Nicotto Town


ぴのぴののなんでも日記


『光る君へ 第14回』視聴直後考察です。

♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡
  春ドラマ続々開始と我が北海道日本ハムファイターズの開幕が重なり、もう通退勤車内ではさばけなくなって来ましたあ。まずは、通年シードの大河ドラマからです。

 では「光る君へ 第14回」の直後考察です。

  • ・ついに兼家逝去。先週のボケは演技説はモヤモヤのままでしたが、呪詛とともにエンド。ただし、呪詛していたのも、兼家宅も同じ京都市内なのに、片側は突然の雷雨だったのに、兼家衣服は乾いたままで発見されている・・・?
  • 安倍晴明は関係なしだった・・・。
  • ・二度見して確認しましたが、静止画アップでの、兼家メイクの末期の変化技術は凄かった。

  • ・今回の三日月は道長望月の布石か。

  • ・道兼の徹底したヒール仕立ててすっごいねえ。予告編ではもう一波乱の予感。

・ロバートの日記云々は予測どーーーり。

・階級の身分格差、女性自立に過剰なスポット当てはもういいわ。

・さて、大難問は、「中宮」「皇后」問題。
 するとこの時点の定子は無称号で入内??
 円融院の遵子?円融院とは男性のあの上皇なのでは?
 続けて「中宮の遵子様には皇后にお上がりいただき?」って、もうゴッチャごちゃで解説もなし。全国民わからんしょや。
 義理の母と同格の称号を息子の嫁につけることが、それほど問題?
 
 あーーーあ、前々週に道兼が口にした「例の件」は伏線は回収されず。空き過ぎで今後出ても失敗。出なくても失敗。

                     かな?
♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡・・*・・♡

アバター
2024/04/12 21:45
更に追加、というか日記コメントへの返信です。

三后に関しては、そういうものなのだ、と知識として覚えていただくしかありません。

東宮も中宮も、元々は居所を示すものだったものが、そこに住まう者自身を示すものに変化したという点では同じです。
ただ、東宮は時期天皇の事ですが、皇后は立后して初めて皇后と呼ばれるので、次期皇后を指す称号はありません。
道隆がゴリ押しするまでは、中宮はあくまでも皇后の別称だったわけです。

ちなみに三后は、一度その地位に就いたら死亡するか自ら辞める迄、その地位に留まり続けます。
三后の中でスライドする事はありますが、夫である天皇が譲位しようが崩御しようが、それによってその地位を去る必要はないです。
地位に相応しい待遇も変わりません。
実際藤原遵子は夫の円融天皇が譲位して円融上皇になっても、更には崩御されても三后であり続け自ら辞す事はありませんでした。
三后はそれだけの価値がある存在なんです。それを自分の都合で四后(それまでの三后に中宮を加えて四后)にした道隆のやり方が如何にも強引すぎました。
しかも、父兼家の喪中でしたしね。公卿たちがこぞって反感を募らせたのは当然と言えば当然。

少々乱暴な喩えになりますが、総理大臣=首相で就任出来るのが一人だけである筈が、総理と首相を分けて二人就任させようとする様なものです。

990年時点で、円融上皇は出家していますので法皇と呼ばれる様になっています。
遵子は多分円融法皇の御所にいるんじゃないですか? 仙洞御所(せんとうごしょ)に。
仙洞御所は退位(譲位)した天皇、つまり太上天皇・法皇の居所なる御所ですので。

今上天皇…現行の天皇。990年時は一条天皇。
太上天皇…譲位した天皇。上皇とは太上天皇の略称で院とも言います。
太上法皇…出家した太上天皇。上皇と法皇との間に法的な身分差はありません。

国母はあくまで天皇の生母であって称号ではありません。
天皇の母ですから、基本的に無力ということはないでしょうが、権勢をふるったかどうかは国母となった女性の為人(ひととなり)次第というしか。
藤原詮子は権勢を振るった人です。
アバター
2024/04/11 21:53
追加です。

