「契約の龍」(143)
- カテゴリ:自作小説
- 2010/01/12 02:35:56
クリスの意識がここにあるうちに探れないならば、クリスが「潜った」後でもいいか、と思ったんだが、それもお気に召さないらしい。
だが、「遮蔽」を消すのにどれだけ時間がかかるか判らない、というのも……一緒に居られる時間はそんなに残っていないというのに。
「クリスが嫌がるなら、やらない」
抱きしめようと手をのばしかけたが、少し躊躇う。またごまかしてる、と言われそうで。
「…だから、助けが欲しいなら、ちゃんと呼べ。呼ばなきゃ、いくら当てにされていても、助けられない」
前もって確認できないなら、せめてこれくらいは約束してもらいたい。
「…アレクなら、名前だけでもご利益がありそうだ」
こちらの顔をじっと見ていたクリスが、差しのべた腕の間に体をすべり込ませてきて、少しだけ表情を和らげる。
「…「ユーサー」じゃない名前をつけてくれた、アレクの名付け親に感謝しよう。「ユーサー」と紛らわしい名前でない事にも」
「…言いたい事は解るんだけど……感謝する対象が間違ってないか?」
すり寄せてくる体を抱きしめる。肩先がもう冷えかけている。
「もちろん、アレクには感謝してる。いつも」
続く言葉は声が小さくてよく聞こえなかった。
「感謝の言葉より、別のものが欲しい」
クリスが体をこわばらせる。何かまずい事を言って機嫌を損ねてしまっただろうか?
「…私の自由にできるものであれば」
言葉を選びながら、といった様子でこちらを見上げる。どうやら気を悪くした、という訳ではなさそうだ。
「そんな大層なものは望まない。明るくなるまでの時間、この中にいてくれればいい」
「……それって、私が先に言いだしたような気がするんだけど?」
「…覚えていたなら、いい。残り時間はそんなにないのに不機嫌な顔をされるのは厭だな」
「残り時間、って…アレク、私が帰って来られないっていう前提に立ってない?」
「気のせいだ。そう思うのは、クリス自身がそう思ってるからじゃないのか?…まだ何か隠してる事があるなら、早いとこしゃべって楽になった方がいいぞ?」
「…どうしてそう、悪事を企てているような物言いするかな?こんな場面で」
場面の雰囲気をわきまえていないのはクリスだと思うが。それを指摘すると、またクリスの機嫌を損ねそうなので、そこは口をつぐんでおく。
「…ドアの前に立っているから、じゃないのかな。あと、暖炉の火が弱くなって部屋が冷えてきているせいとか」
「……あと、疲れてると怒りっぽくなるよね、人間て」
とりあえず座ろう、とクリスが言うので、ベッドのところへ戻る。それから暖炉に薪を足す。熾になりかけていた火から炎が上がる。
軽い物が落ちる音に振り返ってみれば、下着姿のクリスが床に落としたドレスを拾うところだった。どうやら着替えの最中らしく、首のまわりに別の服が蟠っている。改めて火の世話に集中していると、背中側から手が伸びてきた。
「……何か不具合でも?」
「そういう訳じゃないが…どうしてだ?」
「何かに魅入られたように見入ってるから。…ずいぶんと長い事、ピクリとも動かないで」
それは気がつかなかった。
「…ちょっと意識が飛んでたかも。一日で色々あったんで」
「…そんなとこで意識失うと、頭突っ込んじゃうよ?」
「さすがに、その前には気がつくと思うが」
肩越しにのばされた手を掴んで立ち上がる。思ったよりも長時間かがんでいたせいか、背中がこわばっている。
「疲れているなら、無理につき合わせたのは悪かったかな」
そうつぶやく唇をそっとついばむ。
「黙って置いていく方がよっぽど悪い。もし、目が覚めた時に傍にいなかったら、何するか分からないぞ」
「…起こしても起きなかったら?」
「死人でも起きるような起こし方ができるくせに」
耳の中に響いた「起きろ」はいまだに忘れる事ができない。
何か反論しようと開いた口は、唇で封じた。放っておくと夜明けまででも反論を続けそうだからだ。
ベッドの上で、服を脱がせようとする手は制止されなかった。だから手は止めなかった。
クリスの手が伸びてきて、こちらの服のボタンに手をかける。顔を覗き込むと、「私の担当でしょ?」とささやき声が返ってきた。
声が聞きたくて、いじるのに時間をかけた。
クリスの方もその合間に、「アレクの手」「アレクの肩」などとつぶやきながらあちこち触ってきた。
達した後も、なんとなく体を離しがたくて抱きしめたままでいると、「昨日と逆だね」と耳元でささやかれた。
「そんな事を言うと寝かしてやらないぞ」
「…意識が飛ぶほど疲れてたのは、アレクじゃなかった?」
そう言いながら、指先で頬をなぞる。頬を撫でていた指が不意に耳に集まり、耳朶に熱を感じる。
「…そうだ。忘れないうちに」
耳から手を離したクリスがそう言ってもがくので、しぶしぶ体を離す。