あれから15年
- カテゴリ:日記
- 2010/01/17 15:43:16
阪神・淡路大震災から、もう15年も経つんですね。
関西方面で何か起きた模様です。
というのが、ラジオからの第一報でした。
仕事で栃木へ向かってる途中の事。
第二報まで30分から1時間位間があったように思う。
神戸で地震、M7以上だという。大きい。
ラジオはそのまま特別体制へ。
ビルが倒壊、高速道路も閉鎖。
ラジオなのでイマイチピンとこない。
昼過ぎに家に帰ってTVを観ると、あの惨事が映し出されていた。
寒気を覚えるような映像だったことを覚えている。
倒壊した阪神高速、明石に行くとき通った事あるよな。無残にも横倒し。
火の手が街をなめ尽くして行く。まるで地獄絵の様相でした。
復興した後、2回位2号線を走ったけど震災の傷跡はなくなっていた。
一本入った裏の方はそうでもなかったらしいけど。
お亡くなりになられた方のご冥福を祈ります。
合掌。
実際にあの災害に遭われた方、
あの災害を覚えていらっしゃる方、
ニュースで知った方、
ニコっとの中では色々いらっしゃると思います。
天災ですから二度と起こさないとは云えません。
でもあの時の報道を見てて、
助け合う事が如何に大事かという事を学びました。
起こっては欲しくないけど
万が一自分の近くで大規模な災害が起きたら
自分のできる最善のことをしようと思いました。
あれから15年、歳月が経つのは早いものですね。
でも被害に遭った方々は、この15年は長い15年だったんでしょうね。
ここまで復興出来たとはいえ、被災者の心の傷を思うと過去のことにしてはいけないんだなと思います。
だから、情報のない最初の1時間ほど、関西でこの調子なら関東は更地になってる……と思ってました。
民家から漏れる明かりがないと、夜は暗いんです。はじめて実感しました。
子どもたちが遊んでいた場所が、ガレキになって花が供えられてるんですよ。
毎日の中で記憶は薄れていきますが、それでも、忘れられないものは、あると感じます。
私の此処も凄く揺れました。家の中でストーブとガスコンロ
を止めるのに立って歩けませんでした。
自然の恐ろしさを、改めて思い知った瞬間でしたね。
心の傷は癒えないし、癒したくないし、癒してはいけないのかも。
時間とともに ふくれあがっていく 被害の報道。
信じられないものを見ているようで 友人の安否も気になりました。
あれから 15年も過ぎてしまったのですね。
私も神戸で震災にあった一人ですが、家族全員怪我もなく家は半壊でしたが
実家が神戸でも被害の少ない地域だったので避難所に行くこともなく
過ごすことができました。
勿論3Kに6人で住んだので多少不便でしたが、それでも避難所で暮らしてる方から
比べると幸いだったと思います。
つい前日に歩いた町が瓦礫の山になってしまったショックはなんともいえないものでしたが。
それでも毎日の生活の中で薄れつつあります。
毎年震災の日に震災を思い出して今の生活に感謝の気持ちを新たにしてます。
テレビに映し出される非現実的なリアル。
ただ見続けるしかなくて、数分後とに増えてく死者・行方不明者。
もうにどと同じことは起こって欲しくないです。
あの時、朝のニュースと昼頃のニュースでは全く違う様子が映し出されていてビックリしました。
その後 静岡での葬式に行く為に新幹線も止まっていたので飛行機で行きました・・
その当時は 手話をやっていてボランティアとして駆けつけた人から聞くと受け付け準備も整わず大変だったと話していました・・・(わたしは仕事があるのでパスでした)
聞こえない人にとってラジオでしか情報が得られない状態では 全く情報を得る手段が無くとても不安な日々だったそうです。
新聞の写真で見たろうそくの数だけ亡くなられた人がいるんですね・・・
ご冥福を祈ります。
ニュース映像を見ても他の国のことのような、でもいつか行きたい
歴史のある土地が無残になっていると聞いて、狐に化かされてる
ような不思議な気分だったのが第一反応でした。
その後の悲惨な様子に日本はどうなるんだろうと思いました。
が、人々の前向きな様子と復興の速さに感動させられました。
15年も経った今でも神戸市民は心に傷を負っているんでしょうね。
私は関東だからテレビで観ていて大変だなぁ~と思ったくらいでしたが…
ゴルフ仲間でボランティア活動に参加した人がいました。
ボランティアは全部自分で寝泊まりも考えなくちゃいけないそうですね。
私も
お亡くなりのなられた方のご冥福をお祈りします。