「例の件」は科白上の言葉の絢と言うところでしたね。
裏で色々と画策してるのかも、と視聴者に想像させるためのものだったのかもしれません。

伏線と言えば、今回は二つほどニンマリさせられる箇所がありました。
一つは蔵人頭として出仕した藤原伊周を眺めながらの女房達のセリフ「漢詩も和歌も笛も弓も誰にも負けない腕前なんですってよ」です。
わざわざ“弓”を付け加えましたか、と思ってしまいました。
次回予告では道長との弓比べもある様ですし、楽しみですね。

もう一つは、道隆一家が夕餉に鯛を食べているシーンで、藤原貴子の「今朝、淡路から届きましたのよ」に対して道隆は、「ほう、淡路守か。淡路は下国(げこく)ゆえ早く都へ帰りたいのであろう」と返しました。
ここで覚えておくべき事は、淡路国(あわじのくに/現淡路島が相当)が令制国(律令制に基づいて置かれた地方行政区分)のうちの下国と呼ばれる、あまり実入りの良くない国だという事です。
任命された国司が、早く都に帰りたいです、とばかりに袖の下を贈って来る程度には。

どちらも伏線と言えるほどのものでは無いかもしれませんが、覚えておくと後から「なるほど」と思える“かも”しれません。
予防線を張る様で申し訳ないですが、あくまでも“かも”ですから、外れてもご寛恕願います。
アバター
2024/04/11 16:48
というわけで道隆は、皇后=中宮とされているものを、強引に皇后と中宮は同格の別物である事にして、定子を中宮として立后してしまった訳です。
皇后=中宮という認識だったので、円融天皇(990年では円融法皇、坂東巳之助さんが演者)の皇后遵子は中宮とも呼ばれていたのですが、道隆が強引に皇后と中宮を別物に分ける事にしてしまったので、「中宮の遵子様には皇后にお上がりいただき?」という科白があるのでしょう。

劇中で道長が言っていた様に、これは前例の無い事です。
貴族は前例大好き、前例が無い事を疎んじる傾向が非常に強いです。
しかも、道隆の私欲からというのが他貴族たちに透けて見えましたので猶更ですね。

ただ、焦らずもう少し待っていれば円融法皇が亡くなって、藤原詮子が女院となって空いた皇太后の地位に遵子が就くので皇后の地位が空いたんですよね。
そうすれば横紙破りをすることなく定子を皇后に出来たのに…、何というか不運です。
後に皇后と中宮を分けたことを弟道長に利用され、中宮定子を皇后に、そして道長の長女彰子を中宮に、という人事が通ってしまう訳ですし。

まぁ、元々は皇太后の地位が空いた時に、兼家が一条天皇の生母とは言え円融法皇の女御でしかなかった詮子をゴリ押しで皇太后に据えた所為ではあります。本来皇太后には円融法皇の皇后の遵子が就く方が順当だった筈。
もっと根本を言えば、円融天皇が兼家が嫌い(兼家の勢力を少しでも削ぎたい)という理由から、唯一の皇子の生母である詮子を皇后にせず遵子を皇后にした事が、その後の混乱の原因。
詮子が皇后になっていれば、その後は順に地位をスライドしていけば問題は起こらなかった筈。
なんというか、これも一種のバタフライ効果と言って良いんでしょうか。
アバター
2024/04/11 15:59
さて、今回の最難関である定子の中宮立后問題。
ここをしっかり把握しておかないと、後々道長がやらかす一帝二后問題についていけなくなりかねません。

まず律令制において天皇の妻は下記の様に定められていました
皇后(おおきさき)…一人
妃(きさき)…二人
夫人(おおとじ)…四人
嬪(ひん)…四人以上

これらが平安中期には、皇后(一人)は変わりませんが妃・嬪が廃止され夫人が女御と更衣に移行。・・

太皇太后…基本的に前々天皇の妻   
皇太后…基本的に前天皇の妻     }三者を総称して三后と呼びます。
皇后…基本的に現行天皇の妻

中宮とは元々は皇后の住居であり、皇后の世話をする人々が属する機関を中宮職と呼びました。
(現在、天皇家の方々の家政に携わる侍従達が属する機関を宮内庁侍従職と呼ぶのと同じです)
これが転じて、中宮に住む皇后その人を指して「中宮」とも呼ぶようになりましたが、上記の三后全てを中宮と呼んだ事もあり、区別は割と曖昧ですが概ね、皇后=中宮でした。

