その後、学校が変わって、またイジメられるのが怖くて、イジメられれている子供を助けなかったんです。
積極的には、イジメに加わらなかったけど、傍観していただけ。
でも、イジメられている側から見れば、傍観者もイジメているのと一緒なんですよね!!
少なくとも、イジメられていた頃、私自身はそう思ってました。
ブログについては、ここはRinaさんのブログだから、Rinaさんが書きたいことを書けばいいんですよ!!
きっと、コメントを残していく方は、コメントを残していきたいからそうしていると思います。
(少なくとも私はそうです)
レスについては、Rinaさんのやり方で構わないかと。
個別にレスしていたら大変ですよ!!
お体のこともあるし、Rinaさんのやりたいようにやればいいんですよ!!
だから思い切り本人のこと否定している様な事かいちゃいますけど…
貴方は強いと思いますよ。少なくとも今は。
だって、こうやってブログに書いて整理して、過去を振り返って今に繋げているんでしょ?
それは強い人しか出来ないと思うんです。 弱い人は過去なんて振り返る程心の余裕はないと
思うから…
それと、たまに企画とか楽しいブログもあるじゃないですか♪
んまぁなんだこんだでRinaさんが書きたい事を書けばいいのです^^
うわあぁ、相変わらず意味不明な文申し訳ないです…