震災から15年か…。
- カテゴリ:日記
- 2010/01/17 00:15:20
あれは私が高校一年生の時、1月17日の朝。
いつもの一日が始まろうとしていた。
「今日は体育で跳び箱か…台上前転なんてできるわけないよ~;;
小学生の時、それで捻挫したし。嫌だなぁ。」…うっすらとした私の思考。
その頃、毎朝6時起きだったので、そろそろ起きようかとしていた時でした。
次の瞬間、ブルドーザーが家に突っ込んできたかのような強い衝撃。
激しい「ドーン」という大きな音と共に、ギシギシ揺れ続ける家。
タンスなど、あらゆる家具が倒れ、何も考えられず茫然自失。
何とか揺れがおさまった時、近くで寝ていた両親を探す。
母は気が狂ったように柱にしがみつき「よなおし、よなおし…」と、
呪文を唱えるように繰り返すばかり。(ちょっと怖かった;)
父は私のタンスの下。あまり服が入ってなくて良かった。
何とか助け出して、まだ余震が続く中、避難の準備。
枕元に置いてあった服は、タンスの下敷きで取ることができず。
とりあえず寒いので、無事なタンスから着込めそうな服を探す。
もちろん焦ってるので、裸足でアタフタと。
その時、砕け散ったガラスの破片を足の指の間に挟む。
パニックになってるので痛みなど感じず、靴下を履いて一階へ。
外には大量のヘリコプターが。「…助けが来たの?」
母「何を寝ぼけたこと言ってんの。自然災害、片付けるのは自力。」
…この惨状を?この言葉に軽くショックw(さすが高校生w)
とりあえず近所を散策、周りは倒壊した家屋などでグチャグチャ。
何とか津波は大丈夫なようなので、落ち着いたら小学校に避難することに。
もう一度家に帰った時、畳を見てみると、血で真っ赤。
「え?何、これ。誰の血???」
思い返してみると、足の指にガラスを挟んだ記憶が蘇る。
あ、私の足の血だwとりあえず手近の包帯をグルグル巻き。(笑)
そして、私の寝ていた布団を改めて見てみると…。
両横には大きなタンスがあって、それらが互いに倒れて微妙な隙間が。
その隙間に上手に私が寝てたから何も落ちてこなかったのね;
次に頭の真上を見ると、大きな重い額縁が途中まで落ちて、ぶら下がってる。
これ、完全に落ちてたら死んでたな;(危ないからって後ろを紐で繋いでたw)
ほんと、考えてみるとギリギリの所で助かった命なのかも。。。
幸い、当時の私の知り合いで亡くなった人はいなかったけど。
あ、でも、イトコの家は火事で燃えちゃったな;;
うちに「大丈夫か~?」って車で様子を見に来てる時、まさに、
近所から出火して、燃えちゃってたのよ…どっちが大丈夫なんだか;
しかし、ガスも水道も止まったので、これが夏だとキツかっただろうな。
冬は冬で寒いけど…しばらく小学校で寝泊まりする日々が続いたし。
イトコとヤカンで水を運ぼうとして、こぼれるからって注ぎ口に詰め物したり。
友達が救援物資と言って、漫画と乾パン持ってきたり。色々あったな~。
う~ん、ちょっと不謹慎だけど、私にとって震災を境に、
悪い方向に転がったことって、特に、なかったんですよね…。
学校も休校で跳び箱しなくていいしw
久々に行ったら、友達が皆、心配してくれてて。
それまで馴染めず、グループも転々として一人でいることが多かったのに。
それ以来、大好きな友達が、たくさんできて嬉しかったなぁw
家は半壊だけど、それで授業料、かなり免除されたはずだしね^^;
やっぱり、まだ高校生だったからかな?親は大変だっただろうね;
多分、色んな感情を持ってる人がいるんだろうけど。
普段、平凡で気付かずにいた幸せに、気付けたという体験?
人の温かさに触れたことが、一番の思い出かな?