以上が前提知識。これらを踏まえてドラマの990年時点でどうなっていると言うと

太皇太后…昌子内親王(冷泉天皇の皇后)
皇太后 …藤原詮子(円融天皇の女御、一条天皇の生母)
皇后  …藤原遵子(円融天皇の皇后)

という状況で、三后の席は全て埋まっている状況です。
これは、定子の父道隆としては不安要素がある状況です。
何故なら、彼は父の後を継いで関白になったものの(すぐに関白を辞し摂政になってますが。これは一条天皇が元服したとはいえまだ11歳と若すぎる為)、内大臣に過ぎません。
内大臣は太政官のNo.4、上位に左大臣、右大臣がいます(太政大臣は常に置かれる地位ではないので990年時点では不在か?)。
要するに権力構造が盤石とは言えない状態。そもそも道隆は一条天皇の外祖父だった兼家とは違い外伯父。
摂政として最も権力を振るえるのは外祖父なので、道隆はその点若干弱い。

990年時点で一条天皇の女御は定子一人の筈ですが、いずれ天皇が成長すれば他の公卿たちの娘が入内するでしょうし、万が一それらの娘が定子より先に皇子を産めば、道隆が天皇の外祖父になる目が絶たれてしまいます。
しかし定子が皇后に立后されていれば、万が一他の娘に皇子を生まれてしまっていても、定子が皇子を産みさえすればOK。
アバター
2024/04/11 14:59
こんにちは^^

兼家の痴呆演技説は、今回を観て私個人としては全否定します。演技だったとしたらしっかり落ちをつける脚本家だと思います、大石氏は。
それが無かったのですから、老人性痴呆と観ておそらく間違いないと思います。
ただ最期の時は正気で、科白はありませんでしたが自身の人生を思い起こしていたのかもしれません。
皓月(こうげつ/明るく白い月)だった月が赤く変化したのは、呪詛の影響か兼家の心象か、どちらともとれる感じでした。
呪詛は完遂されたととっても良いですし、明子の思い込みと自己満足ととっても良い、視聴者の受け取り方次第。

明子が暮らす高松殿と兼家の東三条殿との距離は結構近いです。
その為、天候が崩れる時は一緒に崩れる場合が殆どだと思いますが、気象現象には面白い事に道一つ隔てただけで雨天と晴天が綺麗に分かれる事があるんですよね。
数年くらい前、買い物帰りに土砂降りの雨に遭遇したんですが、少し移動すると雨は降っていなくて道路も濡れていませんでした。アスファルトが線で引いた様に雨で濡れているところと乾いているところに分断されていました。滅多に遭遇しない現象だとは思いますが、ありえないことではないです。

今作は初回から月は重要なモチーフとして登場していますので、今回の三日月もその一端かと思われます。
ちなみに、望月の歌が詠まれた日は、天文学上は満月ではなかったそうです。
欠け始めの16夜だったかと…

道兼の悪役っぷりは、概ね「大鏡」の描写通りですが、実際の道兼がどうだったかは不明です。「大鏡」は意図的に道兼を貶めているフシが強いですし。
道隆が兼家の後を継いで関白になった後も順調に出世していて正二位右大臣(右近衛大将兼任)になっていますので、兄から殊更疎まれた様子もありません。

藤原実資の新たな奥方婉子女王(つやこじょおう/血縁的には明子の姪)も日記に書けば、と言ってましたね。これは物語のお約束名のかも。
ただ、この方も前妻同様あまり長生きしないんですよね。

階級格差、身分格差は表現しない訳にはいかないのでは?
その格差は現代人の想像以上の筈ですし。
女性自立に関しても、実際当時自立していた女性は結構いました。
ただし才女に限る、という但し書き付になりますが。

アバター
2024/04/08 17:47
兼家の政権が4年で終わり、
道隆の独断政治も短命に終わるようですね。
身内びいきって無駄なトラブルが多いイメージです。
それにしても喪中なのに家族で鯛を食べるって・・

次回はまた一波乱ありそうですね。
欲深い人たちって面倒です。

ききょうはフェミですかね。
まひろの方がまだ可愛げがありますね。

えげつないイケメンの男子会もちょっと
うんざり。




Copyright © 2024 SMILE-LAB Co., Ltd. All Rights Reserved.