私の中で、震災とは、そんな存在だったのかもしれない。。。
震災当時は若くて、あまり命の大切さとか、ちゃんと実感してたのかな~とか思うとこがありますが。
ほんと、ちょっとしたことで命を失うんだな、と、今では素直に、そう感じることができます。
助かった命を大切に生きていかなきゃいけませんね。。。
生きててくれて、ありがとう^^
ほんとによかったね、うん、よかったね。
なんか、うまくいえないけど、
じぇんとるさん、助かってて、よかったなぁって。
命、大事だものね。
皆、少なからず大変だったんだろうけど、家だけがグチャグチャになるのは、まだ良い方かと。
やはり人の命に勝るものはないなぁというのが正直な感想でした。(当たり前か^^;)
火事も恐ろしいですけどね…チビが、もう少し大きくなったら、いつか話して聞かせたいと思っています。
じぇんとるさんは、震災の被災者だったんですね。
まさに生き証人。思い出すことが辛いこともあるでしょうが、
語り継いでいって欲しいと思います。忘れないためにも。
関西人の悲しい性でしょうか…なんでもネタにしてしまいます^^;
まぁ、私の経験が、多分、まだまだ平和な方だったからなのでしょうね。
もっともっと辛い思いをした人のことを考えると…何だか申し訳ない気がしてきます。
せめて、助かった命に恥じぬよう、これからも生きていけたらいいなと思います。。。
やはり、当時、まだ高校生ということで幼かったせいか、
あまり辛い記憶が残っていないのが幸いと申しますか、なんと言いますか…。
でも、経験したこと、これからも忘れず、ひっそりと心の中で記憶に焼きつけておこうと思います。
チビたちが、大人になる、未来のためにも。。。
多分、被災者であっても、それぞれの体験があって、いろんな感想を持ってる人がいると思います。
私には、辛い思いを持ってる人に、どう言葉をかけていいのかはわかりませんが…。
せめて、悲しくて言葉にできない気持ちが、少しでも安らかでありますようにと願うだけなのです。。。
その中には、あらゆる貴重品がw泥棒さんが来たらどうすんのって感じだったんですが。
ある意味、そんなわかりやすいとこにあると、意外に気づかなかったりして???
ほんと、いざという時、役立つように手元に置いとかなきゃですよね^^
大変つらい体験をプラスに変えようとする
じぇんとるさんの姿勢に感銘を受けました
感謝します。
今それを読んで、lapoは涙ぐみました。
ブログにも少々書きましたが、これは決して宣伝
ではなく、いたたまれない思いをしてきた方達に
対する畏敬の念からのものです。
その時のこと。
さぞさぞお辛かったことと思います。
何とか堪えられますように願っています。
それはなぜかと申しますと、その時の記憶だけは
どうしても消すことが出来ないからです。
本当にお悔やみ申し上げます。
震災に遭われた方々には、「それは大変でしたね」というありきたりの言葉しか掛けられません。
本当に言葉にならない大変さがあったことと思います。
近しい方々に、お亡くなりになった方がいなかったとのことですからそれは幸いでしたね。
そして、不幸にしてお亡くなりになった方々のご冥福もあわせてお祈りいたします。
いざという時のために防災グッズは用意しておいた方がいいですね
私もこの阪神大震災をきっかけに防災用品を買いました
携帯ラジオとかいろいろ用意したけど全部押し入れの奥の方にしまっているので
いざ必要な時になったら取り出せないかも・・・
あと、枕元に非難用の靴も置いた方がいいですね
ああいったパニック状態になった時に、その人の本当の姿がわかるとかw
…ってことは、私は、おっちょこちょいでボケボケってことか^^;
実感湧かなかっただろうな…実際に体験しててもぼーっとしてたけどw
うん、私も清太郎さんとの出逢いに感謝ですwww
たまたま前日まで父が旅行に出かけてて、夜に帰ってきたとこで、一晩寝てあの騒ぎ;
家族全員一緒にいるから、少しは安心して行動できたけど、
もう少し時間が遅くて私も通学途中とかだったら、帰ってこれなかったかも^^;
まぁ、何よりも父のお土産の冷蔵庫に入れてあったカニがダメになったことが、
すごく悲しかった思い出ですwww
運悪くそうでなかった人も、
助け合う人も、
わがまま言う人も、
いろいろでした。
せめて、この転機が、よいものになりますように。
テレビで大阪で地震発生、街が燃えているのをやってた。
???
映画?
理解するまで結構時間がかかりましたよ。
えらいことになってる…
あれから15年ですか。
こうしてじぇんとるさんと交流出来ていることに感謝です。
まだパン屋さん時代ラジオから流れてきた震災のニュース
第一報は状況もわからずあれほどとは思いませんでした
親友が芦屋に転勤していたので携帯で連絡
無事を確認後一般電話が繋がり難いとのことで
ご両親や友人達に連絡しました
同じ年の11月に東大阪でピザーラをオープン
僕にとっても人生のターニングポイントでもありました